第13話
巨大な影の塊は、木々を薙ぎ倒しながら獲物を潰さんと振るわれる。森の形が少しずつ変わっていくのを感じつつも、受け止めることは出来ず回避に専念し続けた。唯一受け止められる可能性があるのはクリストハルトであるが、試しにで死ぬわけにもいかないので実行はしていない。
『殿下。そんなに避けないでください。わたしを、受け止めて』
「出来るか! そう思うのならその腕を引っ込めろ」
『そうしたら、あなたはわたしを抱きしめてくれますか?』
「……お前がカサンドラの敵にならないなら」
『そうですか。では、仕方ないですね』
「ああ。……そうだな」
「余裕あるなぁ王子」
「そういうあなたも余裕があるように見えるけれど」
片腕から巨大な影の腕を生やしている『カサンドラ』と何やら言い合っている彼を横目に、エミリーとトルデリーゼは再度集結し声を潜めた。聞こえると問題があるとまではいかないが、一応相手の耳には入りづらい方がいい。
それで、向こうを倒す方法はあるのか。そう問い掛けたトルデリーゼに、エミリーはううむと唸る。ないことはない。が、これまでと違って今回のそれは確実性がない。
「確実性?」
「これまでは、えーっと聖女の記憶から間違いないってのを引っ張り出せたけど、あの《シャドウ・サーヴァント》はこれだって該当項目がね」
「似ているものしか引き出せなかった、と」
「そそ。まあ、あの影の腕は多分、そうだと思うんだけど」
《剣聖の乙女アルカンシェル》のストーリーはある程度のタイミングで章が変わる。メニュー画面で確認出来るほかに、セーブデータにその名前がついているわけだが。エミリーが該当項目だとチョイスした敵モンスターは十二章辺りで出てくる魔物の配下だ。シナリオにもよるが最短十五章でエンディングなのを考えても後半クラス、序盤も序盤でゲームならばまだ一章の今戦う相手ではないなのである。
が、しかし。クリストハルトもトルデリーゼも《スケールドワームの討伐証》持ち。ゲームバランスは崩壊していない。そう捉えることもある意味できる。勿論この世界はゲームではないので目安でしかないが、手も足も出ないということはないはずだ。そう結論付け、エミリーはよしと隣の彼女を見た。
「トルデリーゼさん」
「何?」
「あいつの弱点は、多分火です。いける?」
「私に攻撃を期待しては駄目よ」
出来ることは搦手だけだ。そんなことを言いながら、彼女は杖をくるりと回す。トルデリーゼの口から呪文が紡がれ、双頭の触媒から呪文が開放される。赤い魔法陣は、少し前にエミリーがゴブリンを汚い花火に変えた時のように『カサンドラ』の足元へと設置された。
『……え?』
着火。魔法陣が赤熱し彼女の足元から火が伸びる。蛇のように足に絡まると、まるで鎖のように地面へと縫い付けた。それと同時に、火は『カサンドラ』を苛んでいく。
『あ、嘘……熱い、やだ、熱い、動けない……!? 何で? どうして? 熱い、熱い……!』
「な、何だ!?」
突如現れた魔法陣に拘束された『カサンドラ』が炎に悶える。目の前で切なげな吐息を漏らす愛しい婚約者と同じ姿は非常に目の毒であったが、しかしその片腕は巨大な影の塊。動けなくとも、その場で振り回すだけで十分な破壊力を生み出してくれる。
『あぁ、や……熱い……駄目、熱いのは、こんなに熱いのは……駄目、なんで、すよぉ……!』
「うぉ!」
目の前にいる誰かがこの状況を引き起こしている。だから潰す。そんな考えで振るわれた影の腕は、先程よりも更に激しさを増し、その勢いはさながら嵐のごとし。近くにいたクリストハルトは盾を構えつつ咄嗟に距離を取る。直撃こそしなかったものの、盾がなければ間違いなく戦闘不能になっていた。
「お、効いてる効いてる」
「念の為に二つとも炎を込めたけれど、どうやら成功のようね」
そんな彼とは対照的に女性陣二人は呑気なものだ。弱点を突けたと笑みを浮かべ、そのまま一気に攻めようと武器を構えている。
勿論クリストハルトは抗議した。やるならこちらにも知らせておけ、と。
「だって王子同キャラドラ様と何か仲良くしてたし」
「いい囮でしたわ、殿下」
まったく悪びれない。そんな二人の姿を見て、もういいと彼は盛大な溜息を吐いた。気を取り直し、影の腕を振り回す以外の攻撃手段が取れなくなっている『カサンドラ』を見やる。攻撃力自体は変わっていない、当たれば終わりだ。だが、気を付けるのは『それだけ』、他に気を配る必要はもうない。
「……なら、囮ついでに攻撃も俺に任せてもらおう」
「へ? ……いいの王子? ドラ様と同キャラだよ?」
エミリーのその言葉は、軽い調子であったが目は真剣であった。英美里とクリストハルトで作戦会議をしていたあの時に見せたゲームの動画、カサンドラをクリストハルトが殺す、それを、擬似的とはいえやることになるのだ。絶対にやりたくないそれを、本物ではないとはいえ、自分からやっていいのか。彼女の目は、そう述べていた。
そんなエミリーを見てクリストハルトは苦笑する。くしゃりと彼女の頭を撫でると、心配するなと言葉を紡いだ。
「あいつはカサンドラではないだろう。それに……」
敵にならないなら、という条件をあいつは蹴った。それが恐らく主の意思なのだろう、だから無理だと、生成される身である《シャドウ・サーヴァント》だから仕方ないと言ったのだ。
そう。だから仕方ない。自分が選ぶのはカサンドラだ。クリストハルトの天秤の重さは、彼女に全ての比重が掛かっているのだから。
「それに?」
「そうね。仕方ないわね」
「ああ、仕方ない」
「え? 何? 何か今ので通じたの?」
「フルーエ。大丈夫だ。俺は、大丈夫」
「……分かりましたよーだ。あ、でもダメそうだったら飛び出すかんね!」
分かった分かった。そんなことを言いながら、彼は真っ直ぐに足を進める。迷いなく、あの光景を再現するために歩き出す。
移動を封じられた『カサンドラ』の前にクリストハルトが立つ。魔法陣に苛まれている彼女は、そんな彼を見て艶っぽい吐息を漏らした。
『殿下……こちらに、来たんですね』
「ああ。お前に近付かなければ決着がつけられないからな」
『他の二人は……』
「直接参加はしない。俺とお前の二人だけで、勝負を決めよう」
『ふ、ふふっ……お優しいのですね、殿下』
「買い被りだ。俺は自分の婚約者のことしか考えていない傲慢な無能だよ」
武器を構える。それを合図にしたかのように、巨大な影の腕は唸りを上げた。
それを横に跳んで躱し、追撃を前に駆けることで避ける。盾を進行方向に向け、引き戻された影の腕の直撃を避けた。それに合わせるように、その影に剣を振るう。ざくりと音がして、避けたその影から何かが吹き出した。
「確かに威力は驚異だが、その分動きは読みやすい。移動が出来ないことで選択肢も狭まっているからな」
『もう……ずるいですよ。身動きを取れなくして、わたしを嬲るなんて』
「馬鹿なことを言うな。すぐに、決めるさ」
足に力を込める。相手の影による攻撃の終わりに合わせ、クリストハルトは一気に距離を詰めた。それをさせまいと『カサンドラ』も影の腕を振るうが、近付かれたことで更に攻撃のバリエーションが狭まり、結果として彼に容易く躱されてしまう。せめて移動が封じられていなければ。そうは思ってもどうにもならない。回避ついでに攻撃を加えられた影の腕は、次第にその勢いを減じていった。
「ふう……。ここまで来れば、もう詰みだ」
『そう、思いますか?』
右手に持っていたハルバードを振るう。が、『カサンドラ』それはクリストハルトに防がれ、そして弾き飛ばされた。そんな余裕のない攻撃には当たらんよ。そう言いながら、しかし肩で息をしている彼は少しだけ口角を上げた。
『……どうします?』
「どう、とは?」
『胸を突きますか? それとも、首を刎ねます? 真っ二つにするならば、縦より横がいいですね』
「……諦めたのか」
『この状態で影の腕を振るっても、根本から切り裂かれておしまいですから』
そう言って息を吐いた『カサンドラ』は、左腕をしゅるしゅると縮め元の腕へと変化させた。服は最初の時点で破れたらしく、肩まで丸見えの状態だ。
「お前……」
『ふふっ。やっぱりこの顔とこの姿には興奮します?』
「言い方をもう少しだな……」
『いいじゃないですか。どうせ、もうすぐ殺されるんですから』
思わず言葉に詰まる。目の前の『カサンドラ』はクスクスと笑いながら、さあどうぞと手を広げる。それはさながら抱擁を待ち望んでいるようにも見えて。
思わず抱きしめてしまいそうになった自分を罰するように、クリストハルトは全力で己の顔を殴った。
『で、殿下?』
「ふう。よし」
『よ、よかったの!? 本当によかったんですか?』
「ああ、大丈夫だ。心配してくれて、すまない」
『……何で、お礼なんか言うんですか?』
くしゃりと、『カサンドラ』の表情が泣きそうなものに変わる。それを知ってか知らずか、クリストハルトは当たり前だと言い放った。自分は、魔物だからといって態度を変えることはない。そう言い切った。
「俺の基準はカサンドラの敵かどうかだ」
『だ、だったら何であの時はあんな……っ!?』
言いかけて、気付いた。あの時の会話の真意を、目の前の彼が何を持ってそう言っていたのかに、気が付いた。そして同時に、ならば、と己の主がやろうとしている嫌がらせや主の同僚の企みを思い返す。意思ある《シャドウ・サーヴァント》である自分には生成者であるアルメの持っている情報もある程度共有出来る。この姿に生成された理由も、作戦の変更も、そしてそこからさらに変更された指示も。これの後詰めにバーデンがやろうとしていることも、隠されていないので全部知っている。
それは全て、ここの面々がカサンドラの正体を知っていないことが前提だ。
『あ、はははははっ』
「ど、どうした?」
『いいえ。……わたしは、何であんな主の《シャドウ・サーヴァント》だったんでしょうか、って嘆いていました』
「嫌なら主替えすればどうだ? カサンドラなら良くしてくれるぞ」
『……そうですね。わたしの主が倒されたら、貰ってもらおうかな』
確定だ。思わず零してしまったのだろうが、あまりにもお粗末な口の滑らせ方である。それが何だか『カサンドラ』は可笑しくて、もう一度盛大に笑ってしまった。笑われた方であるクリストハルトは憮然とした表情だが、こればかりは許して欲しい。そんなことを彼女は思った。
『殿下。お願いがあります』
「……何だ?」
『キス、してください』
「はぁ!?」
『あの時は、してもらえませんでした。だから、キス、してください』
「それは……」
『駄目ですか? 殺される前の、最後のお願いなんですけど』
「ぐっ……」
はぁ、とクリストハルトが溜息を吐く。ガリガリと頭を掻きながら、仕方ないと彼女の肩を抱いた。愛しい婚約者と同じ顔がふわりと微笑み、彼も思わずどきりとする。そんな彼の顔を見て、『カサンドラ』は笑みを強くさせた。
『大丈夫です。内緒に、しておきますから』
「内緒にもなにも、カサンドラはここにいるだろう。……そろそろあの二人に救出されている頃だしな」
大丈夫だったのだろうか、と視線を動かそうとしたクリストハルトの顔を、『カサンドラ』は両の手で包む。自分以外を見ないように、固定させる。
『あの程度でどうにかなるならとっくに死んでますよ。だから、大丈夫です』
「それでもだ。愛しい婚約者を心配しないはずがないだろう」
『そうですね。……でも、今だけは、わたしを見てください』
「……分かった。誰にも、言うなよ」
『ええ。絶対に内緒にします』
主に行動記録を見られても、これだけは。あいつらの行動が、ここの連中を苦しめるための作戦が空回りするであろうということだけは、決して。
クリストハルトと『カサンドラ』の唇が重なる。戦闘を行っていたにも拘らず、彼女の唇は瑞々しく柔らかかった。ただ、カサンドラとはやはり違う。そう思った彼を責めるのは酷だろうか。
そうして暫し口付けを続けた二人は、そっと顔を離した。『カサンドラ』は微笑みを浮かべたまま、クリストハルトは表情を消し、剣を構える。
『ありがとうございます、殿下』
「ああ」
『ついでに、もう一つだけ我儘を言ってもいいですか?』
「俺が聞けることならな」
『顔は、傷付けないでくれますか?』
そう言って彼女は首と、胴を指差す。それを見ていたクリストハルトは、溜息を吐くと分かったと短く答えた。横に薙ぎ払うように剣を構え直し、そして横一文字に振り抜いた。
肉が裂ける感触とともに、目の前の少女の上半身と下半身が泣き分かれる。どさりと上半身が地面に落ち、下半身も崩れ落ちた。
『殿下……』
「なんだ?」
『今度は……――』
サラサラと『カサンドラ』が塵になっていく。それをじっと見詰めていたクリストハルトは、小さく呟いた。ああ、と述べた。
「……」
「どしたんですか? カサンドラ様」
体が崩れて消えていく『カサンドラ』を、カサンドラはずっと見ていた。あれが、もう少し先の自分の姿だと、確信を持って見詰めていた。はっきりと形になってそれが突き付けられたことで、否が応でも実感する。自分は魔物で、決して相容れぬ存在であるということを。向こうで何を話していたかはここからでは分からない、口付けをしていた姿はこの位置からでははっきりと見えなかった。だから彼女は、ただただ自分が死んでいくのを眺めていた。
「カサンドラ? どうしたの? 顔が真っ青よ?」
「い、いいえ。なんでも、ありません」
ゆっくりと頭を振る。そうだ、何もない。ただ、結末を客観的に見せられただけだ。
ああ、そうか、とカサンドラは思う。向こうの『嫌がらせ』は、こういう意味もあったのか。そんなことを一人納得した。これが現実だと、お前が人の側になどなれるわけがないと、そう見せ付けた。自分にとっては何よりの嫌がらせだ。
「終わったぞ。……か、カサンドラ!? どうした?」
「なんでもありません」
「なんでもない顔色じゃないだろう。……まさか、見ていたのか?」
戻ってきたクリストハルトも、カサンドラの様子がおかしいと声を掛ける。そしてやはりそう答えた彼女に。彼は嫌な予感がしてそう問い掛けていた。あの『カサンドラ』との最後のキスを見られていたのか、と。
カサンドラはクリストハルトの質問に首を縦に振った。自分が死んでいく光景を見ていたのか、そう問われたと思ったから、はいと答えた。
「待て、あれは」
「大丈夫です。わたしは、大丈夫ですから」
そう言うと彼女は踵を返し、ふらふらと歩いていく。エミリーはそんなカサンドラの痕を追いかけ、トルデリーゼは二人と隣を見てやれやれと頭を振った。
「殿下。一応言っておきます」
「な、何だ?」
「あなたのそれは勘違いです。カサンドラは、きっと――自分が殿下に殺される未来を予想したわ」
「ありえない」
「彼女の中では確たる未来なのでしょうね。……さて殿下、あなたの見せ所ですわよ」
言われずとも、とクリストハルトが駆けていく。それを眺めながら、トルデリーゼは小さく溜息を一つ。そうした後、反対方向を、『カサンドラ』が塵になった場所を見た。
「……まあ、いいわ。私にとってはどちらも一緒」
人でも、魔物でも。そういうのに関係なく。あの時に言った言葉をふと思い出しながら、ひょっとしてあの《シャドウ・サーヴァント》はそうじゃなくなったのだろうかとほんの少しだけ思いながら。
「あなたは私の親友よ、カサンドラ」
トルデリーゼ・ベーレントは、はっきりとそう言いきった。
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