第25話 失敗は、誰にでもある

 失敗は、誰にでもある。


 俺は小さい頃から、何度も両親にそう教えられてきた。


 だから一度の失敗でくよくよしたりするものではない、と言いたかったのだろう。一喜一憂すべきではない、と。

 確かにそのとおりではあるとは思うのだが。


 そう教えてきた両親が、あの人たちが、度重なる多額の借金を背負い、それを放って逃げ出したとなれば目も当てられない。説得力のカケラもない。

 失敗はしてもいいとは俺も思う。だけど、その失敗から何かを学ばないといけない。失敗は成功の母なのだ。その失敗を、次に活かすのだ。


 だが、今俺の眼前の失敗には活かすべき『次』があるのだろうか。


「一体いつ間に……」


 腕組みをして小さく唸る会長。

 つい先ほどまでとは打って変わって、緊迫し、重苦しい雰囲気の生徒会室。


 その理由はもちろん、俺が持つ『鍵』の紛失にあった。


「全然気づかなかった。やられたよ」


 誰かに追い詰められ、その結果『鍵』を奪われたならまだしも、知らない間に俺の手を離れているなんて思いもしなかった。

 やり場のない気持ちをどうにかしようとして、俺は長い息を吐く。


「和真。とりあえず、ズボンを保健室の洗濯機に入れてきたよ」

「悪いな」

「いいよいいよ。このまま乾燥機にかければ今日中にはきっちり乾くと思うし」


 未だに俺の下半身には会長から拝借したジャージをはいているのだが、こんなことがあったので変に意識するという気持ちはどこかに吹き飛んでしまっている。


「でもまさか……『鍵』が盗まれるなんてね……」


 秋人は口元に手を当てて考え込む。


「いや、まだ盗まれたと決まったわけじゃないだろ。もしかしたら俺がうっかりで落としてしまったってこともあるかもしれないし」

「それはそうだけど……」

「ただいま戻りました」


 再び扉が開く。今度は貝塚さんだった。

 静かに扉を閉めると、いつも通り抑揚のない声で続ける。


「先生に確認してきましたが、落し物で『鍵』は届いてはいないとのことです」

「そうか……」


 会長が肩を落とす。これで『鍵』が落し物として届いていたならどれだけ良かったか。


「でも、チェーンに繋いであるから、落とすっていう可能性は限りなく低いですよね」


 チェーンをよく見ながら、秋人が言う。俺もそれを覗き込んで、


「壊されたような形跡はない、よな」


 犯人は、きちんと外してから『鍵』を取ったということになる。もし犯人がいれば、の話だけど。


「ひとまず、どこかの部が手に入れたというのなら、その連絡を待つしかありませんね」

「そうだな……」


 もし『鍵』を狙う部が俺に全く気が付かれずに奪って……盗んでいったのなら、それは見事な手際だと言わざるを得ない。そして、きっと近いうちに勝ち誇った顔で俺たちの前に現れるに違いない。


「しかし、これだと私たちはどうしようもないな……」

「できてせいぜい、『鍵』がどこかにないか探すことぐらいですよね」


 自分の机に腰掛けながら、秋人が返す。


 秋人の言うとおり、誰かが名乗り出てくるまで、そうするしかないだろう。落とした、という可能性は限りなくゼロに近いとは思うが、それでも選択肢を潰すためにも、俺たちがとれる行動は今のところそれしか考えられない。


 考え込んでいると、チラと貝塚さんが俺を見てくる。


「先輩は本当にどこかに落としたりしてないのですか?」

「ああ。少なくともポケットから『鍵』がこぼれ落ちるようなことは何もしていない」


 ……と思う。普段、ポケットに手を入れたりすることはない。携帯は常時カバンの中に入れているので、ポケットの中には本当に『鍵』(とお守りのキーホルダー)しかない。


「それに、もし落としたとしてもチェーンに繋いであるから音が鳴ってすぐにわかるはずだし」

「そうですよね……」


 顎に手を当てて考え込む貝塚さん。


「和真、最後に『鍵』を確認したのは?」

「えっと……」


 俺は毎朝ポケットの中身をチェックしてるから……。


「今朝にはあったぞ」

「では最後に『鍵』の存在を認識したのはその時点、ということだな」

「そうなるな」


 もし盗まれたのだとしたら、今朝学校に着いてから今までの間、ということになる。


「しかし、困ったことになりましたね」


 はあ、と小柄な書記は息を吐く。


「すまん、俺がしっかりしていないばっかりにみんなに迷惑をかけることになって」

「和真は悪くないよ」

「そうですよ」


 俺は自分の目が丸くなるのがわかった。秋人はともかく、貝塚さんからそんなことを言われるなんて意外だったし。


「先輩はなんだかんだいって、しっかりしています。これはもう盗った人を褒めるしかありません」

「貝塚さん……」

「まあそれでも、先輩のせいで盗られたことに変わりはないですけど」


 この子は俺を励ましたいのか貶したいのかどっちなんだ?


「……ふむ」

「会長? どうかしたんですか?」


 先ほどから彼女はあごに指を当てて何やら考え込んでいる。もしかして何か打開策を思いついたのだろうか。


「諸君」


 そしておもむろに口を開く。


「『鍵』を手に入れたと申告してくる者が現れるまでは、このことは我々だけの秘密にしておこう」

「秘密……ですか」


「会長の言うことはもっともですね。誰に奪われたか判明しているならともかく、誰に盗られたのかも、そもそも盗られたのかすらわかっていないのが現状なわけですし」

「そうだな。もし部活の奴らに広まったら、騒ぎになることは間違いないな」


 数えきれないほどの部活の人間が生徒会室に押しかけてくる図が目に浮かぶ。


「それに『紛失』となったら生徒会の信用もガタ落ちでしょうね」


 俺たちは顔を合わせて頷く。どうやら全員、会長の提案には同意のようだ。

 隠し事をして、なんだか罪悪感に苛まれるが今はそんなことは言っていられない。


「では和真君。今日は念のため午後六時を過ぎてから部屋を出ることにしてくれないか。それならば『鍵』を狙われることはないだろう」

「了解。まあズボン乾くのを待たないといけないんでどっちみち帰るのは遅くなりそうだし」


 さすがに会長のジャージをはいたまま帰るわけにもいかない。いくらなんでもこれだとカッコ悪すぎる。


「じゃあ、今日のところはこれで解散にしておこう。みんな、くれぐれも『鍵』の件は他言無用だぞ」


 会長の言葉に、俺を含め他の生徒会メンバーは神妙な面持ちで頷いた。


「……」


 みんな口には出さないけど、きっと底知れぬ不安を抱えている。突然こんな事態に陥るなんて誰も予想していなかっただろうし。俺の中にも、黒いもやもやとしたものが沈殿してく感覚があった。なんだかすっきりしない。


 明日になれば、『鍵』を手に入れたと誰かが自慢げにやってくるのだろうか。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る