第13話 廊下は走るな?そんなの関係ねえ!

 早い話、俺は運動不足だ。

 だが普段から運動する習慣を身につけ、実践しておかないと、いざという時にすごく苦労する。


 そう。 

 いざという時―――誰かから、全速力で逃げる時だ。


「うおおおおお待てえええええいいい!」


 会長から『会計』の本当の役割について説明を受け、それを俺が一週間やり通すことを宣言した翌日。つまり木曜日。


 俺は、走っていた。力の限り。


「……っ!」


 放課後の校舎内。誰もいな廊下を走り続ける。上履きと廊下のリノリウムがこすれ、きゅきゅきゅと軽快な音を立てる。腰のあたりからは、『鍵』のチェーンが当たる音がチャリチャリと聞こえてくる。


 対して。

 後ろからは、ドスドスドスという重みのある足音が迫ってきていた。


「逃がさんぞぉぉぉ!」


 先ほどから俺を追いかけ回しているのは、柔道着に身を包んだ大男。そう、大男だ。身長は俺より高いのはもちろん、肩幅なんかは俺の二倍くらいありそうだ。初めは白かったであろう柔道着は、至る所が汚れている。それが、大男の強さの証のように思えた。


「大人しく『鍵』を渡せええい!」

「くそっ」


 柔道男に見つかって、逃走を始めてからすでに数分。彼我の距離はどんどん縮まっている。

 ごつい体格のくせに、なんて足の速さだ。このままじゃ追い付かれちまう。

 さっきから走り続けて、俺の息はすでに上がりきって限界まできている。


 この間のひったくりを捕まえた時みたいに短時間・短距離ならどうにかなるのかもしれないが、こんなにも縦横無尽に校内を駆け回っていては体力の誤魔化しはきかない。

 それに、追う側と追われる側とでは心境が違いすぎる。


「……はっ……はっ」


 必死に頭の中に校舎内の地図を思い浮かべ、逃走経路を考える。この先は階段だ。今いるのが二階だから、階段を下りてうまく姿を眩ませられれば、あいつを撒けるかもしれない。

 本当ならそこらの教室に入った方がうまく撒ける気がするのだが、いかんせん、うちの学校では放課後になると基本的に教室は施錠されるので、その方法は使えない。


 手前に階段への道が見えてきた。よし、ここを曲がって一気に階段を下りれば―――。

 しかし、俺の考えは甘かった。


「!」


 急ブレーキをかけ、その場に止まる。


「ふっふっふ、待ちわびたぞ」


 階段の前には、柔道着を着た男がもう一人いた。大木のような腕を身体の前で組みながら、仁王立ちしている。こちらの男も俺を追い回しているやつに引けを取らず、筋骨隆々だ。


「降参するんだな。『鍵』を渡してもらおう」


 男はニタリ、と笑う。


 まずい。待ち伏せされていたのか。

 別々に行動して、最初からここに追い込むつもりだったってわけね。

 頬を幾筋もの冷や汗が伝う。


 ぐずぐずしてはいられない。すぐにでももう一人が俺に追い付く。ここでもたもたしていては確実にやられてしまう。


「ならっ!」


 逃げ道は一つしかない。


 俺は進路を変え、男に行く手を塞がれている階段ではなく、廊下をそのまま走ることにする。


「このっ! 待てえ!」

「誰が待つかよ!」


 通せん坊をしていた男も加わり、当然俺を追う人数は二人になる。

 だが、この方が好都合だ。おかげでさっきのような待ち伏せサプライズには遭遇することはなくなる。


「逃がさん!」

「俺たちに『鍵』を渡せえええええ!!」


 しかしピンチであることに変わりはない。

 追いかけてくる足音の大きさが二倍になり、凄みを増す。その大きさはさながら道路工事でもしているかのようだ。小さい子が見たら泣き出すこと必至だろう。


 だが、俺は泣き言を言ってもどうしようもない。この窮地をなんとかして逃げ切らなければ。


「……!」


 その時、俺の頭にひとつの方法が浮かんできた。いや、降ってきたというべきだろうか。なんにせよまさにインスピレーションだ。


 追手との距離は……約五メートル。

 よし。


 俺は左手に見えてきた、南校舎への渡り廊下へと進む。

 校舎の廊下と違い、渡り廊下は両側の壁が窓になっているので、日当たりがすこぶる良い。今も陽光が廊下全体に光を与えている。その光の一瞬目を細めつつも、先へ進む。

 進路を渡り廊下に変え、曲がったことで一瞬やつらの視界から外れることができる。このチャンスを逃すわけにはいかない。


 迷っているヒマはない。

 数秒経ってから、大男二人組が渡り廊下に到達する。


「……どこ行った?」

「……見失ったな……」


 二人は俺の姿が見えないことに戸惑いつつも、きょろきょろと辺りを見回す。だが、俺の姿を見つけることはできないようだ。

 当たり前だ。ここはその辺を見回したくらいじゃ見つけられない。……だが、絶対安全ともいえない。


 俺は身体を屈め、息をひそめ続ける。

 これはある意味根比べでもある。あいつらが俺を探すことを断念してくれるかどうか。

 断念してくれない場合は――限りなく俺が不利になることは避けられない。


 頼む、今は見逃してくれ!


「……仕方ない。今回は諦めよう」

「そうだな、またチャンスはある」


 二人のそんな会話が聞こえ、足音が遠のいていく。静かになった廊下からは何の音も聞こえてこない。


 ……諦めてくれたってことで……いいんだよな?

 俺はそろりと、渡り廊下を見る。そこには男たちはおろか、人ひとり見受けられない。


「よし」


 立ち上がり、窓枠に足をかけて渡り廊下の中へと戻る。


 俺が隠れていたのは、渡り廊下のすぐ横にある屋根の上だ。

 渡り廊下の一階部分は生徒玄関になっていて大きく場所をとっているので、上部――二階部分には屋根が存在する。俺は窓枠を越えて屋根の上に屈み、あいつらをやりすごすことにしたのだ。


 とはいえ危険な賭けだった。もし見つかってしまったら、俺は屋根から地面へと飛び降りることを余儀なくされていた。まあ、二階の高さだからなんとか飛び降りれるとは思うけど。


「……さて、と」


 隠れていたおかげで息の方はだいぶ整った。今のうちに急いで安全地帯―――生徒会室に戻ることにしよう。

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