第八章・明日への道(その11)
期末テストが終ると生徒たちの話題の中心は、その後ですぐに行われる生徒会長の選挙の話になる。その生徒会長の選挙に立候補したのは、紫と愛里紗、光瑠の三人だった。
一年生たちの間では、紫が生徒会長の最有力候補と本命視されていただけに、愛里紗だけでなく光瑠までもが生徒会長に立候補したことで、生徒たちの間でも多少の波風が立った。特に光瑠はバスケ部でプレイしている姿や、前年の文化祭の劇でロミオの役を演じたことが、特に中等部の生徒たちの間でもかっこいいと評判になっていただけに、一部の生徒たちの中には光瑠に対して声援を送る者もいた。光瑠本人はこのような生徒たちの言動を、冷ややかな目で見ていたが。
その一方で愛里紗も勉強家として成績も良く、体操部で活動している実績もあるだけに、紫のお嬢様っぽさに反撥して愛里紗の方を支持する生徒もいた。潮音はこのような校内の雰囲気を眺めながら、誰が生徒会長になっても来年度は自分にとってひと波乱ありそうだと気をもんでいた。
それからしばらくして、生徒会長選挙の投票日になった。潮音自身誰に投票するべきか迷ったが、結局日ごろバレエなどを通して世話になることの多い紫に投票することにした。
投票が締め切られるとすぐに開票が行われ、愛里紗や光瑠もいい線までいったものの、三人のつばぜり合いを制したのは結局紫だった。潮音はさっそく紫にお祝いを言いに行ったものの、そこで紫は潮音に笑顔で答えた。
「新年度になったら、潮音にも生徒会の活動などでみっちり働いてもらうからね」
その紫の言葉には、紫と生徒会長の座を争った愛里紗と光瑠もニコニコしていた。潮音はそれを見て、新年度も前途多難になりそうだと内心でプレッシャーを感じずにはいられなかった。
生徒会長が紫に決まると、続いて新年度の生徒会の役員を決める作業が行われた。生徒会の副委員長には愛里紗と光瑠の二人が就任することに、生徒の間でも大きな異存はなかった。紫が愛里紗と光瑠に生徒会の活動を協力するように頼むと、二人ともにこやかな顔でそれを引き受けた。
書記には恭子が就任し、琴絵は広報を担当することになった。潮音は恭子もああ見えて書記の仕事はしっかりやりそうだし、生徒会の活動報告をしたり、体育祭などの行事を校内新聞などのような形で盛り上げることになる広報に琴絵は適任なのではと思った。
文化委員には百人一首大会で活躍した
結局潮音が引き受けることになった役職は庶務だった。庶務の業務は委員会の枠をこえて生徒会の活動全般をサポートすることだと紫は説明していたが、結局は雑用の担当係だろと潮音は内心で思っていた。しかし潮音は、紫はこれから勉強やバレエに加えて生徒会活動だってますます大変になるのだから、自分はどのような形でもいいから自分のできる範囲で紫のことを手助けしなければならない、それだったら庶務でも構わないと意を新たにしていた。
それ以外にも会計や校内美化、ボランティアなど様々な委員が決まっていき、委員会の役職の布陣が固まりかけたところで、生徒会室を訪れた二人の人影があった。それは昨年から一年間生徒会長をつとめてきた松崎千晶と、副委員長として千晶をサポートしてきた椿絵里香だった。千晶は委員会の役職について議論している一年生たちの姿を見るなり、きっぱりと口を開いた。
「みんなけっこう頑張ってるわね。峰山さんが中心になって、これからどのようにして学校をまとめていくか今から楽しみだわ」
千晶も絵里香も、このたび新しく生徒会長に選出された紫を信頼しているかのようなそぶりを見せたので、紫は気恥ずかしそうな顔をせずにはいられなかった。
「いや…先輩たちに比べたら、私なんてまだまだだから…。今だってちゃんとやれるか心配なんです」
紫が顔を伏せがちになったので、絵里香が紫をなだめるようにそっと声をかけた。
「大丈夫よ。私たちだって一年前はそうだったけど、みんなが協力してくれたおかげでなんとかなったから。何もかも一人で抱え込もうとしないで、任せられるところは他人を信頼して任せることだって大切よね」
潮音はこの絵里香の話を聞きながら、紫はたしかに責任感が強いのはいいところだけれども、今絵里香が言ったようにならないかと少し不安になっていた。そこで潮音は紫に声をかけた。
「紫も生徒会の活動が大変なときは何でも私に言いつけていいよ。…私なんて紫の役に立てることはこれくらいしかないから」
その言葉を聞いて、千晶もにこりとしながら潮音の方に顔を向けた。
「藤坂さんがそう言ってくれるとは頼もしいわね。藤坂さんは体育祭も文化祭もこれまでみんな体当たりで頑張ってきたから大丈夫だと思うよ。これから峰山さんや生徒会のことをよろしく頼んだわね」
千晶から「頼もしい」とまで言われて、潮音はますます気恥ずかしい気分になった。そもそも潮音は、自分が高等部から入ってきたにもかかわらず、すでに一年上の生徒たちの間にも名前が売れていることを意外に思わずにはいられなかった。自分は何も特別なことなんかしていない、ただ勝手のわからないこの女子校の中で自分なりになんとかしようと思って、この一年間無我夢中でやれることをやってきただけなのにと潮音は思っていた。
ちょうどそのとき、生徒会室の外でにぎやかな声がした。潮音は声を聞くだけで、その声の主がすぐに誰かわかった。生徒会室の入口に立っていたのは松崎千晶の妹で中等部に通う、松崎香澄だった。
高等部の生徒会室にまで香澄が来たのを見て、千晶は困ったような表情をした。高等部の生徒会長と剣道部の主将として校内に威厳を示してきた千晶も、香澄のやんちゃぶりは扱いかねているようだった。
「香澄、中等部の方はもういいの?」
「はい、今度の中等部の生徒会長は私に決まりました。これから姉に負けないような生徒会長になれるように頑張りたいと思います」
潮音は先のバレンタインデーのときに、香澄は自分が千晶の妹と見なされていることにプレッシャーを感じていると香澄の友達から聞かされていただけに、中等部の生徒会長に選ばれても変に気負わずに、明るく快活に振舞う香澄の態度にほっとしていた。
それから香澄はさっそく、高等部の生徒たちを見渡して尋ねた。
「で、高等部の生徒会長は誰になったのですか?」
香澄は紫が生徒会長に選ばれたことを教えられると、あらためて紫の方を向き直して丁寧にお辞儀をした。
「私もやっぱり峰山先輩が生徒会長になると思っていました。これから中等部と高等部の生徒会で協力しながら、行事やいろんなことをやっていかなければいけないと思うけど、これからもよろしくお願いします」
潮音は香澄のそのようなそぶりを見て、ずっしりと落ち着いた千晶に比べたらお調子者に見える香澄も、根はやはりしっかりしていると感じていた。しかしそこで千晶が、潮音を向き直して言った。
「藤坂さん、香澄から聞いたわよ。この前のバレンタインデーのときには、香澄や中等部の子たちを連れてチョコを買いに行ったんだってね。いつから香澄とそんなに仲良くなったのかしら」
そこで香澄は気づまりな顔をして、千晶の顔をしっかり向き直した。
「お姉ちゃん、あのときは藤坂先輩もバレンタインのチョコのことで迷っていたから、私たちと一緒にチョコを買いにいくことにしたの。藤坂先輩が一緒についていてくれたおかげで、私も気楽にチョコを買えたから、藤坂先輩のことを変に疑ったりするのはやめてほしいの」
その香澄の言葉を聞いて、千晶はとりすました表情で答えた。
「藤坂さんもバレンタインのチョコのことで迷ったりするとはね。ともかく香澄が迷惑かけてすまなかったわね」
「迷惑なんてとんでもない。私だって香澄がいなかったらチョコを買いに行けなかったと思うし、それ以外にもこの学校で香澄の明るさや元気さにはだいぶ救われているから…」
潮音が千晶に答えても、千晶は厳しい表情を崩そうとしなかった。
「香澄、生徒会長は明るさや元気さだけではやっていけないのよ。香澄も中等部の生徒会長として、もっと威厳と落着きを持ってしっかりしなさい」
そこで光瑠が、千晶をなだめるように言った。
「千晶先輩もそのくらいにしておいて下さい。そりゃ香澄ちゃんは千晶先輩の妹ということでいろいろ気負うところだってあるかもしれないけど、香澄ちゃんには香澄ちゃんの個性があるから千晶先輩の真似をすればいいというわけでもないし、香澄ちゃんらしい生徒会活動のあり方だってきっとあるはずだと思うから…」
「その『香澄らしい』ってどういうことなのか、もっとしっかり考えることね。ともかく私たちも一年生たちの邪魔して悪かったわね。まず最初は新入生の受入の準備をすることになるけど、しっかり頑張ることね」
そう言い残すと、千晶と絵里香は香澄を連れて生徒会室を後にした。その間際に、紫は千晶と絵里香に声をかけた。
「これからは私たちの学年が中心になって生徒会活動をやっていくことになるけど、三年生になってもいろいろ私たちのことを指導お願いします」
そこで絵里香は、紫たちの方を振り向きながら笑顔で答えた。
「もちろんよ。私たちの学年はこれから受験で大変になるけど、困ったこととかがあったらいつでも聞きにいらっしゃい」
千晶たちが立ち去るのを見送った後で、後片付けが一段落して解散する間際に、紫がみんなに声をかけた。
「ともかくこの春休みは、さっき千晶先輩も言ったように、新入生の受入れの準備が生徒会の初仕事になるわ。そのために春休みも何度か登校することになるけど、そのときはよろしくね」
春休み中も塾の勉強がある愛里紗は、その紫の言葉に少し気づまりな表情をしたが、潮音は二年生は修学旅行もあるし、これからますます大変なことになりそうだと思っていた。そこで潮音は、紫の顔を見ながらふと考えごとをしていた。
――高校生のうちに、わき役でもいいから紫と一緒にバレエの舞台に立ちたいって思っていたけど、果たしてその目標がかなう日は来るのだろうか…。
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