第五章・秋祭り(その6)

 翌朝になって目を覚ましても、潮音は漣のことが気がかりだった。そこで潮音は朝食がすむと、さっそく流風のスマホに電話をかけた。流風が電話に出ると、潮音は単刀直入に漣はどうしているのかを尋ねた。


「潮音ちゃん? 若宮さんのことが心配で電話かけてきたの? だったら大丈夫だよ。若宮さんもちゃんとおとなしくしてて、何もなかったから」


 潮音はその流風の言葉に少しほっとしたものの、それでも前日の晩、神社の鳥居の前で潮音と別れたときの漣のどこか寂しそうな表情が脳裏から離れなかった。そこで潮音は、手短に身支度を整えて、漣のいる敦義の屋敷へと向かうことにした。


 潮音が敦義の屋敷に着くと、さっそくモニカが玄関口で潮音を出迎えた。


「漣ちゃんはおとなしゅうしおるよ。せっかくうちに泊まったんやから、もっと流風とも遊べばいいのに」


 そこで潮音は、自分も幼い頃は綾乃と一緒によくこの敦義の屋敷を訪れ、時には一晩家に泊めてもらって夜まで流風と遊んだことがあったことを思い出していた。


 そのとき玄関口に、流風が姿を現した。


「潮音…やっぱり若宮さんのことが気になってるんだ」


「ああ、あの子の話聞いてるとなんかほっとけないよ」


「…潮音ちゃんって優しいんだね。夕べ若宮さんともちょっと話したんだけど、あの子はこれまで周りに自分のことを打ち明けられる人がいなくて悩んでいたみたいね。だから潮音ちゃんがあの子の友達になってあげるだけでも、あの子にとってはだいぶ心強いんじゃないかしら」


「『優しい』っていうのとはちょっと違うよ…オレだってもしかしたら、単に仲間が欲しいだけなのかもしれないな。とてもじゃないけど、あの子の悩みに対してみんな助けてあげられる自信なんかないよ」


 不安そうな表情で話す潮音を、流風は優しげな口調でなだめた。


「それだっていいじゃない。あんたが特に何かしようとしなくたって、ただそばにいてあげるだけでもあの子にとっては力になるはずよ」


「そううまくいくかなあ」


「だからそんなにクヨクヨしないでよ。潮音ちゃんだって男の子から女の子になっちゃって、いろいろつらい思いだってしたけれども、今ではこうしてちゃんと学校に行けてるわけでしょ? このことについては、あんたはもっと自信持っていいと思うよ」


 流風にそこまで言われて、潮音はいささか気恥ずかしい思いがした。しかしちょうどそのとき、寝間着代わりのスウェットスーツを着た漣が、潮音と流風のいる玄関口まで降りてきた。潮音の姿を目の当りにして、漣もかすかに驚いたような表情をした。


「潮音さん…どうしてここにいるのですか」


 漣のぎこちない態度や言葉遣いに、潮音は今一つ落ち着かないものを感じていた。


「そんなにかしこまった言葉遣いしなくてもいいよ。それに『潮音さん』なんて呼ばなくても、『潮音』でいいよ。その代わり私もこれからは『漣』って言うからさ」


 潮音が屈託のない表情で話すのを見て、漣は戸惑いの色を浮べた。潮音はその漣の様子を見て、いきなり漣に対して親しげな態度を取ることもできないので、なかなか接し方が難しいと感じずにはいられなかった。


 そこでモニカと流風が、ニコニコしながら二人に声をかけた。


「せっかくだから漣ちゃんももう少しこのへんを見てから帰らない? その前に漣ちゃんもちゃんと着替えないとね」


 流風までもがさっきまで「若宮さん」と呼んでいたのが、いきなり「漣ちゃん」と呼び方が変ったのには、潮音もやれやれとでも言わんばかりの表情をした。


 しばらくして漣は、パーカーにはき古したジーンズという、昨日流風の家に来たときの装いで現れた。そこでモニカは、みんなを家から少し離れたところにあるアウトレットモールに連れて行ってあげようと言った。


 潮音たちが敦義の屋敷を後にすると、すぐ近所の神社は秋祭りから一夜が明けて昨日の喧騒の影もなく、静まり返った境内では露店の片づけが行われていた。神社の向こうに広がる、青く澄みわたったぽっかりと高い秋の空が、この祭りの後の一抹の寂しさを一層際立たせているように見えた。その様子を見て潮音は、流風にぽつりと話しかけた。


「お祭りのときはこんなににぎやかなのに、お祭りが終るとなんかさびしいよね」


 そこで流風が答えた。


「だからといって一年中ずっとお祭りばかりやっているわけにはいかないでしょ? お祭りは一年に一回、たまにしかやらないから楽しいんじゃないかしら」


 その流風の答えに、潮音は納得したとも納得しなかったとも言えないような表情をした。


 神社の前を過ぎてアウトレットモールに向かう途中も、漣は寡黙な表情をしたままだった。そのような漣の横顔を見て、潮音はぼそりと漣に声をかけてみた。


「漣ってやっぱり…女の子の服着るのに抵抗あるんだ」


 潮音のこの言葉に対して、漣はためらい気味に答えた。


「むしろ潮音さんこそ、どうして昔は男の子だったのに、抵抗なく女の服着られるのですか」


 潮音は先ほど漣に対して、かしこまった言葉遣いをする必要ないと言ったにもかかわらず、漣が相変らずこのような言葉遣いで話すのに少しもどかしさを感じた。でもこれが漣のスタイルである以上、無理に直させる必要もあるまいと思って、そのままにしておくことにした。


「私だって去年、自分が男から女になってしまったときには、たしかにスカートなんか死んでもはくものかと思ってたよ。でもそのうちにだんだん、女物の服着たって自分は自分と思えるようになると、女の子の服着るのだっていやじゃなくなってきたんだ。そう思えるようになるまでに時間はかかったけどね」


「潮音さんって強いんですね。…ぼくは学校の制服以外でスカートなんか持ってないのに」


「強いなんて言われるつもりなんかないけどね。私は自分のやりたいようにやってるだけだよ。でもそれだったら、漣だって布引に行くときは制服着てるんでしょ?」


「制服なんだから仕方ないでしょ」


「女子の制服着るのがいやだったら、制服ない学校だってあるからそこ行きゃよかったのに」


「うちの伯母は布引の卒業生で、あまり断れるような雰囲気じゃなかった」


 潮音はこれまで漣は、あまり自己主張をせずに他人の言うことにおとなしく従うことで、なんとか周囲の人たちとの関係を保ってきたのかもしれないと思っていた。そこで潮音は、思い切って漣に話しかけてみた。


「漣はもっと、そうしたいと思うことに対してはそうしたいと言えばいいと思うよ。私がこうして女の服着てるからって、漣もそうしなきゃいけない理由なんか何もないし。ただ私は、漣はもうちょっとおしゃれしたらもっとかわいくなるのになと思うよ。表情だってそんなしかめっ面ばかりしてないで、もっとにこやかにしていればいいのに」


 潮音にそう言われて漣は、赤面して口を閉ざしてしまった。


 そうこうしているうちに一行は、明石海峡大橋を一望できる海辺にある、小ぎれいなアウトレットモールに着いていた。さっそくモニカは服の品定めを始めたが、ここで売られている服には高校生の小遣いでは手が出ない値段のものも多かった。そのせいもあって潮音は服屋の前で気後れを感じてしまったが、それは漣も同じようだった。潮音は流風がモニカと談笑しながら服の品定めをしているのを見て、自分はやはりそのあたりの感覚は流風には追いつけないのだろうかと考えていた。


 しかしそこで潮音は感じていた。もしかしたら漣は今のようなあか抜けない服ではなく、今ブティックのショーウィンドーに並んでいるようなかわいらしい感じの服を着せて、髪型も整えてメイクも施せば、案外美少女に化けるのではないかということに。


 そこから潮音たちは、アウトレットモールの中にある飲食店で昼食を取った。秋の静かな海の景色や、その彼方に見える明石海峡大橋を一望したときは、漣も少し満足したようだった。


 昼食が済むと、潮音はモニカや流風と一緒に、伯母の家に帰る漣を駅まで送っていった。漣が改札口を通って一人でホームへの階段を上がるのを見送ると、潮音は隣にいた流風に話しかけてみた。


「漣ってもっとおしゃれしたら、かわいくなりそうな気がするのにな…。あの子は外見には無頓着そうだけど」


 潮音がこう言うのを聞いて、流風も一気に笑顔になった。


「潮音ちゃんもそう思った? もちろんあの子の気持ちを考えたら無理強いはできないけど」


「たしかにそうだけどさ…だから流風姉ちゃんは、布引で漣のことをちゃんと見守っていてほしいんだ」


「わかったよ。でもそのためには、潮音ちゃんがちゃんと漣ちゃんの友達になってあげなきゃね」


 そこで潮音は、駅前で流風やモニカと別れて帰宅の途についた。

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