第五章・秋祭り(その3)

 潮音は昇と一緒に秋祭りに行くことを決めたものの、やはり重苦しい気分は抜けなかった。もともと神社の秋祭りには潮音も小さな頃から綾乃や流風と一緒に毎年連れて行ってもらっており、潮音がまぶたを閉じるだけで、街を練り歩く神輿やにぎやかな祭囃子が心の底に蘇ってくるような気がした。潮音が中学生になってからは、浩三をはじめとする男子の友達と一緒に祭りを見に行ったこともあったが、むしろそれだけに、今年初めて女の子として昇と一緒に秋祭りにいくことに対しては、どうしても潮音の心の中からは緊張と不安をぬぐうことができなかった。


 潮音はいっそ暁子や優菜と一緒に秋祭りに行こうかとも思ったが、もしそこで潮音が昇と一緒にいるところを暁子や優菜に見られても冷やかされるだけだろうと想像して、その案を打ち消した。


 そこで潮音は、紫のことを思い出していた。潮音も尚洋学園に通う秀才の昇と、勉強にもバレエにも秀でた才女の紫ならば、ちょうど浩三と玲花のようなお似合いのカップルになるかもしれないと思ったが、そうなると自分がこの二人から置いて行かれそうな気がしたので、紫を昇に会わせるのはやめておこうと思った。


 そのとき潮音の心中に浮んだのは、漣のことだった。潮音は漣の秘密を聞いて以来、漣のあまり他人と接しようとしない、内にこもりがちな様子がずっと気になっていた。そこで潮音は、思い切って漣を秋祭りに誘ってみたらどうだろうと考え始めていた。さらに潮音は、昇にだったら漣の秘密を打ち明けたとしても、昇は漣に対して偏見を持ったりせず、素直に漣と接してくれるという確信を持っていた。


 そこで潮音は、漣のSNSに連絡を入れて、漣に次の週末に家の近くの神社で秋祭りがあることを伝え、もし日程が空いているなら来てみないかと誘ってみた。すると漣も、この日なら空いているから、行ってもいいと言って潮音の誘いに同意した。潮音は引っ込み思案に見えた漣が自分の誘いに乗ってきたということは、やはり漣も自分のことを知ってもらって、気持ちを洗いざらい打ち明けたり、一緒に何かをやったりすることのできるような仲間がずっと欲しかったのだろうかと、内心で気になっていた。



 そして秋祭りの当日が来た。この日は空も青くすっきりと晴れ渡り、その空高くには絹のような秋の雲が浮んでいた。


 すでに十月になっていて、浴衣では少々寒いかもしれないとも潮音は思ったが、天気も良くて日差しも明るいので、夏休みにモニカからもらった浴衣で出かけることにした。潮音は綾乃に手伝ってもらって浴衣を着て、髪もセットし終ると、鏡に向かって気合を入れ直した。潮音は昇と一緒にお祭りに行く以上、服装も含めてあまりみっともない真似をすることはできないと思っていた。


 潮音は自宅を後にすると、隣にある昇の家に向かった。潮音が家の門の前でインターホンを押すと、玄関口で潮音を出迎えた昇の母親も、潮音のあでやかな浴衣姿に目を丸くした。昇の母親にまで浴衣を褒められると、潮音は心の奥底までもがこそばゆくなるような気持がした。


 しかし玄関口でしばらく待っていても、昇はなかなか玄関口に下りて来ようとしなかった。潮音がどうしたのだろうといぶかしみ始めた頃になって、昇が階段を下りてきたが、その昇の姿を見て潮音は呆気に取られた。昇は藍色をした男物の浴衣をきちんと着こなしていて、その整った顔立ちとも相まってなかなかクールで凛々しい感じがした。


 昇の方も、浴衣で装った潮音の姿にはどきりとしたようだった。昇は顔を赤らめながら、小さな声でぼそりとつぶやいた。


「藤坂さん…その浴衣よく似合ってるじゃん。かわいいよ」


 昇に言われて、潮音もすっかり戸惑ってしまった。


「湯川君こそ…浴衣着るとなかなかかっこいいのに」


 そのような潮音と昇の様子を、昇の母親もニコニコしながら見守っていた。


 そして潮音と昇は、草履をはいて昇の家を後にし、連れだって通りへと出た。しかし浴衣姿同士の潮音と昇は通りを行く人たちの目にはなかなかお似合いのカップルに見えたようで、注目を集めていた。潮音はそのような視線を感じると、いささか気恥ずかしい思いがしたので、昇と一緒に歩きながらも言葉少なにしていた。


 二人が神社に近づくと、神社の参道に沿って色とりどりの屋台も店を開いていて、香ばしいにおいが漂ってきた。さらに神社の境内は法被を着た男たちや、潮音と同様に浴衣で装った少女たちでごった返していて、にぎやかな祭囃子も聞こえてきた。


 潮音は神社で祭りを見る前に、祖父の敦義の屋敷にあいさつをしておきたかった。敦義の家は町の旧家として神社の氏子にもなっており、祭りの運営にも関わっていたからだったが、潮音が昇を紹介したらモニカや流風はどのような顔をするだろうかという思いもあった。それだけでなく、潮音は漣との待ち合わせの場所を敦義の家に決めていた。


 潮音が敦義の屋敷の玄関の戸を開けると、さっそく玄関口であでやかな色あいの着物を着たモニカが潮音を出迎えた。陽気な性格のモニカは潮音の浴衣姿を見るなり、「潮音もめっちゃかわいいやん」と素っ頓狂な声を上げたが、次いで潮音の傍らにいた昇に目を向けると、驚いたようなそぶりを見せた。


「潮音もいつの間にか、こんなかっこいい彼氏作ってるとはねえ」


 モニカの浮ついた態度に潮音はいやそうな顔をしたが、その傍らで昇が照れくさそうな顔をしながら手短に自己紹介を行うと、モニカはますます目を丸くした。


「尚洋に行っとるん? どうりで頭良さそうな顔しとるやん」


 モニカに言われると、昇はますます表情に戸惑いの色を浮べた。そこに浴衣を着た流風が、漣を連れて現れた。


「お母さんも少し落ち着いてよ。潮音ちゃんだって困ってるじゃない。ところで若宮さんももう来て待ってるよ」


 流風の隣にいた漣は、相変わらずパーカーにジーンズという、いまいちあか抜けない装いをしていた。潮音は昇にも漣のことを簡単に紹介したが、漣は潮音が昇と一緒に浴衣姿で現れたのを見て、内心でどきりとしたようだった。


「藤坂さん…もともと男の子だったのに、どうしてそんな恰好してるのですか?」


「以前は男だったからといって、こういう女物の服着ちゃいけないなんて決まりでもあるわけ?」


 その潮音の答えに、漣ははぐらかされたかのように感じて、ますます戸惑いの色を深くした。そこで流風が漣に話しかけた。


「若宮さん、私たちと同じような浴衣着ればとまでは言わないけど、せめて髪型くらいはそんなボサボサじゃなくて、もうちょっとちゃんとした方がいいんじゃない?」


 たしかに漣はあまり理髪店にも行っておらず、髪の手入れも十分にしていないようで、その髪型は前髪が伸びて重苦しい感じがした。漣は流風の言葉にどきりとしたような表情をしたが、そのときはもう遅かった。そのまま漣は流風とモニカによって、鏡台のある居間へと連れられていた。


 漣がモニカと流風によって髪型を整えられている間、潮音は昇を別の部屋に通すと、漣は潮音と同じように男の子から女の子になったことを洗いざらい打ち明けた。昇もその話の内容に驚いていたようだったが、潮音も自分自身が同じような経験をしているだけに、漣に対してはどのように接するべきなのか戸惑っていると明かした。


 さらに潮音は、モニカはあのように一見元気で若々しく、年齢も自分の母親と変らないけれども、実は祖父の敦義が高齢になってから再婚したフィリピン人で、自分とは血縁上は祖母にあたること、さらに流風は自分から見て叔母にあたることも全て明かした。昇は潮音の家庭もなかなか複雑な事情を抱えているのだなと思って、神妙な表情をしていた。


 そうしているうちに、漣が流風に連れられて潮音たちの前に出てきたが、その漣の姿を見て潮音ははっと息を飲んだ。漣は前髪を切りそろえられて髪全体にもブラシを入れられ、まつ毛にもマスカラを塗られたようで両目もぱっちりとしており、それだけでもだいぶ表情が明るくなったように感じられた。


 漣はそれだけでなく、服も軽やかな感じのする、秋物のニットと女物のパンツに着替えさせられていた。潮音はさすがに、漣はスカートには抵抗があるのだろうと思ったが、それでも漣はずっとこのくらいの恰好をしていた方が、何事に対しても積極的になれそうな感じがして、だいぶ周囲の印象も変ってくるのにと感じていた。


「若宮さん…だいぶ元気で明るい感じになったじゃん。よく似合ってるよ」


 潮音に言われると、漣は一瞬困惑したような表情をしたとはいえ、すぐにまんざらでもないような顔つきになった。流風も漣は今まで学校でもそのような顔をしたことなどあまりなかったかもしれないと思って、いつしか笑顔になっていた。


 しかしそれでも、昇はむしろ漣に対して気づまりな表情を向けていた。昇は漣に対して、どのように接すればよいのか戸惑っているように見えた。モニカもそのような昇の様子に気がついたらしく、昇を向き直して言った。


「湯川君やったっけ、潮音ちゃんから漣ちゃんのことについてみんな話は聞いたんやね」


 昇が軽くうなづくと、モニカは明るい表情でみんなをなだめた。


「漣ちゃんもいろいろ悩んどるのはわかるけど、今日一日くらいはそのような気難しいことばかり考えへんで、気軽に秋祭りを楽しんだらええやん。みんな漣ちゃんのことはあまり変に特別扱いせずに、もっと普通で自然につき合えばええと思うよ」


 モニカの元気な声色には、そこにいたみんな全員が表情を明るくした。そして潮音たちは、敦義の屋敷を後にして多くの人でにぎわう神社へと足を向けた。

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