第五章・秋祭り(その2)

 尚洋学園の文化祭の前日になるまで、潮音はそこに行くべきかどうか迷っていた。昇がわざわざ文化祭のパンフレットを自分にくれたということは、昇も潮音のことを気にしているという意思表示だということはわかっていたものの、昇の前に一人で顔を出すのは、やはり気後れがしてならなかった。


 学校で劇の練習が一段落して帰宅の途につこうとしてからも、潮音の戸惑いの色は抜けていないようだった。教室の前で潮音がばったり暁子と出会うと、暁子は潮音の顔色を見て心配そうな表情をした。


「どうしたの潮音。何か思いつめたような顔してるけど。劇の練習でどこかうまくいってないところでもあるわけ?」


「いや…そんなんじゃないんだ」


 潮音が答えに詰まっていると、ちょうどそこに優菜も現れた。


「潮音、劇の練習で疲れとるん? だったらはよ帰って休んだ方がええよ」


 優菜にまで心配されて、潮音はますます照れくさそうな顔をした。そこで潮音は、あらためて暁子と優菜に、昇から尚洋学園の文化祭のパンフレットをもらったことをやや遠慮気味に打ち明けた。


 その話を聞くなり、優菜は目を輝かせて身を乗り出してきた。


「尚洋の文化祭? おもろそうやな。尚洋やったらイケメンかていそうやし」


 優菜の嬉々とした表情に、潮音はいやそうな視線を向けた。優菜は男の子に対して何か変な幻想を抱いていると潮音は感じていたが、そのような潮音の様子を暁子はとりすました顔で眺めていた。


「行ってみりゃいいじゃん。せっかく湯川君が誘ってくれたんでしょ? あんたはもしかして、湯川君は自分に対して気があるんじゃないかとか思っているわけ?」


 暁子に言われて、潮音は口をつぐんでしまった。暁子はやはり、潮音は女の子として昇と接することに対して、戸惑いや抵抗をぬぐい切れていないのだろうかと感じていた。そこで暁子は、うじうじしたままの潮音に業を煮やしたかのように口を開いた。


「じれったいね。じゃああたしもあんたも一緒に行くよ。優菜も一緒にどう?」


「ええな。あたしもついて行くよ」


 優菜がすっかり乗り気になっているのを見て、潮音はやれやれとでも言いたげにため息をついた。



 その翌日の週末になって、潮音は暁子や優菜と一緒に尚洋学園の文化祭に向かった。すっかり上機嫌になっている優菜を、潮音はいささか冷ややかな面持ちで眺めていた。


「優菜って男子校ってイケメン男子がいっぱいいるとか思ってるのかもしれないけど、男ばっかりなんてむさくて騒々しくて汚いと思うよ。そりゃ尚洋はちょっとばかし頭のいい子が通っているかもしれないけど、そんなのあまり関係ないんじゃないかな。優菜ってイケメン男子の出てくるような少女漫画でも読みすぎたんじゃないか」


「あんたがそう言うと、なんか説得力あるよね。あんただって中学までは椎名君とかとつるんでバカなことばかりしてたんだから」


「余計なお世話だ」


 暁子が悪態をついたのに、潮音はむっとしながら答えた。そこで優菜が横から口をはさんだ。


「でも椎名君かて南稜の男子寮に入っとるんやろ。運動部の荒くれ者ばかりが集まっとるむさいところで暮らしとって、余計にガサツになってへんか心配やわ」


「それは南稜の水泳部でマネージャーをやってる尾上さんに任せるしかないだろうね」


 潮音もため息混じりに言った。


 そうこうしているうちに、電車は神戸の街の中心を通り過ぎて、尚洋学園の最寄駅に着いていた。潮音たちが電車を降りて、尚洋学園に歩いて向かい校門の前まで行くと、校内はすでに文化祭の来場者たちでにぎわっていて、どこからかバンドの鳴らす楽器の音色も聞こえてきた。


 そこで潮音たちは、さっそく昇の所属している高校一年のクラスの教室に向かった。しかしその教室に着くと、潮音は呆気に取られてしまった。昇のクラスで行われていた出し物は、女装メイド喫茶だった。


 潮音は日ごろはクールで真面目そうに見える昇が、このような企画に出ていることにいささか戸惑いを覚えたが、それでも覚悟を決めて教室の中に踏み込んでみると、メイド服を着てお茶を入れていた男子の中に、昇の姿もあった。


 潮音はその昇のいでたちを目の当りにして、思わず吹き出しそうになってしまった。さすがに周囲の目もあるし、何より昇がどのような気持ちになるかということを考えると、人前でゲラゲラ笑うような真似は控えなければと思って、潮音は必死に口の奥で笑いをかみ殺した。しかしそれでも、昇がメイド服を着て接客をしているのが、潮音にはどこかおかしかった。


 そうしているうちに、昇の方も潮音たちに気がついたようだった。昇は潮音に自分のメイド服姿を見られて、少し恥ずかしそうにしている様子ははた目にも明らかだった。潮音は暁子や優菜と一緒に教室に設けられた座席について、昇の出した紅茶やケーキを口にしても、昇の心中を思うといささか気分が重くなる反面、昇がメイド服を思ったほど違和感なく着こなしていることにも内心で驚いていた。そこで潮音は昇を手招きすると、そっと小さな声で昇にささやいた。


「湯川君…どうしてそんなかっこしてるんだよ」


 そこで昇も、ひそひそ声で潮音に耳打ちした。


「しょうがないだろ。うちのクラスの出し物はこれに決ったんだから」


 そこで潮音は、冗談めかして昇に耳打ちした。


「でも湯川君も、そのかっこ思ったより似合ってるじゃん」


 潮音の言葉に、昇は困惑したような表情を浮べた。しかし潮音にとっては、昇の落ち着きのない様子がますますおかしかった。


 紅茶とケーキを平らげて、潮音たちが昇のクラスの教室を後にしてからも、潮音のまぶたからはメイド服を着て困惑している昇の姿が離れなかった。潮音はニコニコしながら、暁子や優菜に話しかけた。


「湯川君ってメイド服着てもけっこう似合ってたじゃん」


 そのような潮音に、暁子と優菜はどこか呆れたような眼差しを向けていた。


「あんた、湯川君となんでそんなに仲良さそうにしてるのよ」


「ほんまやわ。いつの間にか尚洋の子ともそんなに仲良うなっとるんやから、潮音もなかなか隅に置けへんな」


 それから潮音たちは、文化祭の展示をいくつか見て回った。鉄道研究会や無線部といった、女子校にはなさそうなクラブの展示があるのも潮音たちの目には興味深かったが、一通り校舎内の展示を見終った後で、校庭に設けられたステージに足を向けた。しかしそこでも、女性アイドルグループの衣裳を着た男子生徒たちがアイドルの真似をして踊っていた。優菜はそれを、呆気に取られながら眺めていた。


「男子校ってこうやって、女装したりバカ騒ぎしたりするのが好きなんかな」


 それに対して潮音は、少々冷ややかな顔をして答えた。


「みんな面白そうにしてるんだからいいじゃん。男の子だけでこういうバカなことに盛り上がれるのもけっこう楽しそうだし」


 そこで暁子が横から口をはさんだ。暁子の目には、ステージを見るときの潮音の眼差しがどこか昔のことを懐かしんでいるかのように見えたのだった。


「そう思うのって、潮音がやっぱりもともと男の子だったからなの? もしかしてあんたって、今でも男の子としてこういう行事に参加したいとか思ってない?」


 その暁子の問いかけには、潮音も少々答えに詰まってしまった。


 それからしばらくして、尚洋学園を後にして帰宅の途についてから、潮音は電車の中で暁子や優菜に話しかけた。


「やっぱ尚洋みたいな男子校の文化祭ってパワーあるよね。うちもそれに負けないようにがんばらなきゃ」


 暁子と優菜もその潮音の言葉に共感したようだったが、そこで潮音はやや意地悪っぽくその二人にきいてみた。


「で、暁子や優菜は今日尚洋の文化祭に行ってみて、尚洋のイケメンの彼氏でもできそうなのかよ」


「潮音のバカ」


 暁子と優菜の両方に言われて、潮音は少々悪乗りしすぎたかと内心で反省した。



 翌日の月曜日、潮音は劇の練習が終って帰宅すると、自宅の玄関の前でばったり私服姿の昇に出会った。昇にとっては、今日が文化祭の振替休日で学校が休みで、ちょっと駅前の商店街まで出かけていたのだった。


 昇の姿を見るなり、潮音は慌てたような表情をした。


「あの…昨日の文化祭では、湯川君のことを笑いそうになったり、からかうような真似をしたりしてごめん」


「藤坂さんももっと落ち着きなよ。そんなこと全然気にしてないし、むしろ逆に藤坂さんが友達と一緒に来てくれて嬉しかったよ」


 昇が優しそうな態度を取るのが、かえって潮音に気まずい思いをさせていた。潮音は口にこそ出さなかったものの、昇が会えて文化祭でも女装をしたのは、まさか夏休みに自分が昇にスカートをはかせたりしたことの影響もあるのだろうかと内心で戸惑わずにはいられなかった。


 そうして家の門の前で潮音が昇を前に気まずそうにしていると、ちょうどそこに綾乃の姿も現れた。


「潮音はどうしたの? 湯川君の前でえらくドキドキしちゃってるじゃない。何か気まずいことでもあったわけ?」


「そんなんじゃないってば」


 潮音が語調を強めても、綾乃はとりすました表情を崩さなかった。


「そうだ。来週の週末は、海の近くにある神社の秋祭りがあるの。お神輿が町内を練り歩いてにぎやかだよ。湯川君も引っ越して来たばかりでこの街のこととか全然知らないんでしょ? 潮音が案内したらどうかしら」


 綾乃に提案されて、潮音はますます困ったような表情をした。それでも潮音は、これくらいしなければ自分と昇との間の溝を埋めることはできないかもしれないと思い直すと、綾乃の言葉に対して首を縦に振った。それを見て昇は、ちょっと困ったかのような表情をしてため息をついていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る