第一章・夏への扉(その3)

 潮音たちはハンバーガーショップを後にすると、さっそくショッピングモールの特設水着売場に向かった。


 水着売場には色とりどりの水着が多数陳列され、その中で若い女性たちが品定めをしていた。その光景を目の当たりにして、潮音は思わず身を引きそうになったが、ここまで来るともう引下がることはできないと思い直すと、覚悟を決めてぐっと息を吸い込み、水着売場に足を踏み入れた。


 しかしそこで玲花はさっそく、パレオがセットになった、ドットの柄の入ったビキニの水着に目を向けた。


「ちょっと尾上さん、さっそくそんな大胆な水着選ぶん?」


 優菜は目を丸くしていたが、玲花は周囲の戸惑いなどまるで気にしていないかのようだった。その間にも玲花は、色あいや形状の異なるビキニの水着を、何着か選んで手に取っていた。


 そこで潮音は、玲花がその軽快なドットの模様の入ったビキニの水着を身にまとった姿を想像していた。潮音はもし玲花がこの水着を着たら、均整の取れたプロポーションやしなやかな手足が十分に引き立てられ、水着の色や柄も玲花の健康的な肌の色にマッチしているのではないかと感じて、いやおうなしに胸の高鳴りを覚えずにはいられなかった。


 しかしその一方で、潮音は今玲花が水着を選ぶときの積極的な様子を見ても、玲花の方が自分が女であることを素直に受け入れて、女性として自分よりずっと前を歩いていることを感じ取って、気後れや後ろめたさを覚えずにはいられなかった。


 潮音がまごまごしていると、玲花が声をかけた。


「藤坂さんもそんなに緊張しとらんで、自分の水着選んだらええやん」


 玲花に言われても、潮音はただ水着を前にしてまごつくのみだった。そのような潮音の様子を前にして、玲花はじれったそうにしていた。


「そんなに迷っとるんやったら、いっそ思いきってこれにしてみたら?」


 玲花が示したのは、鮮やかなブルーを基調にしたビキニの水着だった。その玲花の思い切ったチョイスには、暁子や優菜もまごつきを隠せなかった。


「藤坂さんはせっかくスタイルええんやから、こないなの着ても十分に似合うと思うけど。胸のサイズなんか私より大きいくらいやん」


 玲花にまでそのように言われて、潮音は気恥ずかしさで顔を赤らめていた。しかし潮音は、玲花の積極的な様子を前にしては自分も引下がることができないと思い直すと、思いきって自分も玲花の勧めたビキニの水着を選んでみることにした。


「潮音…ほんとにそれでいいの? あたしだってこんな水着着る勇気ないのに」


 潮音のふっ切れたような表情には、むしろ暁子の方が不安げな色を浮べていた。


「ああ…こうなったら、いつまでも自分の殻の中に閉じこもってはいられないんだ。せっかく尾上さんも勧めてくれたわけだし」


「それならいいけど…あまり無理しないでよ。あんたが変に気張ってるの見てると、こっちまでつらくなってくるよ」


 しかし暁子は口ではそのように言っていたものの、内心では自分よりも潮音の方がビキニの水着が似合いそうなことに対して、複雑な思いを抱いているかのようだった。


 続いて優菜は、セパレートタイプとはいえ、フリルの飾りのついた玲花や潮音の選んだ水着よりはややおとなしめのタイプの水着を選んだ。


「やはりこういう遊びに行くときのための水着選ぶんは、いつも水泳部で泳ぐときとは違うよね」


 しかし最後まで水着選びにまごついていたのは暁子だった。暁子にはビキニの水着を選ぶことに対して決心がつかないようだった。その様子を見て、潮音がじれったそうに声をかけた。


「暁子こそ無理しないで、自分の好きな水着選べばいいじゃないか。ビキニじゃなきゃいけないわけじゃないんだし」


 暁子は潮音からこのように言われたことにいささかムッとしているようだったが、結局暁子はところどころフリルのついたワンピースタイプの水着を選んだ。


「アッコ、ワンピースの水着かて十分かわいいやん。アッコの着たい水着選ぶんが一番やで」


 玲花に言われて、暁子は少し照れくさそうにしていた。



 それぞれの水着を買って水着売場を後にすると、玲花はほかの三人に声をかけた。


「で、せっかくかわいい水着も買ったことやし、海やプールに一緒に出かけてその水着姿を見せたろうとかいう彼氏はおらへんの?」


 玲花がニコニコしながら話すのを、ほかの三人はいやそうな目で見ていた。


「尾上さんもしつこいな」


 優菜に言われると、玲花も悪乗りしすぎたかと思ったのか、少し気まずそうな表情をした。そこで優菜が口を開いた。


「ところでみんなはこの水着着てどこ行くん? 私は春休みに行った、アッコのおじいちゃんがおる島にもういっぺんいってみたいわあ。あそこやったら海水浴もできるんやろ?」


「ああ、私のおじいちゃんの家も潮音や優菜のことは気に入ったみたいだからね。もういっぺん潮音や優菜が行ってもいいかきいてみるよ」


 暁子の話を、玲花も興味深そうに聞いていた。


「その島、私も行ってみたいわあ…。でも私も、八月のお盆を過ぎた頃に水泳の高校総体があるからね。これは野球で言えば甲子園みたいなもんやけど、私もマネージャーとしてこの高校総体までは忙しいことになりそうや。それに加えてけっこう宿題も出とるし」


「南稜の進学コースはこのところ進学の実績を伸ばしてるだけあって、勉強も大変そうだよな。それでもマネージャーとしてしっかり椎名のことを支えてやってくれよ」


「藤坂さんはやっぱり、椎名君のことが気になるんやね」


 そこで潮音たちは、色鮮やかな浴衣が陳列されたショーウィンドーの前を通りかかった。一同は足を止めて、しばらくその浴衣の柄に見入っていた。


「一日くらいこんな浴衣着て、花火大会か縁日にでも行けたらええのにな」


 玲花の話にはみんな同感のようだったが、水着を買った後で浴衣まで買うのは、高校生の小遣いでは無理だった。



 三ノ宮から電車に乗ってそれぞれの自宅まで帰ると、潮音はさっそく買ったばかりの水着を取り出してみた。勢いでビキニの水着を買ってはみたものの、いざ自分にこの水着が似合うのかと言われるといささか自信がなかった。潮音は暁子ならともかく、玲花だったらビキニの水着だって難なく着こなしてみせるのだろうなと思うと、軽くため息をついた。


 潮音はこのような自分のグズグズした気持ちを断ち切るために、制服を脱いで畳むと、その水着を身につけてみた。


 潮音はあらためで自分自身の姿を部屋の鏡に映してみると、ビキニの水着が案外自分の体にフィットしていることに気がついた。それどころかビキニの水着はつややかな素肌や腹からヒップに至るまでのなだらかなラインや、しなやかな手足を余すことなく強調していた。潮音はもし自分が男の子のままだったら、このようなビキニの水着を着た女の子が目の前にいたら、自然と目がそちらに行ってしまうだろうと思った。


そのとき潮音は、玲花が先ほど選んだ水着を着て、抜群のプロポーションをあらわにした姿を想像していた。そして潮音は自分もこの水着を着て、玲花と一緒に海辺やプールに行けたらと思っていた。潮音は自分が男の子だった頃からほのかに抱いていた玲花の憧れが、再び心の中でかすかな炎となって燃え上がるのを感じていた。


 そこで潮音は、自分が男だったときよりも玲花のことを強く意識していることに気づいていた。しかしそこで潮音は、玲花には浩三がいるのだと思うことによって、玲花への未練を断ち切ろうとした。潮音はビキニの水着のまま、しばらく誰もいない部屋の中に立ちすくんではやる気持ちを抑えようとしていた。


 潮音は何とかして心の落着きを取戻すと、家族が帰ってくるまでにこの恰好をなんとかしなければと思って、水着からTシャツとショートパンツに着替えた。やがて外に暮色が漂いかけた頃になって、潮音の姉の綾乃に続いて母親の則子も帰宅してきた。


 そして夕食の準備が始まった頃になって、インターホンが鳴った。潮音が誰だろうと思って玄関に出ると、戸口にいたのは潮音の義理の祖母にあたるモニカだった。


「モニカさん…どうしたの」


「潮音ちゃんも夏休みやろ? だから今日は潮音ちゃんにとっておきのプレゼントをしようと思って来たんよ」


 そう言ってモニカは、ニコニコしながら潮音に一つの包みを手渡した。それをほどいてみると、落ち着いた水色を基調にした浴衣だった。


「この浴衣の色、すごくきれいじゃん」


 モニカの贈った浴衣の色や柄には、いつしか玄関口に来ていた綾乃や則子も目を見張っていた。


「まあモニカさん…この子のためにそこまでしてくれて申し訳ありません」


「ええんよ。私たちは潮音ちゃんのことについて責任があるのに何もできへんかったから。それより流風も浴衣持ってるから、この夏休みにみんなで浴衣着て花火大会にでも行かへん?」


 潮音はモニカのいつもながらの明るく陽気な人柄にほっとさせられるとともに、この自分が女の子になってはじめての夏はいろいろと騒々しいことになりそうだと感じて、心の中でやれやれと思っていた。

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