第七章・再会(その2)
その日から潮音はSNSで玲花と連絡を取り合って、なんとかして浩三と会うことができないかと交渉した。たしかに浩三は水泳部の練習が忙しく、しかも寮生活では外出や部外者との面会も自由にできないということは、潮音も十分承知していた。しかしそれでも、潮音はなんとかして、ほんのわずかの時間でいいから浩三と会う機会を作れないかと気をもんでいた。
『椎名は水泳部の強化選手の寮にいるからなかなか会えないのはわかるけど…なんだったら南稜の水泳部の監督に直談判でもして椎名に合わせてくれと頼んでもいいぜ』
潮音がこのような強気のメッセージを送ったのには、玲花も当惑したようだった。
『ちょっと藤坂さん、そんな無茶言わんといてよ。そんなことして会えるわけあらへんやん』
『そんなことくらいわかってる。でも自分は、人の目を盗んでコソコソ会うというのが性に合わないんだ。何も悪いことするわけでも無いのに』
『ほんま藤坂さんって真っすぐな性分なんやね。そこが藤坂さんのええところでもあるけど、ときには自分を柔軟に曲げてみるのも大切なんとちゃうの?』
『今はそんなこと話してる場合じゃないだろ。ともかく、何曜日の何時だったら椎名に会えそうか教えてくれ』
『そうやねえ…会えるとしたら今度の日曜の午後くらいかな。ちょうど高校の県大会の一週間前やけど』
『わかった。三ノ宮駅南口の広場に三時でいいかな』
玲花がこの日時ならなんとか都合がつきそうだと答えると、潮音は続いて玲花にメッセージを送った。
『でも尾上さんって椎名のスケジュールまで知ってるってことは、南稜でも水泳部に入ったの』
『いや、今は水泳部のマネージャーをやっとるんよ。南稜の水泳部には遠くからもトップクラスのスイマーたちが集まっとるし、とてもそんな人たちに混じって部員としてやっていける自信はないよ。マネージャーだって忙しいけど、けっこう充実してるよ』
『尾上さんの気持ちもわかるけど…期末テストが終ったら一緒にどこかのプールに泳ぎに行かないか。水泳部のマネージャーって、どんなことするのかも知りたいし』
『ええな。そのときはよろしくな。ともかく今度の日曜は私も行くからあまり心配せんといてよ』
そこで潮音と玲花は、SNSでの会話を終わらせた。潮音はその後もしばらくの間は、スマホを手から放そうとしなかった。潮音の心中では、自分はどのような恰好をして浩三に会い、そこでどのような話をすればいいのかという不安ばかりが募っていった。
そしてとうとう、問題の日曜日が来た。その日は雨こそ降っていないとはいえ、梅雨の真っ最中の空は雲が多く、どこかすっきりしない空模様だった。
潮音は家を出る時間が迫っても、どのような服を着て浩三に会うべきなのか戸惑っていた。潮音は女子としての生活になじむにつれて、ガーリーな装いをすることへの抵抗はなくなっていたとはいえ、このような装いで浩三に会ったら果たして浩三はどのような顔をするかと思うと、とてもガーリーな装いで浩三に会う気にはなれなかった。
そこで潮音は、いっそボーイッシュなポロシャツかTシャツにジーンズという装いで浩三に会いにいこうかとも考えた。しかし潮音がこのようにボーイッシュな装いをしたところで、それはかえって潮音の大きくなったバストやヒップを強調させるだけのように潮音には思えた。
潮音はこうやってウジウジしてばかりいてもしょうがないと思い直すと、思いきって高校の制服で出かけることにした。潮音にとっては、この制服こそが自分を下手に飾り立てることもなく、今の自分の姿を素直に表している服ではないかとさえ思えた。
潮音は制服を着終ると、身支度を日ごろ登校するときよりも念入りに行った。潮音が玄関に姿を現すと、綾乃は潮音の制服姿に目を丸くしていた。
「あんた…ほんとにその恰好でいいわけ?」
「ああ…椎名に今の自分がなんとかやっていることを知ってもらうためには、このかっこが一番いいと思ったんだ」
「だったら私ももう何も言わないわ。あんたが後悔しないようにちゃんとやりなさい」
潮音は綾乃の顔をしっかりと見据えると、深くうなづいた。そして潮音は黒いローファーに足を入れると、自宅を後にした。
潮音が電車に乗って、神戸の街の中心にある三ノ宮駅に向かう間も、不安がもやのように潮音の心の中を覆ったままだった。潮音は車内で目を伏せたまま、車窓を流れる淡路島や瀬戸内海も目に入らなかった。
しかしそのとき、潮音の隣の車輛には暁子と優菜が乗り込んで、息を潜めながら潮音に気づかれないように、潮音を遠巻きに眺めていた。玲花はSNSで、暁子と優菜にもこっそりこの日曜日に潮音と浩三が会うことを明かしていたのだった。
暁子と優菜は、互いに顔を見合せながら小声で耳打ちをした。
「潮音もまさか制服で来るとは思わんかったわ。椎名君がこのかっこ見たら、どんな顔するやろ」
「潮音にしてみりゃ、制服こそがデート服のつもりなのかもね」
潮音たちを乗せた電車が三ノ宮駅に着いたのは、約束していた午後三時よりもだいぶ早かった。待合せ場所に指定した駅前広場は、日曜日ということもあって多くの人でにぎわっていたが、潮音はその人ごみの中で立ったまま浩三を待つ間も、緊張のあまり心臓の鼓動が耳の奥まで届きそうな気がした。暁子と優菜は潮音に気づかれないように、潮音を遠くから見張っていた。
ようやく三時が近づいた頃になって、浩三が人ごみの中から姿を現した。そしてその傍らには、玲花も付き添っていた。
潮音はあらためて浩三を目の前にすると、浩三のがっしりとしたたくましい体格は中学生のときと変っていなかったが、陽気で豪放な性格でいつもクラスを盛り上げていた中学生の頃とは明らかに雰囲気が変っていることは一目瞭然だった。今の浩三は、明らかに表情に不安や迷いを抱えているように見えた。それは一部始終をこっそり遠くから見守っていた暁子や優菜の目にも明らかだった。
潮音はいざ浩三を目の前にすると、浩三にどのような言葉をかけていいのかわからないまま口をつぐんでしまった。暁子と優菜はそのような潮音の様子を見てじれったそうな表情を浮べたが、その重い沈黙を破るかのように、浩三が口を開いた。
「藤坂…お前本当に藤坂なのかよ。こんな女子の制服着て、髪伸ばして」
浩三は目の前の潮音の姿を見て、この制服姿の女子高生が中学校で一緒に水泳部で活動していた潮音の今の姿とはにわかには信じられないようだった。しかし浩三もしばらく潮音をまじまじと見つめているうちに、今の潮音の姿にも中学生のときの面影が残っていることを認めざるを得なかった。そこで浩三の動揺の色は、ますます深まっていくばかりだった。
浩三が潮音の今の姿をなかなか受け入れられないような様子をしていたのを見て、そばにいた玲花も思わず声をあげていた。
「椎名君…藤坂君、いやもう藤坂さんと言うた方がええやろうけど、椎名君のこと心配して今日わざわざ会いに来たんやで。そりゃ椎名君がそれを受け入れられへんのはしょうがないかもしれへんけど、藤坂さんの想いまで無にしてどないするの。それに椎名君も寮に外出届を出したけど、遅くならへんうちに寮に戻らなあかんのやで。藤坂さんもそんなに黙ってへんで何か言うてよ」
そこで潮音もようやく口を開いた。
「椎名…話は尾上さんから聞いたよ。スランプになって悩んでるんだってな。でも今江には水泳でインターハイに出るという目標があるんだろ。それをこんなことでくじけててどうするんだよ」
その潮音の話を聞いて、玲花はむっとした表情をした。
「藤坂さん、椎名君が水泳でトップになるためにどれだけのプレッシャーに耐えてきたかも知らへんで、『そんなこと』なんて言い方はないんとちゃうの? ともかくこんなところでずっと立ち話しとるのも何やから、どっか別の所行こか。そしたらお互いにちょっとは落ち着くやろし」
浩三と潮音も、黙ってそれに従った。暁子と優菜も、潮音たちに気づかれないようにこっそりと後をつけた。潮音は玲花について商店街を歩いている間、浩三が玲花にすっかりリードされていることが気になっていた。
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