第五章・体育祭(その7)
体育祭の翌日、午前中に本格的に後片付けを済ませると、潮音たち一年桜組はさっそく教室で打ち上げのパーティーを開くことにした。
クラスのみんなでジュースとお菓子で乾杯したとき、音頭を取ったのは担任の美咲だった。生徒たちは美咲のお調子者ぶりを見て互いに顔を見合わせたが、乾杯の後でさっそくおしゃべりが始まると、その中で高入生の美鈴は息をつきながら話していた。
「松風って入るまでずっとお嬢ちゃん学校やとばかり思っとったけど、松風の体育祭がこんなにハードな種目が多くて、エキサイトするとは思わんかったわ。でもめっちゃ楽しかったよ」
そのような美鈴の感慨を、中入生たちも納得したように聞いていた。そこには中入生と高入生との間の壁もなくなっていた。そこで暁子も、ぼそりと声を上げた。
「男女共学の学校だと、こういう体育祭では男子ばかりが盛り上がって、女子はサブに回っちゃうというところはあるのかもね。女子校だからこそ、みんなでこんなに盛り上がれるのかもしれないな」
そこで美鈴は、笑みを浮べながら口を開いた。
「そうかもしれへんけど…やっぱりイケメン男子と手をつないでフォークダンスもやりたかったな」
「まだ言ってるのかよ」
潮音は悪びれる美鈴に、呆れたような眼差しを向けた。
そうして話も盛り上がったところで、さっそく体育祭で特に活躍した生徒たちがコメントを行うことになった。
最初にコメントを行ったのはクラス委員長の光瑠で、今回の体育祭で桜組が優勝できたのはみんなが団結して頑張ったからだとお礼を言って皆をねぎらった。そのような光瑠のコメントには、クラスのみんなからも歓声が上がった。
次いでコメントを行ったのは紫だった。紫も体育祭を通してみんなで盛り上がれて楽しかったというコメントをしたが、生徒の間から「もう一回学ラン着てよ」という声が上がったのには、さすがの紫も当惑したような表情をしていた。
さらに陸上部の経験を活かしていろいろな種目で活躍した美鈴もコメントを求められたが、その次にコメントのお鉢が回ってきたのは潮音だった。
潮音が当惑気味に生徒たちの前に立つと、さっそく光瑠が潮音を紹介するコメントをした。
「藤坂さんは応援合戦でも積極的に自分から手をあげて練習に取り組み、クラスを盛り上げてくれました」
そのコメントに合わせてクラスの皆が拍手をしたときは、潮音は気恥ずかしい思いがしてならなかった。それでも潮音は、なんとかしてコメントの内容を考えついていた。
「私…中等部からいる子たちより三年遅れてこの松風に入ってきて、そこで自分が何をできるか、どうしたらこの学校になじめるかをずっと考えてきました。それで体育祭の応援合戦に出ることにしたわけだけど、こうやってみんなで頑張ったおかげで桜組が優勝できて、ほんとに良かったと思っています」
そう話すときの潮音はどこか照れくさそうにしていたが、一年桜組の生徒たちはそのような潮音を盛大な拍手とエールで迎えた。もはや潮音は、桜組の大切な一員であるということを疑う者はいないようだった。しかしその中で、暁子はどこか物寂しそうな顔で潮音を見ていた。
そうしているうちに、愛里紗たち一年楓組の生徒たちが桜組の教室を訪ねてきた。
「今年は惜しいところで負けたけど、来年は紫のクラスには負けないからね」
「ちょっと待ってよ。まだ来年のクラス分けがどうなるかもわかんないのに。でも来年もメイドさんのかっこで出るんじゃないでしょうね」
「それはまだわかんないね。ともかく来年は、あたしたちの学年が高二で学校全体の体育祭をしきることになるんだから、しっかりしないとね」
しかしそのとき、桜組の生徒の中から、応援合戦のときのポーズをもういっぺんやってほしいという声が上がった。愛里紗も困ったような表情をしながらも、制服のままそれに応じて、両手でハートの形を作ってみせた。
「萌え萌えキュン」
そのとき、そこに居合わせた生徒たちの間から歓声が上がった。
そして紫たち桜組の生徒たちは、そのまま応援団の要領とポーズで、紫に先導されながら声を出してエールを送った。
「フレーフレー、楓組」
それを聞くときの愛里紗も、まんざらではなさそうな表情をしていた。
体育祭が終って、校内は喧噪も去って徐々に落着きを取戻していったが、潮音に対する校内の生徒、特に中等部の生徒たちのまなざしは明らかに体育祭の前と変っていた。中等部の生徒の中には、明らかに潮音に羨望の眼差しを向ける者や、潮音に声をかけてくる者までいた。
潮音がそのような校内の雰囲気に戸惑っていると、光瑠がある日の昼休みに潮音に声をかけてきた。
「うちの学校では、体育祭で活躍した子は後輩からすごく憧れられるようになるのよ。共学の学校で、かっこいい男子の先輩に憧れるのと同じようなものかな。特に藤坂さんは、応援合戦に学ランで登場したのが効いたみたいね」
そう言う光瑠も、自分自身その体験者だと言いたそうにしていた。
「さらにうちの学校は秋に文化祭をやるけど、その文化祭の後にも活躍した生徒が学校中からちやほやされるということはあるわね。去年の文化祭で松崎千晶先輩が男役で劇に出て、女役の椿先輩と共演したところ、それがなかなかはまり役で、学校中で大うけだったんだから。ほかにもバンドを組んだりする子も人気出るわね」
潮音はその話を聞いて、今年の文化祭はどうなるのだろうかと、先のことながら気をもまずにはいられなかった。
それ以外にも、学ランを着た紫とメイド服を着た愛里紗がツーショットでポーズを取りながら写っている写真は、校内でみんなが見せ合ってニコニコしていた。紫も愛里紗も、それを見たときには困ったような表情をしていた。
そんなある日の放課後、潮音は教室で暁子を呼び止めて一緒に帰宅しないかと声をかけた。しかし暁子は、そのような潮音の誘いにもどこか浮かない表情をしていた。
「どうしたんだよ…暁子」
「良かったね。あんたも体育祭ですっかり人気者になれて」
そのときの暁子のつれない様子に、潮音は少し不安を感じた。
「どうしたんだよ…暁子。今日のお前なんかちょっと変だぞ」
しかし暁子は、潮音に言われてその場で口を開いた。
「前から思ってたんだけど…あんたってもしかして、女の子になれて嬉しい、いや、前からずっと心の中では女の子になりたいって思ってたんじゃないの?」
いきなり暁子にそのように問われると、潮音も後に引くことができなかった。
「どうしてそう思うんだよ」
「だってあんたって、今の方が男の子だった頃よりずっと楽しそうで生き生きしてるんだもの。物事に対して積極的に取り組むようになったし、好きなことは好きとはっきり言えるようになったし、人に対しても物怖じせずにつき合えるようになったし」
暁子にそこまで言われると、潮音も当惑の色を浮べずにはいられなかった。
「暁子…オレがそこまでできるようになるまでにどれだけ苦労したと思ってるんだよ」
その潮音の声を聞いて、暁子は思わず声を荒げていた。
「そんなことくらいわかってるよ。あたしはあんたのことずっとそばで見てきたんだから。でも今じゃ、あたしなんかよりあんたの方がよっぽどしっかりしてるんだもの。…あたしが体育祭で応援団に名乗り出たのだって、そうすりゃあんたに少しでも近づけるかもしれない、あんたのこと支えてやれるかもしれないと思ったからだった。でも応援団をやってみると、あんたの方がずっとみんなから注目されているんだもの。…そのときわかったよ。あたしとあんたの間には越えられない壁があるってことが。あたしが学ラン着てみたって、それでかえってあたしはあんたには追いつけないってことを思い知らされただけだった」
その暁子の言葉を聞いて、潮音はむっとしながら言った。
「なめてるのか? 暁子はオレとは違うなんて、そんなの当り前だろ。それ言ったらオレだってずっと男として生きてきたわけだから、暁子やほかのみんながずっと女として生きてきたようになんかできないかもしれない。だけどオレは今こうしてこの学校で、なんとかしてやってきているわけだぜ。ともかくそうやって、いつまでもウジウジ悩むのはよせよ」
潮音に強い口調で言われて、暁子は神妙な面持ちになった。
「あんなにグズで弱虫だった潮音が、あたしに対してこんな説教垂れるようになるなんてね。…でもあたしは、潮音にはいつまでも、ちっちゃなころからいつもあたしと一緒に遊んでバカやっていた潮音のままでいてほしいんだ。これってわがままかな」
「…そりゃオレだって、今までのままじゃいられないってことくらいはわかってる」
「あんたはこの学校で十分頑張ってきたと思うよ。でもだからこそ…あたしの前くらいでは変に無理せずに、ほんとの自分をさらけ出せるようになってほしいって思うんだ」
「それだったら、オレも暁子が何でも本音を打ち明けられるようにならなきゃな。…そういや暁子の誕生日って六月十八日だったっけ。もうすぐだよな」
「…あたしの誕生日、覚えててくれたんだ」
その瞬間、暁子は嬉しそうな顔をした。
「そりゃ暁子がちっちゃな頃には、いつも暁子の家で誕生会を開いてたもんな。姉ちゃんがケーキを焼いてくれたこともあったし」
「…そのケーキを、あたしを差し置いてたくさん食べてたのはあんたでしょ。でもあたしの誕生日だからといって、あんたが変に気を使ってくれなくたっていいよ。あたしはあんたが誕生日のことを覚えていてくれた、それだけで十分嬉しいから」
そう言ったときの暁子の顔は、十分とまでは言えないまでも、多少はわだかまりが晴れてふっ切れたたようだった。そのまま潮音は、暁子と一緒に帰宅の途につくことにした。
ちょうどそのころ、紫は軽やかな足取りで自宅に向かっていた。今の紫にとっては、電車に乗っている時間すらももどかしかった。
紫は通学カバンのほかに、ビニール袋を手にしていた。そのビニール袋の中には、紫が愛里紗を拝み倒して借りたメイド服一式が入っていた。
紫は愛里紗たちの楓組が体育祭の応援合戦にメイド服で登場したのを見て以来、自分もこのかわいらしい感じのメイド服を着てみたいという衝動に駆られていた。愛里紗もそのような紫の態度に呆れながらも、ジュース一本をおごった上できちんと洗濯して返すという条件で、メイド服を貸すことを認めた。
紫はその日はバレエのレッスンもなく、双子の妹の萌葱と浅葱も塾に行っていて自宅に居なかった。紫は帰宅するなり自室に駆け込むと、すぐに制服を脱いできちんとハンガーにかけた。そして紫ははやる気持ちを抑えながら、ビニール袋からメイド服を取り出した。
紫がまず白いストッキングに両足を通すと、それによってバレエで鍛えられて引き締まった脚線美がより強調されたように見えた。さらに紫はスカートをふんわりと広げるためには、フリルの飾りのついたパニエを着るのかと思いながらそれをはいてみた。そこから黒いワンピースを着て、その上からフリルのついた白いエプロンのひもを結び、さらにフリルのついたカチューシャを頭につけると、紫はその姿を部屋の姿見に映してみた。
しかし紫はメイド服を身にまとった自らの姿を見て、すっかりそれに魅せられてしまった。姿見の前で少しターンすると、黒いスカートがふわりと舞い上がるのでさえ、紫の心をどぎまぎさせた。
──かわいい…。もし私が学校でこんな服着たら、みんなどんな顔するかしら。愛里紗にはちゃんとお礼を言わないとね。
メイド服で装った自分の姿を眺めているうちに、紫は自然と笑顔を浮べていた。そのまま紫は、萌葱と浅葱が塾から帰ってくる時間が近づくまで、姿見の前でスカートの裾を持ち上げたり、応援合戦で愛里紗がやったように手でハートマークを作るなどして、様々なかわいらしいポーズを取り続けていた。
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