第三章・エトワール(その4)

 潮音が教室で恭子と言い争って以来、クラスの生徒たちの潮音を見る目は明らかに変っていた。中入生の中には、潮音は今までこの学校にはいなかったタイプの生徒だということを明らかに感じ取って、戸惑いや敬遠にも似たまなざしを向ける者もいたが、その一方で恭子に対して引下がることなくはっきりとものを言った潮音の潔さにひきつけられて、積極的に潮音に声をかけるようになった者もいた。


 そしてとうとう、潮音と恭子がテニスで勝負をする土曜日が来た。潮音はホームルームが終って早々に、クラブハウスで綾乃から借りたテニスウェアに着替えたが、それを見て暁子はいささか戸惑いにも似た声をあげた。


「あんた、こういうかっこもけっこう似合ってるじゃん」


 実際、スポーティなテニスウェアは潮音の体のしなやかさをあらためて強調していた。スコートから伸びた足は贅肉がなく引き締まっており、潮音が水泳部で練習を積んできたことをはっきり物語っていた。しかしその暁子の様子に、潮音はいささか冷淡な目を向けた。


「今は見てくれなんか気にしてる場合じゃないだろ。そろそろ行くぞ」


 そして潮音がラケットを手にテニスコートに向かうと、恭子はすでに待っていた。しかしそのテニスコートの外側では、潮音や恭子と同じ一年桜組の生徒たちが試合の様子を見物に来ていたのに、潮音はげんなりさせられた。そしてその中には紫の姿もあった。紫は潮音と恭子がケンカをした日はバレエの練習のために早く帰宅していたので、今回の騒動の原因が自分自身だということには気づいていないようだった。


 ゲームが始まると、恭子はコートの中を所狭しと走り回りながら、硬軟両様の技を使い分けて無駄のないフォームで巧みにボールを打ち返して、セットを奪っていった。潮音はむしろそれについていくのがやっとで、息が上がってしまった。


 何セットかプレイをしたものの、結果は潮音の惨敗に終った。潮音は覚悟を決めて、恭子に言った。


「やっぱりテニスでは長束さんにはかなわないよ」


 しかし恭子は、潮音の予想に反して潮音に手を差し伸べた。その表情は晴れ晴れとしていた。


「初心者にしてはここまでやれるなんて大したもんよ。私…藤坂さんのこと最初は峰山さんに変に構われて、はっきり言ってうっとうしいと思っとったけど、そうやって私にもまともにぶつかっていくところはけっこう好きやわ。あんたのことちょっとは見直したかな」


「長束さんって…峰山さんのことどう思ってるんだよ」


 潮音にそう言われて、恭子は照れくさそうに言った。


「そりゃ峰山さんって、あれだけ美人で勉強もスポーツもできて、生徒会で書記になった私にもずいぶん優しくしてくれて…」


 一人で舞い上がっている恭子を、潮音は呆れたようなまなざしで見ていた。


「そりゃ峰山さんがすごいなんてことは、小学校で一緒にバレエをやってたときからわかってたよ」


 その言葉を聞いて、恭子はますます上気したような表情で言った。


「ねえ藤坂さん、バレエやってる峰山さんってどんな感じなん」


「もう小学校のときの話だけどね…あれだけきれいでかわいく踊れる峰山さんはほんとにすごいと思った」


「私も峰山さんがバレエやってるとこ見てみたいわあ」


「ともかく、これ以上つまんないことでいがみ合うのはよそうよ。そんなことしたってかえって峰山さんに迷惑かかるだけだよ」


「…そうやね。この前は藤坂さんにあんなこと言ってごめんなさい」


「わかればいいんだよ…それに私、テニスやるのは初めてだったけど、やってみてなかなか楽しかったよ」


 そして潮音と恭子はテニスコートの上で握手を交わした。


 「でもテニスが終ったら、ちゃんとコートにブラシをかけるんやで」


 潮音も恭子と一緒にコートの整備を終えて、二人でクラブハウスでテニスウェアから制服に着替えて帰宅しようとすると、クラブハウスの前で紫が二人を待ち構えていた。


「恭子に藤坂さん、だいたいの話はさっき聞いたわよ。どういうことなの?」


 恭子と潮音が、いつもは温和な紫が腕を組みながら厳しい表情をしているのを見て、やばいと思ったときはすでに遅かった。そのまま二人は紫にクラブハウスの一室に連れ込まれて、こってり油を搾られた。



 学校から駅に向かう途中でも、恭子と潮音はすっかり打ち解けた様子で互いにおしゃべりを交わすようになった。


「藤坂さんもテニス部入るかどうかは別として、テニスの練習してみたらどないなん? もうちょっとうまなったら、いつでも相手したるで」


「そのときはお手柔らかに頼むよ。長束さんの方が断然テニスはうまいんだから。それより長束さんには、テニスの勝負に負けたら飯くらいはおごると言ったじゃん。…そんなに高いのは無理だけど、何がいいか言ってよ」


「駅前の喫茶店のケーキセットはおいしいって評判やからね。そのくらいでええよ」


 その様子を、暁子と美鈴は後ろを歩きながら遠巻きに眺めていた。二人とも潮音と恭子の関係には気をもんでいただけに、今の潮音と恭子の姿にはほっとしたようだった。


「あの二人、逆にかえって仲良うなってもたやん」


「ま、それでいいんじゃないの。雨降って地固まるというし。あたし、潮音のこういうさっぱりした性格は好きだよ」


 暁子は潮音の性格は昔と全然変っていないと思って、いつしか笑顔を浮かべていた。


「うちも最初は長束さんのこと好かへんかったけど、根は悪い人やなかったみたいやな。…ここは二人に任せて、うちらは帰った方がよさそうやね」


 美鈴もしんみりとした表情で言った。


 そして潮音と恭子は駅前の喫茶店に入ると、さっそくケーキセットを注文した。


「やっぱり運動した後のケーキはおいしいわあ」


「あまり食べると太るぞ」


「おいしいものは別腹や」


 そのまま琴絵と潮音は、中等部のときの出来事や先生のうわさ話まで、いろいろおしゃべりに花を咲かせた。話が紫のことになると、恭子がご機嫌な表情になってテンションが上がるのに潮音はげんなりさせられたが。


「私…長束さんのこと峰山さんにいつもベタベタしていやなやつだと思ってたけど、反省したよ。これからも一緒にがんばろうね」


「うちこそよろしゅうな」


 潮音がレジで恭子の分まで代金を払い、喫茶店を出るとそこでばったり紫に出会った。二人があわてふためいても、紫は落ち着いていた。


「さっきまで生徒会の用事があったからね。二人とも仲良くなれたみたいで良かったじゃん」


 潮音と紫が駅の改札口で恭子と別れて電車に乗り込むと、紫はさっそく潮音に声をかけた。


「藤坂さんはゴールデンウィークには何するか決めた?」


「いや…全然決めてないけど」


 そこで紫はにこりと笑みを浮かべながら言った。


「私はバレエのレッスンがあるから、もし暇があるなら、もういっぺん森末先生のところに来てバレエのレッスン見てみない?」


 その紫の表情に、潮音はいささかの戸惑いを覚えていた。

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