第三章・エトワール(その8)
さらに二人は海辺のショッピングモールに向かうと、そこで潮音は紫に服を選んでもらった。高校生の小遣いで買える服には限りがあったが、それでも潮音は紫に服を選んでもらえただけで、自分の見ている世界が変ったような気がして、かすかに胸の高鳴りを覚えた。
「藤坂さんってガーリーでかわいい服も似合うじゃん」
しかし潮音は、紫にまでそのようなことを言われると、いささか気恥ずかしい思いがした。
「自分がこんな服着るようになるなんで思ってもなかったけどね」
しかし潮音は、自分がいざ紫の服を選ぶ番になると、可憐でフェミニンなブラウスからカジュアルな感じの服までおしゃれに着こなしてしまう紫は、女性として自分よりはるかに先を行っていると感じて、気後れを感じずにはいられなかった。
次に二人は小物や雑貨を扱っているファンシーショップに行くと、紫はかわいらしい雑貨に目を輝かせて潮音とおそろいのものを買ったりした。
そして日もやや西に傾きかけた頃になって、紫は潮音を海辺にある観覧車に誘った。
「これに乗ってみない?」
辺りを見渡すと、観覧車を待っている客には家族連れのほかに、男女一組のカップルもけっこう目についた。潮音は気恥ずかしさを覚えながらも、紫と二人でゴンドラに乗り込んだ。
ゴンドラのドアが閉められると、神戸港の眺めは見る見るうちに小さくなっていき、新緑のまばゆい六甲山も眼前に近づいてくるように見えた。それらを眺めている紫の表情を見て、潮音はますます紫のことがわからなくなっていった。
──峰山さんっていつもはオレよりもずっと態度も落ち着いていて大人っぽいのに、時折こうやって子どもみたいな無邪気で大人げない顔をするんだよな。
そこで潮音は、気恥ずかしそうにもじもじしながら口を開いた。
「あの…峰山さん、今日は誘ってくれてありがとう。楽しかったよ」
「だから言ってるでしょ。そんなに気兼ねすることないって」
「オレ…高校入って初めて、しかもこんな形で女の子とデートすることになるなんて思ってもいなかったよ」
そこで紫は、いきなり神妙な表情を浮かべて言った。
「今日のこれを『デート』と言うのかしら。藤坂さん…もしかして今でも、自分のことは男だと思ってるの? ときどき自分のことを『オレ』と言ったりするし」
「…わかんないね。少なくともそうだったら、こんな服着て今日みたいに遊んだりしてないよ」
そこで紫は、あらためて潮音の方を向き直した。
「私…藤坂さんが男の子としてバレエに通ってた頃から、藤坂さんのことはちょっと気になってたんだ。たしかに男の子がバレエ教室に通ってるのは珍しかったということもあるけど、それでもまじめに練習する藤坂さん…いや、そのころは藤坂君と言った方がいいかな…のことはちょっと好きだった。しかし小学校を卒業するころになって藤坂君がバレエをやめちゃって、それからいつの間にか私も藤坂君のことを忘れかけてたけど…それがこんな形でもう一度私の前に現れるなんて」
紫に真意を打ち明けられて、潮音は当惑の色を浮べた。
「これって告白のつもりなのかよ…。峰山さんって…オレが女になってしまってやはり残念なわけ?」
「でも、そうなっていなければ、私が藤坂さんと再会できることなんかなかったわけだしね」
そう言うときの紫の表情は、どこか複雑そうだった。そこで潮音は、あえて紫に意地悪な質問をぶつけてみた。
「峰山さんって、彼氏とか作らないの?」
紫は潮音がいきなりこんなことを聞いてきたのにあわてふためいたが、潮音はそのような紫の表情を見てニヤニヤしていた。
「そんなことどうだっていいでしょ」
「峰山さんくらい美人で何やっても優秀だったら、彼氏なんてすぐできるよ。このオレが言うから間違いないよ」
潮音はいつもはお嬢様然として落ち着き払った態度を取っている紫が、気恥ずかしそうにしているのを見てどこかおかしく感じた。しかしそこで、紫がマッチョで体育系タイプの椎名浩三はともかくとして、湯川昇と付き合うようになったら、クールで理知的な昇とはいいカップルになってしまうかもしれないと感じて、潮音は心の奥でいささかの不安を覚えた。
紫はそのような潮音の複雑な心中などそ知らぬかのように、少々照れ気味に答えた。
「もう…あまり変なこと言わないでよ。でもそれを言ったら、藤坂さんこそ石川さんとだいぶ仲良さそうだけど」
潮音が顔を赤らめるのを、紫はしてやったりとでも言わんばかりの表情で眺めていた。潮音は語調を強めながら紫に答えた。
「暁子とはそんなんじゃないってば。暁子とはちっちゃな頃から家が隣同士で一緒に遊んでたし、それにオレがいきなり女になってしまったときだってだいぶ暁子には助けてもらったから…。正直に言って、暁子がいなかったら今こうして、高校なんか行けてないと思うよ」
「そう思うなら、これからも石川さんのこと大切にしてあげてね。石川さんだって高入生でだいぶ緊張してるみたいだから、藤坂さんに救われてるところはあるんじゃないかな」
そこで潮音は、暁子の勝気な表情を思い浮かべて気恥ずかしさを感じていた。紫はそのような潮音にそっと声をかけてやった。
「ともかく今まで松風には、藤坂さんみたいなこと言う子はいなかったわ。それだけでも、藤坂さんとまた会えて良かったのかもね」
そうこうしているうちに、観覧車のゴンドラは頂上の近くまで登っていた。潮音と紫は、ゴンドラの窓からすっかり小さくなった神戸の街や港の景色、そしてさらにその彼方で午後の陽ざしが海の波間を照らすのをじっと眺めていた。
観覧車のゴンドラが再び乗り場に戻ったころには、初夏の太陽も傾きかけていた。潮音と紫は、帰宅するために駅に向かったところで、ばったり見知った顔に出会った。その姿は榎並愛里紗だった。
「あんたたち、二人でそんなチャラチャラしたかっこして何やってたの」
そういう愛里紗は、この二人に比べたらだいぶ地味な装いをしていた。そこで紫も、いささかむっとしたように答えた。
「私たちが休みの日に何したって自由でしょ」
「私は今日だって塾に行ってたんだからね。それなのにあんたたちはフラフラしてていいの」
「榎並さんも勉強に部活と、ちょっと無理しすぎじゃないの? もうちょっと肩の力を抜いて自然にすればいいのに」
「私は峰山さんとは違うの」
そう言い残して、愛里紗は改札口の中へと消えた。
潮音と紫は、二人で電車に乗って自宅に戻る途中も、言葉少なにしていた。そこで潮音が、ぼそりと口を開いた。
「榎並さんって…休日も塾で勉強するなんてすごいよね」
「あの子はすごい努力家だからね…だからこそ体操部でも実力を出せたわけだけど。でもあんなに肩肘張らずにもっと素直にしてりゃいいのに。せっかくあの子はいいものを持ってるんだから」
そこで潮音は、車窓を流れる海をじっと見つめながら言った。
「ねえ峰山さん…いつか峰山さんの家に行ってもいいかな。皆山さんの双子の妹にももっと会ってみたいし」
「そりゃいいけど…連休が明けたらそろそろ中間テストでしょ。その前に勉強がんばらなくちゃね」
潮音はここで、紫に一本取られたような気がしていた。しかしそこで、潮音は先ほど駅でばったり目にした、愛里紗の表情がいつまでも気になっていた。潮音は愛里紗も、実はこの学校の雰囲気について行くために必死になっているのかもしれないとふと思って、それは自分も一緒ではないかと感じ始めていた。
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