第三章・岐路(その6)
暁子と潮音は、しばらくの間互いに視線を合わせることができなかった。暁子はその気まずい空気を振り払おうとするかのように、ぼそりと口を開いた。
「潮音…その制服どうしたの」
「このセーラー服…尾上さんのお姉ちゃんのものを譲ってもらったんだ」
「でも潮音…こうしてみるとけっこうかわいいじゃん」
「その『かわいい』と言われるの、今日で何回目だよ。ほかに何か言うことないのかよ」
そこで潮音があらためて暁子を見返すと、暁子はブルゾンに青いジーンズという快活な装いである。
「暁子だって人のことかわいいとかなんとか言ってるけど、学校の制服着てるとき以外はいつもジーパンばかりなのに」
「いいじゃん。あたしはジーパン好きなんだもの。言っとくけど、それなりにおしゃれには気を使ってるつもりだからね。…それに見てよ。綾乃お姉ちゃんは脚がすらっとしてるからいいけど、それに比べりゃあたしなんてダイコン足だから」
はじめは潮音の言葉にふくれっ面になった暁子も、話し終るころにはどこか気恥ずかしげな表情を浮かべていた。
「確かにそうだよね」
「バカ」
そう言って暁子は潮音を軽くひっぱたいた。綾乃はそのような二人の様子を、半ばため息混じりに眺めていた。
「暁子ちゃんはもっと自分に自信を持った方がいいと思うよ。そうすれば今までできなかったこともできるようになるから。そうやってしゃきっとしてたら、どんな服だって似合うようになるよ」
潮音はこの綾乃のセリフを、あたかも自分のことを言っているかのように聞いていた。そして暁子の方を向き直すと、潮音はいつしか自分と暁子との間に、妙に親近感を感じていた。
──オレももしかしたら、暁子と一緒なのかもしれない…。
そこで潮音は、戸惑い気味に口を開いた。
「もう今の自分はどんな服着ればいいのかわかんなくなってさ…。高校だって男子として通うか、女子として通えばいいのかさえわからないし…。でも何で女ってスカートなんかはくんだよ。今の季節は寒いし走りにくいし、すぐにめくれそうで落ち着かないし」
潮音がそう言うと、綾乃はにんまりとしながら言った。
「たしかに男の子はそう思うかもしれないね。でもあんただって、今まで学校で女の子の生足見ながら喜んでたんでしょ?」
そう言われると、潮音も返す言葉がなかった。
「動きやすけりゃいいっていうのなら、クマゴロウみたいにずっとジャージ着てりゃいいでしょ」
ちなみに、「クマゴロウ」というのは、綾乃が在籍していた当時からずっと夕凪中学にいる体育教師のあだ名である。「クマゴロウ」という名前を聞いて、暁子も少し笑顔を浮かべた。
そして綾乃は、まだ戸惑った表情を崩そうとしない潮音に声をかけた。
「どうせ勉強が手につかないのなら、ちょっと来な」
綾乃は潮音を自分の部屋に通すと、暁子もその後からついてきた。そして綾乃は、クローゼットの中から制服に形の似たタータンチェックのプリーツスカートを手に取って、潮音の目の前で広げてみせた。
「これにはきかえてみな」
綾乃に言われても、潮音はもじもじしていた。
「でも…スカートって足寒いんだけど」
「だったらこれはくとあったかくなるよ。ひっかけて伝線させないでね」
そう言って綾乃は、潮音に黒っぽいパンストを手渡した。潮音がセーラー服を脱いで下着姿になると、綾乃がパンストを手繰ってはき方を教えてやった。潮音が綾乃の手助けを借りながら、なんとかゆっくりとパンストを腰まで引き上げると、下半身全体をナイロンの薄い繊維で覆われる感触に思わず息をのんでしまった。
潮音があらためて自分の下半身を見下ろすと、スレンダーな両脚は黒いパンストによってラインを引き締められ、そしてそのつややかな生地からは両脚の素肌が半ば透けて見えて、陰影がいっそう際立って見えた。潮音はその両足が自分のものではなくなったかのような気がして、思わずパンストの中で足の指をこちょこちょと動かしてしまった。ボクサーショーツの上から腰の真ん中に通った一本の縫い目さえもが、潮音の心をどぎまぎさせた。
そして潮音は息をつく間もなく、綾乃によって淡いトーンのカシミアのセーターとプリーツスカートという恰好にさせられてしまった。潮音の姿が一変したことに暁子も戸惑いを覚えずにいられなかったが、そこで綾乃が潮音に声をかけた。
「ちょっと待ちな。いくらかわいい服着たって、こんな男の子みたいな髪型じゃいまいちパッとしないわね」
「私はこういうショートだって悪くないと思うけどな。運動部に入っている女の子の中には、これくらい髪短くしてる子だっているよ。潮音がいいと思うような髪型するのが一番だよ」
暁子はこう言ったが、そのそばから綾乃は何かを取り出していた。それはストレートロングヘアのウィッグとウィッグネットだった。
「このウィッグは私が持ってたのよ」
暁子も綾乃が手に持っているウィッグを興味深そうに眺めていた。潮音は内心でぎくりとしたものの、もはや綾乃の手から逃れることはできなかった。
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