第二章・カミングアウト(その1)

 十一月も終りに近づくと、夕凪中学の校内でも落葉樹が色づいて葉を落し、晩秋の柔らかい陽射しも教室の窓から奥まで差込むようになる。眼下に見える明石海峡の色も、より深みを増してくるように感じる。


 そんなある日の昼休み、石川暁子いしかわあきこは教室で親友の塩原優菜しおばらゆうな尾上玲花おのえれいかと一緒におしゃべりに花を咲かせていた。


「優菜ってやはり松風に行くの? 松風ってなかなかのお嬢様学校じゃない」


 ちなみに、暁子の話の中に出た松風女子学園は神戸でも古い歴史を誇る名門女子校であるが、高校から入学する生徒より、併設されている中等部から進学する生徒の方が数が多い。


「うん…私は中学入試も松風受けたけど落ちたからね。だから私は高校でもう一回挑戦してみようと思うとるねん。中学受験のときは布引女学院受けようかとも思たけど、あそこは中高一貫で高校からは生徒募集しとらへんし」


「たしかにあたしも松風の入学説明会に行ったけど、松風は校舎もきれいで制服もかわいいし、なかなかいい学校だよね。あたしも松風行ってもいいかなと思ってるんだけど。でも布引の夏服も、薄い青のワンピースでかわいいよね」


 暁子と優菜が松風女子学園の話題で盛り上がるのを聞いて,玲花も口を開いた。


「でも松風も布引も女子校やろ? なんか女の子ばかりでつまんなさそう。私はやはり共学の方がええわあ」


「共学やからといって、かっこいい彼氏できて楽しい高校生活送れるわけやないやろ」


 優菜がツッコミを入れると、玲花は少しおどけた表情をした。そこで暁子は玲花にたずねてみた。


「でも尾上さんは南稜の進学コースに行くんでしょ? あそこも最近進学率だいぶ上がってて、志願者数も増えてるじゃん。それにあそこは校風自由で制服もないし」


「ところで南稜というと、椎名君はスポーツ推薦で南稜行くんやろ? これから水泳部で練習すればインターハイかて行けるかもしれへんとか言われとるやん」


 優菜が話題を浩三のことに振ると、玲花は少し顔を曇らせた。


「その椎名君のことなんやけど…最近ちょっと元気あらへんのが心配や。椎名君がああなったんは、藤坂君がいきなり学校で倒れて入院してからやけど」


 そこで暁子も、心配そうな表情をした。


「確かに椎名君、元気ないよね。これまで騒々しくて悪ふざけばかりしてた椎名君がああなって、少しは教室も静かになったかもしれないけど。でもあんなに元気ない椎名君なんてかえってらしくないよ。椎名君ってせっかく尾上さんともいい仲で、うちの学年のベストカップルとも言われてたのに」


「バカ…そんなんやないってば」


 玲花は顔を赤らめていたが、その傍らで優菜はますます浮かない表情になっていた。暁子はそのような優菜の姿に気詰りなものを感じて、ふと顔をそらすと、潮音しおねの席が暁子の目に映った。その席は潮音の入院以来坐る者もなく、教室の中でぽっかりと空いたままになっていた。暁子につられて優菜も潮音の席に目を向けると、暁子に問いつめるように声をかけた。


「ねえアッコ、ほんまに藤坂君のこと何もわからへんの? 今の時期にいきなり病気になって入院なんて、絶対おかしいと思うんやけど。夏休みまではあんなに水泳部がんばっとったのに」


 少し口調を強めた優菜の表情からは、不安の色がありありと浮かんでいた。


「いや…あたしもあいつのことは何も聞いてないんだ。こないだ家の前で潮音のお母さんに会ったから、病院にお見舞いに行きたいって言ったんだけど、様子が悪くて会えないと断られたの。どこの病院にいるかや、どんな病気かさえ何も言わなかったし。確かにあれだけぴんぴんしてた潮音が、いきなり調子が悪くなって学校で倒れて、そのまま重い病気で入院して面会謝絶なんて、あたしも絶対変だと思うけど…」


 暁子が答えても、優菜はさらに思いつめたような、厳しい表情を浮かべたまま、ぼそりと口を開いた。


「実を言うと…藤坂君って体小さいなりに水泳部も練習頑張っとって、そういうところはちょっと好きやったんや。…高校で別の学校行くことになったら、その前に思い切って告白しようと思っとったのに」


 この見るからに照れくさそうな優菜の様子を見て、暁子は呆気に取られていた。


「はあ? あんなやつのどこがいいわけ」


 そのような暁子の様子を見て、優菜はますます気恥ずかしそうにして黙りこくってしまった。


 しかしそこで、玲花が冷やかし気味に暁子に声をかけた。


「そういうアッコの方こそ、藤坂君とうまくいっとったんやないの。いつも一緒におって、『潮音』『暁子』なんて下の名で呼びおうとったやん。ほんまにアッコって素直やないんやから」


 そこで暁子は、顔を真っ赤にして声をあげた。


「バ、バカ、違うって。あいつとは家も隣どうしだし小学校のときからずっと一緒だし、それにうちは共働きだから、小さなころはお母さんの帰りが遅くなるとよく弟と一緒に潮音の家で面倒見てもらって、きょうだいみたいに一緒に遊んでたんだ。だから『藤坂君』なんてかえって白々しくて言いにくいんだもの」


 そのような暁子のあわてふためいた様子を見て、玲花はにんまりとした表情を浮かべた。


「やっぱり石川さんって藤坂君と仲ええんやね。ま、みんなも藤坂君のことが心配なんはわかるけど、これは私たちの力ではどないもならんやろね。はよう元気になるのを待つしかないわ。でもそろそろ午後の授業始まるで」


 暁子は授業の準備に戻る間際に、玲花に声をかけた。


「尾上さんこそ、椎名君のことしっかり励ましてあげてよ。椎名君にはもっと元気になってほしいから」


 玲花は笑顔でそれに応えた。



 その日の放課後になって、暁子が優菜と一緒に帰途についてからも、優菜は心配そうな表情を崩そうとしなかった。暁子はこのような優菜の様子を見て、そっと声をかけてやった。


「優菜…昼休みはあんなこと言ってごめん」


 しかし優菜は、さっぱりとした面持ちで暁子に答えた。


「…ええよ。気にしとらへんから。アッコの方が藤坂君と仲ええなんてこと、前からわかっとったし」


「優菜、潮音のことが気になりだしたのは、やはり中学で水泳部に入ってからなの?」


 そこで優菜は、また気恥ずかしそうな表情になった。


「うん…。藤坂君って小学校のころは全然目立たへんかったのに、中学で水泳部に入ってから、なんかかっこよくなったなって思い始めとったんや。水泳部の女子はみんな椎名君ばかり見とったけど」


 沈みがちになっている優菜に、暁子は元気よく声をかけてやった。


「恥ずかしがることないじゃん。優菜の気持ちだって少しはわかるよ。あたしだって、潮音は小学校のころはグズで弱虫だったのに、中学で水泳部入ってずいぶん男らしくなったなって思ってたんだ。それでも椎名君ほどマッチョで騒々しくないし。だから大丈夫よ。あいつのことだからきっと元気になるって。優菜こそ、そんなにクヨクヨしないでよ」


 暁子のそのような元気な様子を見て、優菜の表情にもかすかに明るさが戻ってきた。


「ほんまにそうやったらええけど。でもアッコと話したおかげで、少しほっとしたよ」


 そうして二人でおしゃべりしているうちに優菜の家が近づいてきたので、暁子は手を振って優菜と別れた。


「優奈、早く潮音が元気になるといいのにね。そして高校に入ってからも、優菜とはずっと仲良くできればいいね」


 しかし暁子は優菜が家に入った後も、潮音のことについて心の底ではずっと疑念が晴れなかった。暁子はとりわけ、潮音が校内で倒れて入院した日の朝、うなじが白くなっていたことが気になっていた。

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