深夜喫茶DAGASHI仮死

 君の好きな歌を覚えた。君が喜んでくれると思って。今日ボクと二人きりになったら、君が喜んでくれると思って

 スプーンから伝わった熱でアイスクリームが溶けてゆくように、ボクの愛が君に伝わればきっと全てが上手くいくはずさ

 彼女は今19歳、まだ若い。だから今のボクがちょうどいいし相応しいはずだ。彼女を幸せにできるのはボクに決まってるんだし、彼女もそれを望んでくれるだろう。やっと誘えた。ボクからの誘いを、彼女は待っていてくれた

 きっとそうに違いない。33年の人生の中で、ボクがやっと出会えた彼女なんだから

 今しかない、他の男に取られたり撮られたりする前に……必ずボクが彼女を守ってめいっぱい愛さなくちゃ。そしてそのためには、最初の切っ掛けと思い出が必要なんだ。二人だけの、いつまでも笑い合えて語ることの出来る、大切な思い出が──


 ここは大阪ウラなんば。地下鉄千日前線日本橋駅五番出口から徒歩五分、飲食店とエステとイロイロなお店の入った雑居ビルの五階。エレベーターを降りてすぐ左の真っ赤なドアを開けたらそこが

深夜喫茶DAGASHI仮死

 だった。決して広くはない店内は床から天井まで、壁を埋め尽くすほどのコミックスやポスター、レトロゲームのパッケージに駄菓子類で埋め尽くされている。まるでここだけ昭和カルチャーの忘れ物置き場兼集積所のような、一種幻想的な空間がそこにあった

「いらっしゃいませ、こんばんは!」

 出迎えてくれたのは僕より少し年上くらいの、明るく気さくそうな男性だった。華奢で細かいパーマに眼鏡、口髭。絵に描いたようなバーの店主だ

「ご予約の方ですね、お待ちしておりましたよー! お連れ様は後程ですね。じゃあ先に飲み物決めて頂けますか、なんにします?」

 如才ない身のこなしと淀みない口上に「どうも」と短い返事を返しながらボクはカウンター席に腰掛け、ロングアイランドアイスティーを注文した。程なくして差し出されたグラスのなかで揺れるそれをゆっくりと飲み干し(ふう)と一息ついた

 冷たくてほんのり甘い味わいが、高鳴る胸に心地よい

 手元の端末と店のドアを何度も交互に見て、緑の連絡先を開いては閉じて。〇分前、と表示のついた返信には

「これで行くね!」

 という短い文言に、電光掲示板の写真が添えられていた。ボクはそれを見ながら黒門市場近くのお惣菜BARから移動して、そろそろ着くはずだと思って店に入っていた。それから十分ほど経過したが彼女は姿を現さないどころか連絡ひとつない

 どうしたのだろう

 道に迷ったのだろうか、ビルがわからないのだろうか。十分が十五分になり、十七分、二十分と過ぎてくるとだんだん気持ちが落ち着かなくなってくる。まだ目の前に居ない彼女に対して、どんな声をかけようか考えては打ち消して、笑って迎えるのが一番いいと決めた

 決めたけど、まだ来ない。二十五分、二十七分、三十分、三十三分……端末を取り出しては画面を点けて、通知がなければ青いアイコンをタップして少し見てまたすぐ閉じて

 今日もマナーの悪い客や不幸な家庭や政治家について怒っている人が沢山いる。ボクのように最愛の人を待ちながら眺めていると滑稽で仕方がない

 もっと人と愛し合って生きればいいのに、人に愛されずに育ってしまったのだろう

「かわいそうに」

 つい口を突いて出た呟きに自分でギョっとしたが、店主は常連らしき客数人と何やら話し込んでいて特に反応を示さなかった

 それでも彼女は現れない、連絡も相変わらず来ない。電波は来ているし端末も壊れていない、さっきから何度か

 大丈夫?何時ごろになりますか

 道、わかりますか?

 どうしたんー?

 連絡ください

 おーーい!

 と、此方からこまめに連絡を入れているのに、何の音沙汰もないなんて。一体どうしてしまったんだ、若くてしっかり者の君なのに年上の人間からの連絡に反応すらしないなんて。目上の男性からの呼びかけに既読スルーだなんて君らしくもない

 もう一度青い小鳥のアイコンをタップして画面を上から下へ、しゃーっと見て行く。気分はそれどころじゃなく上の空だったのが、急に画面の文字列と写真にフォーカスしていった。あの子が地下鉄のトイレで自撮りをして、それを載せていたのだ

 黒くてつやつやした髪を肩まで伸ばして、ぱつんと揃えた前髪と赤い水玉ワンピース、真っ赤なクツに白いハイソックスが写っている。二枚目の写真はホームで撮ったもので、顔のアップとベンチが見える

 切れ長ではっきりした目鼻立ちと濃い眉毛、ぽってりと膨らんだ頬と唇、うるうると輝く瞳……完璧だ、いつ見ても君は綺麗だ。顎のところには輪郭を隠すように

 ほなみん

 と平仮名のスタンプが添えられている。恥じらいの多い年ごろなのだろう

 ボクはウキウキしながら、すかさずふぁぼと

「可愛い! 早く会えるのが楽しみです!!」

 とリプライを飛ばす。君もきっと早く会いたい気持ちを抑え、大胆に

「はあい! いま向かってます!」

 と返してくれるんじゃないかな

 そうやって他の、いつもリプライをしてきたり褒めたり君の周りに居る有象無象に、今からデートだと明かしてやってくれ。今日、その可愛い君を独り占めするのはボクなんだからね。ボクは今宵このあと君と誓い合い、君と結ばれる。それをまた明日の朝にでも君が示唆に富んだツイートで暗示したら痛快だろう。ああ、ほら! 君はすかさずリツイートをしたじゃないか。やっぱり君は洒落が解る子だ

 この若さで、この頭の回転の速さ、察しの良さ。やっぱりボクが見込んだ女の子だ

 さあ、早くこの話の続きをしよう。楽しみが増えた


 だが、その後の彼女は一向にツイートする様子もなく。また店にも中々現れなかった。ボクは君のツイート通知をオンにして端末を胸ポケットにしまい込み、素知らぬふりをしてロングアイランドアイスティーを飲み干し今度はラムコークを注文した

 君が来るまではあまり飲まないようにしておくつもりだったが、だんまりの癖に安酒で粘っていると思われるのもイヤだったし折角お願いしたこともあって気まずいので間を持たせるためにチビチビ飲むつもりだった。元々お酒も強くないし、君が飲むときに一緒にと思っていたのに


 どうしよー、と笑いながら電話がかかってきた。幾つかの緑のスクショと、たった今彼女がリツイートしたリプライをパソコンで見ながら僕も端末越しに笑った。こりゃ痛いわ

「あいたたた……」

「ねー! あいたたた、だよね!」

「えーだって、コレ、幾つ?」

「さんじゅうさん!」

「33歳でコレかあ、キッツイなー……」

 電話口では笑っているが、顔は引きつっているに違いない。今までもそうだった。危ない時、ピンチになった時、君は僕に電話をくれた。今は時代が変わってアプリの無料通話だが、どうやらその「伝統」は生きていたようだった

「行かない方が良いんじゃねえか?」

「うーんでもー」

「だってコレもう完全に向こう、出来上がってるぜ」

「だよねぇー」

「返事、した?」

「まだ!」

 アハハハ! と彼女が笑う。そりゃそうだろうな

「こんなの完全に、お待たせしてごめんなさいっ! もうすぐ着きます! 待ちだもんな」

 思ってたことをそのまま口に出して伝えると、端末の向こうでまた彼女が笑った

「なんなら、このまま通話オンにしたまま行く?」

「いいよー、大丈夫」

「ホント? じゃあヤバかったらまた電話してね」

「うん! じゃあ行ってくるね」

 ぷん、と通話が切れた。ふう、とため息をついて窓の外を見上げた。この同じ夜空の下で今、彼女を待ってる男が居る。彼女に、どう思われているのかも知らずに……そして直後に彼女のツイート

 なう! とひとこと添えられた写真には真っ赤なドアと

 深夜喫茶DAGASHI仮死

 の文字


 お待たせー、と席に着いた彼女の髪の毛から、ふわりと漂う甘い香り。ボクは彼女を歓迎しつつ、ドリンクのオーダーを勧めた

「ノンアルコールありますか?」

「ええ、なんでもありますよ!」

「えーほんとにぃー! じゃあコアップガラナありますー?」

「えー、あったかなー! あった!!」

 気さくな店主がおどけながら大袈裟に冷蔵庫を探りまわし、茶色の小瓶を取り出した。そこには確かにコアップガラナと書かれていた。ボクも初めて見る飲み物だ

「え、いいの? ここお酒もあるよ?」

「だって私まだ飲めないですもん」

 笑いながら答えた彼女の言葉を、あの気さくな店主に聞かれてそうでバツが悪かった。仕方なくコアップガラナとラムコークで乾杯したけれど、さっきからどうも店主とばかり話が合いそうでなんだか居心地が良くないな。この店にしたのは失敗だったかもしれない

 けど、コレを見せればきっとボクの気持ちが伝わるはずだ

「店長さん、お願いします」

「ハーイ、少々お待ちくださいねえー」

 気さくな店主は快活に答えたが手が離せないらしく、出てくるまでに少し間が開いてしまった。ボクは最近あった中でも会社や家庭での出来事なんかを話して聞かせた。特に祖母が焼きそばと聞き間違えて掃き掃除と何度も繰り返した下りはその時の様子まで完全再現する力作だった。あれは傑作だ

 その時、漸くフっと店内の照明が暗くなった。そして店主が線香花火の刺さったケーキと小さなバスケットに入った駄菓子、そして乾杯のドリンクを用意してくれた

「お誕生日おめでとうございます!」

 そう言って店主がバスケットとケーキを差し出したのは、あろうことか彼女の方だった

「いやいや、すみません、お誕生日ボク!」

「え!?」

 一瞬、店主と彼女が顔を見合わせて、慌ててボクの前にお誕生日サプライズ一式を差し出した。まあいいか、こういうハプニングは付き物だ

「ほらほら、花火危ないから、ね。ほら」

「すみませんでしたー! はい、おめでとうございます!」

 店主がひと際声高に祝いを述べて、グラスを置いた。よく見ると彼女のドリンクは普通のコーラだ

「あ、あの、私、今日お誕生日なの知らなかったんだけど」

「ああ、うん。サプライズだからね!」

「え、そ、そうなんだ」

「一度やってみたかったんだよねー。じゃあ、はい! これ」

 そう言ってボクは畳みかけるように彼女に手渡した。お誕生日なのはボクなのに、ボクから君へのプレゼント

「あ、ありがとうー!」

「開けないの?」

「え、だってここで?」

「あ、いいですよゴミ捨てときますよ」

 まだいたのか店主

「ありがとうー! じゃあ開けるね……!」

 中身はきっと気に入ってもらえるからね、喜んでくれるよね

「あー可愛いー、ありがとー。でも私ぜんぜん誕生日でもないし貰っちゃっていいの?」

「勿論さ。それでね」

「あっ、可愛いですねー。似合いますよきっと」

「ほんとー? えーうれしい!」

 如何にか話を続けたくても店主が横から割り込んで来て、彼女と話してしまう。いつまで経ってもボクの話が出来ないじゃないか。参ったな

「あのさ」

「え、あうん! ごめんね」

「いいよいいよ、それよりもね」

「うん」

「プレゼントのお返しに、僕と付き合ってください!」

「え」

 一瞬、店内が水を打ったように静まり返った。シン、と音がする程深く、深く沈んだ空気が浮上するのに長い長い時間がかかったような気がする


「そら困ったわな!」

「ホントにねー、私まだお酒も飲めないんだよー!」

「その後どうしたのさ、大丈夫だった?」

「カラオケ行こうってホントしつこくてさー、アイツがトイレ行ってる間に自分のお会計だけ済ませて帰っちゃった」

「なるほどな、そりゃいいや。店長さんにも感謝だな」

「ねーほんと、良い人だった!」

「飲めるようになったら、お礼がてら行くか」

「もうすぐ飲めるようになるよ! あー……でも、やめとこ」

「どして」

「あれからさー、アイツしつこくて。結構ストーカーつか、粘着されてるから……」

「あー……そうなんだ。男といるとまずいか。刺されちゃうな

「宇野っちいじゃないよー」

「うるせえ、こっちは未遂だ! まだ刺されてないぞ」

「じゃあ代わりに刺されてね!」

「バカ言え」

 男はみんな、刺すつもりばかり

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