第37話 Alan Smithee
深夜。誰も居ないショッピングモールの高い天井。
遥か頭上までそびえ立つ無数の棚の列。子供向けのおもちゃが所狭しと並べられ、色とりどりのパッケージが、閉じない瞳が、値下げシールのオレンジ色と赤数字がこっちを見ている。
ぬいぐるみ、着せ替え人形、ドレス、お化粧セット、ままごとセット、パズル、光線銃、怪獣、変身ベルト、ラジコン、鉄道模型、プラモデル、サッカーボール、グローブ、ラケット、図鑑、絵本、水鉄砲、モデルガン、ブロック、スライム、テレビゲーム。ありとあらゆるおもちゃが揃っているが、客の姿は無い。棚と棚のあいだを歩きながら、辺りを見渡す。色とりどりの光を放つレーザービーム、あらゆる音楽が混じり合うことでうなりを上げて流れ出す不協和音。
無人の店内でひとりでに鳴り始めるキーボード。キリキリした電子音のノクターン。天窓から差し込む青白い月光が照らした床の矢印は深い夢の入り口か、正気の限界点か。それとも狂気の臨界点か。
乗る人もいないエスカレーターだけがカタコンカタコンと規則的な作動音をたてている。淡々と流れて行く黒い階段。赤い手すりの下りと青い手すりの上りが交差する。ガラス張りのショーケースに反射する買い物客たち。振り向けば誰も居ない。在りし日の記憶だけが行き交う無人のショッピングモール。レジにも、カウンターにも、アッセンブルにも、もはや人の姿などない。人の姿を残しているものもない。あるのは少々の瓦礫と、虚無空間で永遠にこだまし続ける断末魔だけ。
みんな喰われちまったんだ、夢に。
耳触りのいい言葉や、逃れられない美徳と高潔で雁字搦めのままゆっくりと滅んでゆく。その過程で人の姿は少しずつ崩れていった。いびつで、惨めで、醜くなった。絆という焼き鏝を押し付けられたまま思いやりの泥沼に沈められて、同調圧力は気圧の谷をさらに広げてゆく。清潔な世界は廃墟にしかならなかった。水も、空気も、電気も、炎も、何もかも誰かのもので、誰も居ない世界だけが残った。
豪雨の街で吠える巨大魚がコンビナートを炎の海にした。何もかも灰になってしまえばいい、そしてこの荒れ狂う雨が全て流してくれればいい。風光明媚なジオラマの線路を埃の積もったエル特急が走り去ってゆく。怪獣など、どこにもいない絵空事の世界に伸びる模型の線路を西へ。怪獣など、必要もない絵空事の世界から逃げ出したくて、どこまでも伸びる模型の線路を西へ。ビニール製のタコだけが見ていた。緑と白とオレンジのグラデーションの、ラメの入った体を横たわらせて。丸い頭があぶくのように膨らんで、そのまま宙に浮かんでふらふらと飛んでゆく。ラメに天井のライトが反射してチラチラ光るのを呆然と見ていると、まだ自分がウサギの人形だった頃を思い出す。陰惨な人形劇。鳴り響く黒電話はノイローゼ・ベル。アイロン台の陰に老婆の生首。カマキリの巣で作ったショートケーキは稲刈りの済んだ田んぼの匂いがする。錆びついた針金細工を握りしめて、零れ落ちた破片は焦げ茶色と銀色。薄暗い空の下で、今日もつま先のてっぺんにとまる蝶を待ってる。水たまりに反射した空が青くて、濡れたアスファルトまで青空の色になってる。赤緑緋色黄色の蝶の羽が風に揺れながら笑う。羽の模様のふりをしてこっちを見ている美徳と思いやりが俺を睨みつけて嗤う。俺の不義理や不埒を暴き出して嗤う。俺の不出来や不行き届きを探しては嗤う。手の回らない、小指一本分の手抜きを目ざとく発見して嗤う。ふらふらと飛んでいるだけで、なんの責任も負わずに嗤う。自分のワガママを他人の思いやりで包むために、ネチネチとボヤいてこちらから働きかけるように仕向けて嗤う。人に何かをさせておいて、自分がそれをやった気で嗤う。
些細なことが灰のように積もった箱庭に模型の線路を走らせて、自分だけの世界を作りたかった。だけどいつの間にか住み着いた巨大な魚が吠えて、美徳の街を踏み潰す。絆の鎖につながれたまま、逃げることも許されずに。つま先が、指先が、髪の毛が、体のあちこちが黒く焦げてゆくのをただ悲鳴を上げて耐えるしかない。死ぬまで。
電気スタンドも歯ブラシもフラスコの中。
夜空の星と星を伸ばした指先で結んでみる。簡単さ、投げ出すように指させば、ひゅるひゅると指先が空高く伸びてゆくから。見慣れたバイパスにも一瞬だけ現れる、あらぬ方角に伸びた道路。走り出せば別世界へ。ジオラマの国から抜け出せる、美徳と絆と思いやりから逃げ出して、長い鎖を引きずって、明日に怯えず眠りにつける。
止まない雨も明けない夜もないだろう、どうでもいいから朝など来るな。雨が降ろうが日が昇ろうがロクでもない明日がこれ以上続かないならその方がよっぽどいい。そんな毎日を積み上げたジオラマの線路をお気に入りの特急がジコーっと走る。電池が切れるまでグルグル回る。
店の床がグルグル回る。壁も天井もグルグル回る。扉を閉めてスイッチを入れたら、全部蒸気になって消える。
この世は巨大な電子レンジのなかの出来事。
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