第22話 sulfuric me

ドレッドヘアでサングラス

褐色のマッチョな聖者が

マイクロフォンを掴んで怒鳴る

Anastasia愛していたよ

回るミラーボール

欠ける三日月

すり減ってゆく防砂林

ギラギラ光るソーラーパネル

大地を蹴る砂混じりの風


マイクロバスが凝縮する憂鬱と

自家用車に充満する鬱屈が

渋滞するバイパスに

毎週がストレスで

横転するマイクロバス

炎が走るバイパス

それすらもストレス

毎朝の憂鬱が燃えている

毎週の鬱屈が灰になる


 いつも眠そうな顔で、もしくはギリギリまで寝てやろうと、椅子に座って目を閉じているか端末に釘付けになっている揃いの作業服を着た連中が次々に、足の先から髪の毛から飛び火して燃えあがってゆく。順番に燃えて、順序良く焼け死んで、そのまま骸になったマイクロバスに乗せられて運ばれる。やっと着いた会社の墓場はやっぱり焼け野原。


鎮守の森に鮫が居る

鳥居の向こうに鵺が飛ぶ

クラゲと月は似ている

水面を見上げればゆらゆら

切り裂いても切り裂いても逃げて行く

追いかけても追いかけてもついてくる

クラゲみたいな月のように

指と指に絡みついて

だけどつかみ取れない

砂嵐の海で


 助手席も三日も乗れば退屈で。ゴーっと鳴るエンジンの音と、時々ガタゴトと必要以上に揺れたり跳ねたりする以外は静まり返った車内。汗臭い。時々漏らすため息も臭い。窓の外は快晴の真夏日。こんな日に仕事をしろだなんて、一体どんだけ偉ければそんなことが言えるのか。田舎の小さな会社の社長くらいでも言えるのだから労働者の健康など安いものだ。天気予報はどこもかしこも猛暑、酷暑、気を付けろとは言うものの、働くのを辞めろとは誰も言わないし言えなくなっている。この国において労働は宗教であり経済は神だ。司祭も神父も選挙で選ばれているだけのこと。脱税か、不倫か、ハラスメントか。政権中枢の神の使いが引きずりおろされて、単なる年老いた用済みの木偶か、良くて派遣労働者になるのも時間の問題だろう。そんな現実的で現実味のない現実逃避くらいしか、この黙りこくって退屈な助手席ではすることもない。あまりに青過ぎて透き通るのも通り越して裏返ってしまいそうな、少し黒く見えるほどの空。そこにクラゲを浮かべてみる。


 駐車場の片隅にネコがいる。白いのと、黒茶と、あと一匹。日陰に白いの、日向に黒茶、どこかにもう一匹。白いのは建物の陰でしゃんと座ってこっちをじっと見ている。黒茶は日向でごろんとドーナツ状になり、こちらを薄目で見上げている。もう一匹はどこかでじっとこちらを見つめている。白いのに近づくと少し逃げたが、じりじりと寄ってきてこちらの指先の匂いをフンフン嗅いで、おずおずと頭をこすりつけてきた。痩せてしまって毛並みも乱れているが、皮膚病ではなさそうだ。ただ目ヤニが多く、近くで見ると結構黄ばんで汚いネコだ。だが本人はそんなこともあまり気にせず、ネコをやっている。コイツはネコだ。それでいい。黒茶の方に手を差し出すとむっくり起き上がり、ニーと鳴いて近寄ってきたが酷い皮膚病を患っていた。寝転んでいるときには見えなかった側の毛が幾らか剥げて、そこからダラダラと嫌な臭いのする体液を漏らしている。それでも人懐っこい黒茶がニーと鳴いて近寄ってくる。病んだ魂を爛れさせてしたした歩くネコ。怯える私は手を引っ込めることも出来ず後ずさるばかり。黒茶のネコの目玉は青い。その縦になった相貌が私の指先をじっと見つめながら音もなく歩いてくる。やがて焼けたアスファルトの上に押し付けられた肉球が焦げて、溶けたところが乾いて臭う。眩しく明るすぎる陽射しのなかで黒茶のネコが腐ってゆくのを、白いのが日陰でじっと見ていた。もう一匹は、どこだ。黒茶のネコが日向で腐る。毛皮が、肉が、内臓が、爪が、目玉が、鼻が、アゴが、耳が、尻尾が、足が、睾丸が、肛門が、今日が、明日が、昼が、夏が、腐ったネコで充満してゆくのを白いのが日陰でじっと見ていた。

 もう一匹は、どこだ。


 娯楽も趣味も休日も生活も犠牲にして仕事をしてきた。家に帰ると何もしたくなくなるくらい疲れてしまった。不真面目で仕事を任せられないというレッテルを貼られたものの手間のかかる仕事をバックレた奴にペナルティもなく、こちらは真面目に仕事をしても作業を増やされ給料は増えない。出掛けるような体力も残っておらず、小遣いどころか生活費にも事を欠き、好きな食べ物を作って食べる余裕もなく、ただ毎日が過ぎてゆくのに仕事のことを重ねて考えるだけ。会社の連中はそれを言うと、自分の時はこうだった、まだまだこんなもんは、という。忙しいのは良いことだなどというのは勝手だが、お前たちの時ほどこっちは忙しいわりに儲かってないんだ。同じかそれ以上に忙しくさせるならそれなりの金を寄越せ。歩合でもないのに張り切って仕事をする意味もなくなったし、思い通りにいかないのにも負けずに努力して作った仕事を余裕がありすぎると吐かされたり、真剣に訴えても聞き入れる素振りすら見せなかったりしたのはそっちだ。

 家に帰って愚痴も泣き言も言う相手もおらず、風呂に入り、倒れ込んだ布団で見上げた天井の木目がゆらゆら揺れている。まるで水槽の底に沈んでしまったようだ。半開きの口から勝手に漏れた溜め息があぶくになって浮き上がってゆく。瞬きをすると木目が揺れる。息を吐くとあぶくが上がる。苦しい、息を吸い込むことが出来ない。時計を見ると二十二時。もうそんな時間だ。また明日も朝早く起き出して仕事だ。寝たくない、夜が明けるのがこんなに嫌になるなんて。明日またやってくる朝がこんなに憎たらしくなるなんて。雨も嫌いだ、日差しも嫌いだ、客も嫌いだ、会社も嫌いだ、上司も嫌いだ、トラックも嫌いだ、明日も嫌いだ。何か失うほどのものを手に入れることすらなかった五年間も嫌いだ、嫌いだ、嫌いだ、嫌いの硫酸で満たされた水槽の中であぶくがどんどんごぼごぼ上がる。まるで水煙草のフラスコの中にいるように、あぶくと煙が混ざって体が焼け爛れて、腐って、溶けて行く。皮膚が、肉が、内臓が、爪が、目玉が、鼻が、アゴが、耳が、尻尾が、足が、睾丸が、肛門が、今日が、明日が、昼が、夏が、腐った自分で充満した部屋に、白黒ブチのネコが一匹。

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