第21話 Tren de Caracol

果てしなく延びる線路をどこまでも走る貨物列車

長い長いコンテナとタンクの列

赤い電気機関車

空に浮かぶトマト

裏返ったキノコ

電気機関車のなかで蠢く脳と髄

脳と頭蓋骨の隙間が痒い

今日も正常に暮らしましょう

今日も錠剤を飲みましょう

黄色い錠剤を飲みましょう

今日も正常に暮らしましょう


 退職まで2か月を切った。モチベーションが日に日に削れていく。まるで使い切る寸前の消しゴムのようで、早く使い切ってしまいたいような、もういっそどこか目の届かないところへ暫く見つからないように放り投げてしまいたいような気分だ。どうやって気持ちを確かに持っていたのかすらも怪しい。もはや週休二日すらどこへやら、土曜が休みなら日曜が、日曜は休みでも土曜と祝日は殆ど必ず仕事だった。休日出勤は終われば上がりだが朝は早いし仕事だと思えば疲れも取れない。無理に休めば電話が鳴るので気持ちも全く休まらない。メリハリが無くなりすぎた。努力のつもりが真綿で首を絞めるだけでなんにもならなかった。愛想が尽きたら、あとはわずかな疲労が蓄積され解消されることなく積みあがっていくだけだった。遥かな高みまで。

 身の丈を知る、ということは、自らの高みの基準を図ることでもある。他の連中にとってどのくらいの基準値があろうとも、私の中でこれは十分にうず高く積もった疲労である、という判断を心の奥と脳の大事なところがきちんと承認したのなら、その結果を信じていい。


地平線から伸びる線路をどこまでも走る貨物列車

ゼンマイ仕掛けの車輪がまわる

僕は電気機関車

空で砕けるトマト

やぶれたキノコ

電気機関車のなかに浮かぶ脳が言う

脳と頭蓋骨の隙間が軋む



 永遠に鳴りやまない踏切と点滅するランプが右、左、右、左、左、右、左、左、右、赤、赤、赤、青、赤、赤、緑、緑、右、左、緑、赤、右、青、緑、左。

 カンカン鳴るたびガンガン響く。踏切をとめてくれ。

 永遠に泣き止まない踏切と点滅するランプが右、左、右、左、右、右、左、右、左、青、青、青、赤、青、青、紫、紫、左、右、紫、青、左、赤、紫、僕。

 カンカン鳴るからガンガン響く。踏切をとめてくれ!

 じっと見ていたらやがて止まった。電車も来なかったし、他に誰もいなくなった。静かな朝方早くの田舎道には白い靄がとけて朝日をぼんやり誤魔化した。今日も長く、そして憂鬱な暑い一日になるのはわかりきっているのに、如何にもそんなことはなさそうな顔で湿度の高い風をむしむしと吹かせている。嘘をつけ、空も風も海も木立も嘘つきだ。暑くて暑くてたまらない、もう何もしたくない、するべきじゃない、アスファルトの照り返しと剥き出しの直射日光で頭がクラクラする。汗が止まらない。それでも仕事をする意味は? 生きて行く義務とは? どこにもない。そんなものは。だからやるんだ。答えになってない。だけどそんな謳い文句がどいつもこいつも大好きだ。


 この世の終わりみたいな夕焼けが浜名湖の上空で燃えている。何もかも嫌になった空が全部燃えてしまえばいい、と泣き叫んでいるような色をしている。赤と紫と影と灰色とオレンジと、飛び火して燃えるピンクの雲が群青色の夜空を飛んで行く。ときどき有り得ない配色のツートンカラーを見せるから、空というのは面白い。誰かの涙など、叫び声など、よっぽど夕焼けよりも美しく、面白おかしい娯楽なのだということは意味もなく点けっぱなしになっているテレビが映し出す悲劇に添えられた見出しのそばの天気予報を見ればわかる。見なければいい、見なければいい、と言いながら迫ってくる目の前の情報を俯いてかわせば非国民だの情がないだの言われて、絆と縁(えにし)と感謝の鎖でがんじがらめになって、模範的な一日を綱渡りで過ごすことになる。


今日も正常に暮らしましょう

今日も錠剤を飲みましょう

黄色い錠剤を飲みましょう

今日も正常に暮らしましょう

今日も正常であり続けましょう

今日の錠剤を飲みましょう

明日も錠剤を飲みましょう

今日も正常であり続けましょう


ひっくり返ったクラゲの足が宙を掻く

月にかかる暈のように半透明の白い膜を張り

夜空に浮かぶホントの気持ちをぼんやりと誤魔化した

珍しい葉っぱをかじって進むサカマキガイを背負ったカタツムリが

虹色の糞を垂れ流して夢見心地で歌い出す

赤く光る眼玉が交互に開いて、閉じて、開いて、閉じて、閉じて、開いて、閉じて、閉じて、開いて、閉じて、開いて、閉じて、白眼剥いて、白眼剥いて、泣いて、こぼれた目玉が見上げた空は

真っ赤な夕焼け

この世の終わりみたいな夕焼け

空も泣いた

カタツムリも泣いた

真っ赤になった目玉が光る、交互に光る

踏切をとめてくれ。

踏切をとめてくれ!


 僕は赤い電気機関車になった。赤い目玉の電気機関車。カタツムリのように走る。燃えるような夕焼け空に向かって伸びる線路を延々と。やがて力尽きて殻のなかの空が燃え尽きて空っぽになって辛い辛いの夜が来ても、きっと誰かが笑ってくれるさ。僕は赤いカタツムリ。電気仕掛けのカタツムリ。

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