朝ごはん

第1話


 朝起きて、顔を洗って、歯を磨いて、その他色々身だしなみもチェックして、鏡の中の私を見て、うんうん今日もまあまあ可愛いぞなんて自己満して、準備万端。いざ学校へ。

 朝ごはんは食べない。お母さんは毎日食べている。今も多分食べている。今日はたしかオムレツとトーストを食べていたと思う。お父さんも多分食べている。今年から単身赴任しているから一緒には住んでいないけれど、去年までは食べていた。私はこの三年、一度も食べていない。

「ハナエー。今日お迎えお願いね!」

 玄関でローファーに足をぐりぐりと押し込んでいると、お母さんの声。

 お迎え? なんだっけ? お父さんは今月帰れないって言っていたような。

「学校終わったら駅にモモちゃん迎えに行ってね」

 お母さんは玄関まで出てきて、もう一度言う。

 モモちゃん! そうでした。今日は従姉妹のモモちゃんが家に泊まりに来るんだった。いや。懐かしいな。お姉ちゃんがいなくなってからだから、会うのは三年ぶりだ。多分今年から中学生になったはず。親戚の集まりにも最近はすっかり行かなくなってしまったから、会う機会もなかった。

「忘れてたでしょ?」

「まさか。そんな」

 忘れてたかと言われれば忘れていたけども、忘れてたでしょと言われると、なんか否定しちゃう。『寝てた?』と聞かれたら、本当は寝ていたとしてもとりあえず『寝てないよ』と答えるのと同じタイプの現象だと思う。

「ほんとに?」

 お母さんは片方の眉を露骨にあげる。

「すいません。忘れてました」

 寝てた寝てないよ現象と同じように追及されるとすぐ謝る流れになるのは、忘れてたでしょ忘れてないよ現象でも同じだ。

「あんた。もうすぐ十七歳になるんだから、もう少ししっかりしなさい」

「ほら。私、朝ごはん食べてないから」

「それは関係ないでしょ」

「だから頭が回ってないの」

 頭の横で人指し指をくるくると回す。

 お母さんはため息をついて、「もう、いいから、いってらっしゃい」と諦め百パーセントで言う。

 お母さんが諦めているうちにさっさと出かけよう。

「いってきまーす」

「お迎えは忘れないでよ」

「まかして!」

 私はドアを開け、外に出る。ドアが閉まる直前、もう一度お母さんのため息が聞こえてきた。

 いや、しかし。今日は寒い。この冬一番かも知れない。違うかも。わかんない。


 学校が終わって、友達からの誘いも断って、校門を出て、家に帰ろうと三歩くらい歩いてから、ちゃんと私はくるりと反転。駅へと向かう。

 駅にたどり着くまでには猫がいたり、コンビニがあったり、友達と出くわしちゃったりと数々の誘惑が立ちふさがったけれど、そのすべてに打ち勝ち私は無事、駅に到着。

 特にコンビニが強かった。お腹が減っていた。肉まんが食べたかった。だけど、私は負けなかった。お財布を家に忘れるという完璧な作戦によりコンビニの誘惑に完全勝利をした。でも、お腹は減った。

 そういえば駅のどこで待てばいいのだろうか?

 北口と南口があるこの駅のどっちで待つべきか考えたけれど、よく考えたら改札はひとつしかないのだから、私は改札の近くで待つ。

 改札から人がたくさん出てくるたび、電車が駅についたとわかる。逆かも知れない。電車がついたから、人がたくさん出てくる。どっちでもいいか。

 わーっと人が次々と改札から出てくる様子はなんか、あれ。こう、詩的な、素敵な、そう。波。ビッグウェーブ。なんか違うな? まあそんな感じ。いい感じの例えが思い付かなかったけど、朝ごはん食べてないからしょうがない。お昼はがっつり食べたけど、朝ごはんって頭に大事らしいし、まあそういうこと。お腹空いた。コンビニでなにか買ってくればよかった。誘惑に負けるべきだった。いや、財布がなかった。勝利しか約束されていなかった。

 空腹に耐えながら待っているとビッグウェーブを掻き分けて、女の子がひとり飛び出してきた。その子と目が合う。そして、その子はキャリーバッグをがらがらと引きながら私のほうに少し早足で向かってくる。

「お久しぶりです」

 その子は私の前で立ち止まるとそう言って、ぺこりと頭を下げた。

「……モモちゃん?」

 おそらくほぼ確実にモモちゃんだろうけど、一応確認する。だって、三年会っていない。

「はい。モモです」

 おかしい。私が知るモモちゃんはいつもいきなり私とお姉ちゃんに飛び付いてきたのに、今日はぺこりとお辞儀。髪はセミロングくらいだったのに、きれいな黒髪が背中まで伸びている。まるでお姉ちゃんみたい。ひょっとして、これが成長ってやつなのだろうか。

「あっ、でも身長は変わらないねえ」

 うっかり声に出てしまった。

「背もだいぶ伸びたと思うんですけど」

 片方の頬だけ膨らませて、モモちゃんは言う。昔も怒ったときはそうやって頬を膨らませていた。そこは変わらないみたい。

「でも、昔も私より頭ひとつ小さいくらいだったよね?」

 このくらい。と手を肩の高さまであげる。ちょうどそのあたりにモモちゃんのつむじもある。

「それはふたりとも同じだけ背が伸びたんです」

「あ、なるほど。モモちゃん賢い。賢者だね」

 モモちゃんはため息をつく。今日はよくため息をつかれる気がする。

「もういいから行きましょう。おばさん待ってますよ」

 行きましょうとモモちゃんは言ったけれど、どこにも行かずじっと私を見ている。行かないのかな?

「あの、わたし場所がわからないので」

 なるほど! たしかに!

「ごめんごめん。じゃあ行こうか」

 私はモモちゃんに手を差し出す。

 私が差し出した手をじっと見てから、モモちゃんは「いいです」と片方の頬を膨らませながら言った。

 行き場を失った私の手は数回、空気をにぎにぎするだけで退場。

 まあ、もうモモちゃんも中学生だし、しょうがないかー。なんで怒っているのかはよくわからないけど、これもお年頃ってやつかも知れない。

 昔はいっつも三人で手をつないで歩いていた。モモちゃんが真ん中で、私はモモちゃんの右側だった。左側はお姉ちゃん。懐かしい。あっ。そうか。わかりました。

「こっち?」

 退場したのは左手。だから選手交替。今度は右手を差し出す。私が左手でモモちゃんと手をつないだら、モモちゃんが左側来るのは大変だ。私の手がぐいってなる。

「大丈夫ですから行きましょう」

 右手も退場。うん。まあ、成長成長。右も左も関係なし。

「そうだねー。行こう行こう」

 私が歩き出すと、モモちゃんは私の左隣にすっと並ぶ。私は横目でちらりとモモちゃんを見る。モモちゃんがさっきと違って少し嬉しそうに私の隣に居て、その先には誰もいない。

「ハナお姉ちゃん。どうかしたんですか?」

 モモちゃんが不思議そうな顔で私を見る。

「ううん。なんでもない」

 そういえばそんな呼ばれ方していたな。お姉ちゃんって久しぶりに聞いた気がする。


 駅の階段を降りて顔をあげると、なんか違和感。ん? なんで? ロータリー? 南口にコンビニなんてあったっけ? いや、あるにはあるけど、少し離れたところにあった気が。来る時に前通ったし。

 いや、そうか。ここは……。

「北口、ですね」

「ハナお姉ちゃん?」

「ごめん。北口と南口間違えちゃった」

 目指すべきは南口だった。いや、ちゃんと目指していた。でも、着いたのは北口だった。不思議。

「えっ……」

 モモちゃん絶句。そりゃ地元民が北か南しかない口を間違えるなんて引かれてもしょうがない。しかも別に複雑な構造なんてしてない。改札から右か左か。それだけ。その二択を間違えた。

「いや、ほら、私朝ごはん食べてないでしょ?」

「知りませんよ。それにもう夕方ですよ?」

「朝ごはん食べないと頭が回らないでしょ?」

 頭の横で人指し指をくるくると回す。

「お腹空いてるんですか? ほら、あそこにコンビニありますよ」

 モモちゃんはなにかしらの気を使ってくれた。実際、私はお腹が減っているから問題ない。

 だから、私は「ごめんね」なんて言いながらもコンビニに行く。内心はスキップしてる。肉まん食べよっと。


 コンビニの前で寒い思いをしながら、肉まんをはふはふと食べて、私達は家へと向かう。

 財布を忘れていたことを忘れていたのに気付いたのは、レジの前だったけど、モモちゃんが『迎えに来てくれたお礼です』と払ってくれた。

 もちろん家に帰ったら返す。当たり前だ。でも、まさか中学生にお金を払わせてしまう日が来るとは夢にも思っていなかった。そもそも夢の中でお金払ったことないけど。

『私、コンビニの前で立ったまま食べるなんて初めてです……』と可愛らしいことを言うモモちゃんに、『大人への第一歩だね』なんて言ってみたりして、私は豚角煮まんを頬張った。頬張りながら、私も年を取るわけじゃ、なんて思ってみたり。特に強く思ったこと、それは豚角煮まん、めっちゃうまい。これ。

 帰り際に気付いたけれど、あそこのコンビニにはイートインあるからわざわざ寒い思いをして、外で食べる必要はなかった。けど、モモちゃんも気付いてなかったっぽいから良いことにする。

「そういえば、さっきのコンビニ、イートインありましたね」

 めっちゃ気付いてた。

「さ、寒い中で食べる肉まんが美味しいんだよ?」

 なんて、ごまかしてみたり。

「たしかに。それはあるかもですね」

 ごまかし成功。よかった。モモちゃんが肉まんは寒い中で食べる派で。私と同じ美味しいものはどこで食べても美味しいだろうよ派だったら危なかった。

「そうだ。ハナお姉ちゃん。携帯の番号教えてくれませんか? あとメッセのID交換も」

 来たか。来てしまったか。その話題。中学でも高校でも何度も繰り返されてきたこの話題。そう。女子高生の必需品。携帯電話。スマートフォン。いわゆるスマホ。なにがスマートなのかは私はいまだに知らない。

「いやー。私、スマホ持ってないんだよねー」

「え。そうなんですか?」

「うん。電話が苦手だからさー」

「あ、そうですか」

「うん。なにかあったら家の電話にお願いね。うちの番号は知ってる?」

「はい。お母さんに聞きました」

「じゃあ、おっけー!」

 スマホ持っていない女子高生なんて学校にもほとんどいない。多分だけど。少なくとも私のクラスで、スマホを持っていないのは私だけだ。

「スマホ持っていない女子高生なんてレアだからさ。友達に自慢していいよ?」

「自慢になりませんよ。それ」

「そう? でも、なくても案外なんとかなるよ。別に持ってなくて怒られることもないし」



「遅い!」

 家に帰るなり、玄関でお母さんに怒られた。なんで待ち構えていたの。

「どこ寄り道してたの!」

「えーっと、その」

「コンビニで買い食いしてました。ごめんなさい……」

 私より先にモモちゃんが謝る。

「モモちゃん。いらっしゃい。モモちゃんはいいの。どうせハナエがお腹減ったとか言い出したんだろうし」

 お母さんひどい。でも、まあめちゃくちゃ外れているわけでもない。結果的には似たようなものなので、反論のしようもないし、反論したら余計に怒られる。

「連絡もないし心配してたんだよ。だから、スマホ買ってあげるっていっつも言ってるでしょ」

 言ったそばから怒られた。でも、しょうがない

「電話きらい」

 そう。きらいなんだもん。

 お母さんは朝に続いてまたため息。

「だいたいね。買い食いってあんた財布忘れたのにどうやって買ったの」

「なんで財布忘れたの知ってるの?」

 ひょっとしてエスパー?

「ソファの上に転がってた。これ。あんたの財布でしょ」

 そう言って、お母さんが取り出したのは間違いなく私の財布だった。エスパーではなかった。

「まさか。モモちゃんに払わせたんじゃないでしょうね?」

「いや、ちょっと借りただけだし……」

「あんた……」

 お母さんの心底呆れたと言った声が私の胸に突き刺さる。

「いや、十倍にして返すって約束だったから、大丈夫!」

 そんな約束してないけど、背に腹は代えられない。私はお母さんの手から財布を取り返し、モモちゃんに千円札を渡す。

「はい。モモちゃん! ほら! これでいいでしょ! 十倍返し!」

「あんたね。そういう問題じゃ――」

「足りません」

 今まで黙っていたモモちゃんがお母さんの言葉を遮る。

「豚角煮まん。二百円でした」

 私は無言でモモちゃんに千円札をもう一枚渡す。

「たしかに」

 モモちゃんは二千円を自分の財布をしまう。私とお母さんは静かにそれを見ていた。


「とにかく。はい。これ」

 お母さんはそう言って、いきなり私に五千円札を渡してきた。なにがとにかくなのだろう。

「お迎え代? じゃあもう二千円追加で……」

「違う。食費」

 食費? なんで? お母さんがいるのに? 二千円は? そういえば、お母さんの服が朝と違うし、玄関にはお母さんの旅行かばんが置いてある。

「お父さんがね。動けなくなったって。さっき連絡があったの」

「え!」

「でもね。大丈夫だから」

「なんで? 病気? 大丈夫なの? 死んだ? 死ぬ? 死なない? 死なないよね?」

「大丈夫大丈夫。ぎっくり腰だって」

「ぎっくり腰って死なない?」

「死なない死なない」

「ぎっくり腰のぎっくりってなに?」

「それは知らない」

 私はふぅーと大きく息を吐く。とにかく死なないならよかった。

「……あの、私帰ったほうがいいですか?」

 モモちゃんは不安そうに私とお母さんの顔を何度も見る。

「あー。大丈夫大丈夫。気にせず泊まっていって。おばさんはちょっと留守にするけど、ハナエもいるし。モモちゃんのお母さんにもさっき連絡して、オッケーもらっておいたから。心配しないで」

「そうですか。ありがとうございます」

 ほっとした顔でモモちゃんは頭を下げる。

「とにかく行ってくるわ。明後日のお昼くらいには一回帰ってくるから。それまで五千円で生き延びて。モモちゃん。ハナエをよろしくね」

 逆じゃない?

 モモちゃんも「わかりました!」って力強く答えないで。

「じゃ!」

 お母さんは私を怒って、必要なことだけぱぱっと言って家を出ていった。

 私はもらった五千円を握りしめて思う。実質、三千円なんですけど……。あと、これも思った。そんなに慌てて出ていくならあんなに怒らなくてもよかったじゃん。あとはお母さんもなんだかんだでお父さんのこと心配なんだ。とか、お父さん死ななそうでよかった。とか、今晩なに食べようとか。あ、ピザ食べたいピザ。なんて色々と思った。


『ピザでも頼む?』と私がピザ食べたいだけなのは隠して、モモちゃんに聞く。だけど、『駄目です。ちゃんとしたもの食べないと。私、ハナお姉ちゃんのことよろしくされたので』と言われ却下された。そして、冷蔵庫にあるものだけでささっとオムライスとサラダを作ってくれた。すごい。めちゃ美味しかった。

『卵で包むの失敗しちゃったんですけど……』って申し訳無さそうに言っていたけれど、全然たいしたことない。破れていたのはほんの少しだけ。私だって前にオムライスに挑戦したことがある。その挑戦は卵は焦げるわ、フライパンにくっつくわ、お皿に載せようとして、台所にばら撒くわでそれはもう大変だった。お母さんにもめっちゃ怒られた。

「モモちゃんって料理上手なんだね」

 お風呂上がりのモモちゃんの髪をドライヤーで乾かしながら私は言う。他人の髪を乾かすのはすごい久しぶりだ。昔はお姉ちゃんの髪をよくカリスマ美容師ごっことか言って乾かしていた。

「そんなことないです。普通です」

 そう言いながらもその声は少し嬉しそう。

「朝ごはんは、冷蔵庫に鮭の切り身があったので、それでいいですか? あとはお味噌汁くらいしか出来ないですけど」

「あー。私、朝ごはんはね。食べないんだ。ごめんね」

「あっ。そうなんですか」

「うん。ごめんね。モモちゃんは好きに食べていいからね」

「はい」

「よしっ。乾いた!」

 ぽんとモモちゃんの頭を軽く叩く。もう完璧に乾いた上に、モモちゃんの髪めっちゃさらさらで気持ちよかった。それにお姉ちゃんと同じ匂い。まあ、お姉ちゃん使っていたシャンプーと同じのをずっと使い続けているからだけど。私の髪も多分お姉ちゃんの匂いがすると思う。

「ありがとうございます」

「そういえばさ。モモちゃんってなんで泊まりに来たの? なにか用事?」

 いまさらと言えば、いまさらすぎる質問だけど、お母さんからもモモちゃんが泊まりに来るってことしか聞いていない。ひょっとしたら忘れているだけかも知れないけど。

「あー。えっとですね……」

 モモちゃんにしては珍しく言い淀む。

「あ、無理に言わなくてもいいよ」

「あ、いえ、その明日ライブに行くんです」

「えっ」

 ドライヤーを片付けていた手が思わず止まる。ライブ。ここから?

「物販とか朝から行きたくて、それなら私の家よりここのほうが会場に近いですし、おばさんも泊まって行きなさいって言ってくれて……」

 たしかにライブをよくやるホールとかはモモちゃんの家からよりうちのほうがかなり近い。朝一でモモちゃんの家から行こうとしたら始発とかに乗らないといけない。もちろん家を出るのはそれよりもずっと前だ。それにモモちゃんの家から駅までは車がないといけない。バスもあまり走っていない。だから、お母さんは泊まっていきなさいって言ったのだろう。それはそうだ。そのほうが絶対に良い。

「おばさんには、ハナお姉ちゃんには言わないでいいって言われてたから……。ごめんなさい」

「ううん。謝らないで大丈夫だよ。じゃあ、そろそろ寝ないとね。明日、朝早いんでしょ?」

「はい」

「えっと、どこで寝るの? お母さんなにか言ってた?」

「おばさんの部屋で寝ることになってました。お布団二組あるからって」

 お母さんとお父さんは布団派。お父さんが今いないからひとつ余っている。ちなみに私はベッド派。

「お母さんいないけど、ひとりで寝れる?」

「寝れます」

「そっか。もう中学生だもんね」


「鍵がかかってる……」

 お母さんの寝室のドアはなにをしても開かない。ノブを何回もガチャガチャと回しても、念じても、呪文を唱えても、開かないものは開かない。

 お母さん。やってくれたな。私を怒っている場合じゃなかった。多分、荷造りして、鍵をかけて、そのままお父さんのところに行っちゃったんだ。

 スペアキーがある場所も知らないし、どうしよう。

「あの、私ソファで寝ますから、大丈夫です」

 いや、流石にそれはダメ。夏ならまだしも今は冬。風邪引いちゃう。

「じゃあ、私がソファで寝るから、私の部屋で寝て」

「ダメです。そんなの! 私のわがままで泊めさせてもらってるのに!」

 いやでも。ダメです。いやいや。ダメですダメ。とお互い譲らずもうどうしようもないので、私は思わず口走ってしまった。

「じゃあ、一緒に寝る?」


 誰かと一緒に寝るのは三年ぶりだ。

 十六歳と十三歳がふたりで寝るのに、私のベッドはちょっと狭い。

「ごめんね。狭くて」

「いえ、大丈夫です。それになんかちょっと落ち着きます」

「そう? ならよかった」

「誰かと一緒に寝るのすごい久しぶりです」

「私もそうだよ」

 昔はよく怖いこととか悲しいことがあるとお姉ちゃんの布団に潜り込んだ。お姉ちゃんはいっつも、狭い。あっちいけ。とか言っていたけど、最後には大丈夫だよってぎゅっとしてくれた。

 はぁー。泣きそう。泣くかも。やばい。私、泣いてるわ。

 私はモモちゃんにバレないように、天井を見つめながら静かにゆっくりと息を吸って、吸うときよりもゆっくりと吐き出す。

「ハナお姉ちゃん。泣いてるの?」

 速攻バレた。

「バレた? へへっ。恥ずかしいな」

 私は照れ隠しになんとか笑う。なんだよ。へへって。

「大丈夫ですよ」

 そう言って、モモちゃんは私をぎゅーっと抱きしめてくれた。お姉ちゃんとそっくりな長い髪から、お姉ちゃんと同じ匂いがする。もうこれお姉ちゃんでしょ。

「お姉ちゃん。ライブに行く途中で車に轢かれて死んじゃったんだよ」

「知ってます」

「お姉ちゃん。朝早くでかけてさ。私朝ごはん食べてたの。そしたら電話が鳴って、お姉ちゃんが死んだって」

「そうですか」

「最後の日も一緒に寝たんだよ」

「はい」

「名古屋行くって喜んでたのに」

「はい」

「おみやげ買ってきてくれるって言ったのに」

「はい」

「明日気をつけてね」

「はい」

「ちゃんと帰ってきてね」

「はい」

「絶対だよ」

「はい」

 そこからはなにを言ったか覚えていない。


 朝起きると隣にモモちゃんの姿はなかった。私は驚いて、慌てて、そして、ベッドから落ちた。急いでリビングに行くと昨日の夜、オムライスを食べた食卓の上に鮭の切り身とお味噌汁とご飯があった。

 モモちゃんは台所に居た。

「あ、おはよ……」

 モモちゃんは私を見て固まる。固まるモモちゃんの顔を私はベタベタと触る。あったかい。生きてる。

「あの、ハナお姉ちゃん」

「なに?」

 私はモモちゃんの頭を撫でる。さらさら。まだお姉ちゃんの匂いがする。

「鼻血出てますよ」


 思い返せば、ベッドから落ちたときに顔を強打した気がする。普通顔から落ちるか? 私は落ちた。結果、鼻血出た。

 モモちゃんはもう出かけた。物販っていうのがあるらしい。ライブなんて行こうとも思ったことがないから詳しくはよく知らない。

 食卓の上には私の分の鮭の切り身。

『一人分も二人分も同じなので。よかったら食べてください。無理そうならお昼にでも。残しても大丈夫ですから』とはモモちゃん談。

 いや、ほんと。よくできた中学生。私が中学生のときはずっとボケッとしてたし、なんなら今もしてる。なにか言われても、『朝ごはん食べてないので』で乗り切ってた。お姉ちゃんが死んじゃってからしばらくは、元気ないね。大丈夫? とかよく言われてたから、そればっかり言ってた。だから、ちょっと癖になっちゃってる。

 私はお茶碗にごはんを、お椀にお味噌汁をよそって、鮭の隣に置く。なんかテレビとかで見るような朝ごはん。

「いただきます」

 三年ぶりに食べる朝ごはん。鮭の切り身を少しだけ口に入れる。飲み込んで、ご飯も少し食べる。お味噌汁も少し。

 うまっ。

 全部食べた。電話は鳴らなかった。


 それから一日ずっと電話の隣に座っていた。電話は一回も鳴らなかった。暗くなって、モモちゃんは無事に生きて帰ってきた。

「おかえり」

「ただいま」

 部屋が真っ暗でお昼も食べていなかったから、モモちゃんに怒られた。一日一回は誰かに怒られる。

 でも、別に良い。モモちゃんは私の中でライブからの生還者第一号だ。

「ライブどうだった?」

 そう聞くとモモちゃんはものすごく興奮した様子でこう言った。

「それがですね! めっちゃ良い席だったんです! もうすごく近くで見れて、推しと目が合ったんです! 絶対に私のほう見てました! 完全に見つめ合ってました! もうその瞬間、私、心臓止まっちゃいました!」

 やっぱり死んでた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

朝ごはん @imo012

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る