第87話 Foxy Blue(5)

(1)

 

 栗毛に栗色の瞳、そばかす顔の小柄な少女。


 ノーランに、少女について訊くにしても目立った特徴はそれくらいしか思いつかない。

 タイピン盗難については語らず、率直にその少女を探しているとだけ伝える。あえて理由は語らない。


 ありがたいことにノーランは特に理由を尋ねてこなかったが、案の定、『そんな外見の娘はそこらにたくさんいるからなぁ』と困惑顔で返されてしまった。


 収穫なし、か。

 最も、今日一日で簡単に少女と残るタイピンの行方が見つかるとも思っていない。


 途中でノーランと別れ、シャロンが薬屋に戻った時には懐中時計の針は午後九時を差していた。

 裏口の鍵を開け、扉を開いたのち二秒ほどして、再び閉める。もう一度扉を開ける勇気は――、ない。


 このままラカンターへ向かい、ハルから話を聞き出そうか、どうしようか。

 いや、その前にグレッチェンを彼女の自宅アパートまで送っていかねば。いやしかし……


「早く中に入ってください」

「…………」

「シャロンさん」

「…………」


 扉一枚隔てていても見えない冷気が漂ってくる。

 冷気を全身から放つ張本人の一段と冷ややかな声。子供の声に近い、高く幼い声質との落差がより背筋に寒気を感じさせる。

 扉を開けた直後に見てしまった顔も凍てついた無表情だった。だから思わず閉めてしまったのだが。


 さてはネクタイピンの盗難が知られてしまったか。それとも他事で怒っているのか。


「シャロンさん、私は貴方を見損ないました」

「……すまない、すべて私の落ち度によるところだ」

「まさか、未成年にまで手を出すなんて……」

「すまな……、待ちたまえ、何の話だね?!」


 何がどうなってあらぬ疑いをかけられたのか。気づけば、勢い勇んで扉を押し開けていた。


「私はそのような下劣な真似はしない!グレッチェン、信じておくれ……!ん、グレッチェン??グレッチェン!!」


 焦って屋内に飛び込んでみれば、思いきり開け放された扉とシャロンの勢いに押され、グレッチェンは尻餅をついていた。


「すまない!大丈夫かグレッチェン?!」

「はい、大丈夫です。それから……、私はシャロンさんをちゃんと信じてます」

「え、あぁ……、え??」

「すみません……、シャロンさんにどうしても中に入ってきて欲しくて、騙すような真似をしてしまいました……」


 本来なら怒るべきところだが、心底決まり悪そうなグレッチェンに対し、微塵にも怒りは湧いてこない。ひとまずは手を差し伸べ、立ち上がるのを手伝ってやる。


「いや、怒ってはいない、が……、傷ついていないと言えば嘘になる」

「本当にすみませんでした」

「いや、いいんだ。君がそこまでするには何か理由あってのことだろう」

「はい。実は……」


 グレッチェンは、シャツのポケットから畳んだガーゼを取り出すと、シャロンの眼の前で拡げてみせる。中から出てきたのは、シャロンが今日一日探し回っていたネクタイピンが――


「こ、れは」

「そうですね……、何からお話すべきでしょう。まずは流し台のあたりを見てください」


 なぜ君が持っている。問うよりずっと早く、グレッチェンの方から話を切り出し、ある一点へ向けてそうっと、控えめに指を差した。


 グレッチェンが指差した先――、玄関から斜め左ら辺にある流し台へ視線を移動させる。薄暗がりの室内の真ん中。二台合わせにした長机のカンテラの光を頼りに目を凝らす。

 そこには丸テーブルと二脚の椅子が置いてあり、時々、休憩時に二人でお茶をする場所でもあった。その、二脚の椅子の一脚に縮こまって座る人物を見てシャロンは叫びそうになった。


 いくら視界が昏くとも見間違えやしない。

 いくら特徴のない容姿だろうと、決して。


「グレッチェン、あの娘は」

「お前の探し人だよ」


 少女の存在に気を取られ、もう一脚の椅子に足を組んで座る者を見落としていた。








(2)


「店主が女性好きだということは認めます。ですが、女性なら誰でも良い訳じゃありません。一定水準以上の容姿を持つ成熟した女性にしか興味ありません」


 言いながら、己の薄い胸の内がちくちく痛んだが、気にしている場合でないと無視をする。


「成人年齢に達してない子供など完全に対象外です。というより、歴とした法律違反にあたります。そのタイピンをどこで手に入れたのか、もしくは拾ったのかは話してもらわなくてかまいません。返してください」


 静かな怒りを滲ませるグレッチェンに気圧され、ビアンカは言われるままネクタイピンを乱暴に突き返した。しかし、ぎゅっと顔中を顰めているので不服なのは火を見るよりも明らかだ。


「それから……、虚偽を働き、脅迫紛いの真似をする人はお客じゃありません。今後この店への入店を禁じます。お引き取り下さい」


 最後通告を突きつける。ビアンカの身体が大きく震えだすのを尻目に、カウンターの上のネクタイピンと軟膏を手に取る。

 すかさずビアンカの手がグレッチェンの手元へ伸びてきた。染料らしき緑が染みつき、皮がところどころ抉れて肉が剥き出している痛々しい手が。その手からネクタイピンと軟膏を遠ざけるため、カウンターから一歩下がる。


 万が一、でっちあげの未成年買春で警察にシャロンを訴えたとて、確たる証拠もないのに真に受ける程警察も愚かじゃない。裏稼業について嗅ぎつけられるのだけは避けたいが――、ここで一度、ビアンカを振り返る。


「ぎゃあぁぁああ!!」


 目が合った瞬間、耳を劈く声で泣き喚かれた。

 唐突かつ大袈裟な癇癪にさすがのグレッチェンも肩が大きく跳ね、飛び上がりそうになった。

 気でも違えたか、わざとなのか。

 店の中で暴れられたら困るし、自分に襲いかかってきたら――、ビアンカの方が危ない。こんな時シャロンがいてくれれば。一応は男手、取り押さえるくらいはできるだろうに。


 ひとりでも襲われた時のため、応戦する道具になりそうなものが無いか。カウンターから薬棚の方へさらに後ずさりながら、店内をざっと見渡す。なければ、奥の部屋から箒かモップを取り急ぎ持ってこなければ。


「え」


 戦々恐々と構えていたグレッチェンだったが、ビアンカは襲いかかってくるどころか、そばかす顔を真っ赤に染め泣き叫びながら店外へ飛び出していった。


 何だったのかしら、と呆気に取られながら、軟膏を棚に戻そうとして改めて瓶に目を留める。


 保湿目的のみのこの軟膏は砒素中毒の皮膚病に効果はない。(残念なことに砒素の薬害を完全に治癒する薬は未だ開発されていないが)

 何度か説明したが、それでもかまわないと彼女は買い続けていた。

 それに使用量が少し多い。一瓶使い切る目安はだいたい一か月半から二か月なのに、一〇日もしない内に次を買い求めにきていた。


 出禁を告げたことに後悔はないが、やはりすっきりしない。

 なぜこんなことになっているのか、シャロンを問い質さなければ。

 とりあえず、シャロンが帰ってきた時にいつでも渡せるよう、ネクタイピン軽く磨いておこう。

 くすんで錆だらけな上に、指紋痕(たぶんビアンカ)まで残っている。


 また誰かが入店してきた。

 昼日中で立て続けに客が来るなんて珍しい――


「ぎゃああ、放してよっ!放せぇええ!!」

「うるせえな、ぎゃあぎゃあと。ちったぁ黙れよ」


 さっき聞いたばかりの、うんざりするような怒声混じりの叫び声に、聞き馴染みのある少し嗄れた声が重なった。


「ひ、人攫いっ!」

「おいおい、人聞き悪いこと言ってくれるなよ」


 手足をばたつかせ、ぎゃあぎゃあ喚き散らすビアンカを小脇に抱え、ハルはグレッチェンに言った。


「よぉ、グレッチェン。悪ぃが、シャロンが帰ってくるまでこのガキ、ここで預かっておいてくれ。あ、このガキがお前に危害加えないよう、俺も一緒に裏で待たせてもらうわ」

「あの、ハルさん……、いったい何が」


 次から次へと。目を白黒させるグレッチェンに、ハルは少し迷いつつ、こう答えた。


「詳しいことはシャロンから聞いてくれ、としか、俺からは言えない」

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