Foxy Blue
第83話 Foxy Blue(1)
歓楽街から一番近い教会の鐘が深夜一時を告げる。
そろそろラストオーダーの時間だ。あと一杯だけ『
「……って」
思わずシャロンは額を押さえてしまった。
いつもの、を頼もうとした相手がカウンター越しに立っておらず、隣で突っ伏しているからだ。
茹でた
射貫くような金色がかった碧眼は目線が定かじゃないし、軽く後ろへ流した長めの髪も乱れ、無意識に一房もぐもぐ食べている……。
「髪を食べるんじゃない。汚らしい」
「……あぁ??」
咥えていた髪を不思議そうに撮みだすが、起き上がろうとはしない。
「ハル、ラストオーダーでいつもの用意してくれないか」
「ランスに作ってもらえ」
「あのなぁ」
もう駄目だ。こうなったら梃子でも動かない。
客入りが少なく、居ても長年の常連ばかりの状態で零時過ぎるとハルは酒を煽り始める。途中で止められればいいが、彼は飲むペースが異常に早い。気づいて止める頃にはすっかり出来上がっている……という。
止められるものなら止めてやりたかったが、実はシャロンが入店したのは三〇分程前。ハルはその時すでに相当酔っていたが、辛うじて注文を受けるだけの余力が残っていた。カウンターに突っ伏したのもまだ一〇分程前である。
「ちょ、やめ!これ以上飲むのはマジでダメっすよ?!」
「うるせぇなぁ」
手元の、融けきった氷の水が残るグラスにダークラムを注ぎかけ、従業員のランスロットが慌てて止めにきた。よく見ればボトルは底を尽きかけている。
「お前……、客の注文断って自分は飲むのか……」
「お前、客だったっけ??」
「ボス!シャロンさん、すんません」
「あぁ、別に怒ってはいないよ。単に呆れてるだけだ」
「うるせぇー、お前に呆れられる程落ちぶれちゃあいねぇー。一向に本命に手出さねぇヘタレの癖によぉー」
「いや、お前の泥酔具合に呆れてるのと何の関係もない話なのだが……。あと、その喋り方、少々馬鹿っぽいからやめた方がいい」
「うっせぇヘタレ。早くモノにしちまえよ」
「あのなぁ……。いい加減にしろ」
「じゃないと後悔してもしきれなくなる。俺みたいに」
まずい。顔を見合わせたランスロットも『また始まった』と言いたげだ。
ハルの手がシャツのポケットを
これもまた、客入りが極端に少ない日の閉店前に見られる光景--、シャロンもランスロットも余り見せて欲しくない光景である。
カウンターの上、グラス置き場に吊るされたくもり一つないグラス類が室内灯で輝きを増す。反射光が机上を、ハルの髪をも輝かせるが、当の彼自身の心は曇り、濁り、淀んでいる。大衆酒場にしては珍しく清潔を保たれた店内と違い、心は溜まった澱でどろどろだろう。
「あーあ、こんな夜は新規のお客が来てくれるといいんすけどね。そうすりゃボスもピッ!って気持ち切り替えてちゃんと接客してくれるし。ま、こんな時間から来る客はあんまロクな奴いねぇけど。シャロンさん、悪いっす。ちょっと付き合ってやってくださいよ。いつもの、も、俺が作りますんで」
「それはまぁ、構わないが……」
「片付けもちゃちゃっと片付けるし!」
「わかったわかったよ」
同性の頼み事などはっきり言ってききたくないが、隣でぐだっている店主には色々と大変世話になっている。たまには借りを返すつもりで付き合ってやってもいい。ただし今度来店した時は絶対に一杯奢らせる。
「じゃ、いつもの、頼むよ」
「へーい」
氷が半分以上融けたグラスをランスロットに差し出した時だった。
入り口扉が勢い良く開いた。
(2)
救世主が現れた!とばかりにランスロットと共に振り返ったシャロンは、盛大に肩を落とした。ランスロットに至っては「げ」と小さく呟く。
落胆する二人に構わず、扉を開けた時同様、その人物は大きな音を立てて扉を閉めた。あまりの喧しさにハルが顔を上げる。
広い店内とはいえ、走る程の距離じゃないのにその人物は小走りでカウンターへ向かってくる。近づけば近づく程に確信は強まっていく。
「ねぇ!まだ閉店してないでしょ?!ビール一杯ちょうだい!!」
「ここはガキが来るとこじゃねぇ」
ハルとの間でシャロンを挟む形で隣に座った少女に、起き上がりながらハルが告げる。懐中時計はいつの間にか元に戻したらしく、顔色はまだ赤いが目つきと声は普段に戻っていた。
ラカンターが他の大衆酒場と一線を画すのは酒の種類が豊富かつ良質なだけではない。公序良俗にきちんと基づいた経営、店内の清潔さ、広さなども心地良く酒を嗜むのに一役買っている。態度の悪い酔客や未成年は出禁にする潔い姿勢も客から好感を持たれている。
「あたし、子供じゃない!」
「いや、どう見てもガキじゃねぇか。せいぜい十二、三ってとこだろ」
「違う!十四だし!!」
「やっぱりガキじゃん」
「あぁ、未成年に変わりないな。他はどうだか知らんが、うちは十五歳以下に酒提供しないんでね。ほら帰れ帰れ」
酒の匂いをぷんぷん振りまきながらの追い払う仕草に、少女の色も質も藁に近い栗毛は逆立ち、髪より濃い栗色の瞳は吊り上がり。鼻先や頬が真っ赤なそばかす顔は益々赤くなっていく。
栗毛に栗色の瞳、そばかす顔の容姿はこの国では多い。特に
少女とハル達の応酬を傍観しつつ、ふと、未成年が真夜中に歓楽街をうろつくことに違和感を覚えた。
(法律違反だが)年端もいかない売春婦もいるにはいるが、この少女に限ってはそうは見えない。痩せてはいるが不健康そうでもないし、不潔さもないので孤児でもなさそうだ。不良娘という雰囲気でもない。と、なると――、家出、か。
階級が下がれば下がる程、荒れた家庭環境になりがちだと聞く。もちろん一概に言えたことではないが(レズモンド家など例外の最もだ!!)
レズモンド家の名が浮かぶと、自動的に出会った頃の幼いグレッチェン、否、アッシュの姿が思い出される。すると、アッシュとは似ても似つかないのに、この少女と彼女が重なって見えてしまう。
容姿が似ていないだけじゃない。アッシュは口答え一つできなかった。口答えするだけの言葉も気概も持ち合わせていなかった。
らしくない。何を考えている。
少女とハル達が言い合いを続ける横で頭を振る。
裏稼業以外で余計なことに首を突っ込むな、と、グレッチェンに言い含めているのは自分だ。(正義感の強さゆえ中々守ってくれないのが頭痛の種だが)なのに、その自分が(珍しく)彼女の正義感に当てられ……、た、のか??
「ハル、ランス。有無を言わさず追い出すのは賢明じゃないと思う。今はリトルレディが出歩く時間帯じゃない。事情があってこの店に飛び込んできたかもしれないぞ??」
「はぁ、事情??事情って、例えば何だよ??」
「例えば、家にいたくない理由があって家出……、とか。」
「尚更知らねぇよ。成人前の家出娘なんてこの界隈にゃ吐いて捨てる程いる。助けを求めるなら酒場じゃなくて教会か救貧院にでも行きゃいいだろ」
「じゃあ、その成人前の娘を真夜中の寒空へ放り出すっていうのか??」
「だったらお前が一晩預かってやれよ。せいぜいグレッチェンへの最もらしい言い訳考えとけ」
売り言葉に買い言葉。
『いいだろう』と喉まで出かかった――、が、結局言い出すことはなかった。
少女が椅子を引き倒す勢いで立ち上がったのだ。
「もういいのっ!ケチジジィども!!」
「った!!」
「おいこら、クソガキ。誰がジジィだ。オッサンと訂正しろ!」
「俺、まだオッサンじゃないんだけど?!」
去り際、少女はなぜかシャロンにわざとぶつかった後、ラカンターから出て行った。
「なんだったんだよ、あのガキ」
「わっかんないっす!」
開け放されたままの扉を忌々しそうにハルは睨み、ランスロットは肩を竦めながら扉を閉めにいく。
「シャロン、さっきは悪かった。酔いもすっかり醒めちまったし、ラストオーダーで一杯奢るわ。ん、どうしたよ??シャロン、お前、何固まってんだ」
「……ない……」
「あ??」
「……ないんだ……」
「だから何が??つーか、顔色悪くないか??……あぁ??」
「やられた!盗られた!!」
酔いは醒めても顔に赤みが残るハルとは反対に、シャロンの顔の血の気がどんどん引いていく。
「盗られたぁ?!何を……、あっ」
震わせた両手の間、シャロンのネクタイを見た瞬間、ハルは目を剥く。
ほんの数分前まで誇らしげに光っていた純銀と琥珀のタイピン、安い混ざり物の銀のタイピン――、どちらもグレッチェンからの贈り物、が二本共失くなっていた。
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