第58話 Stand my Ground(13)
(1)
壁に沿って作られた低い棚の上には鉢植えの花。棚の下の段や床、玄関回りには切り花を入れた手桶が数多く置かれている。
店の内外で咲き誇る色とりどりの花々を前に、どの花にしようかとグレッチェンは迷っていた。神妙な顔つきで考え込む彼女の隣で、シャロンは優しい眼差しを送りながら見守る。
グレッチェンは何度となく店の花々に視線を巡らせた後、店員の女に「黄色のガーベラで小さめの花束を作ってください」と呼びかけた。店員は何本か黄色のガーベラを手に取ると、手際よく白い紙でくるくると包み、受け渡す。
シャロンが代金を支払うと、二人は花屋を出てすぐの角地で待たせていた辻馬車に乗り込む。
「数ある花の中から、それを選んだ理由は何だね??」
大事そうに花束を抱えていると向かいの席からシャロンが尋ねてきた。
「花弁や茎の色が、アドリアナさんの髪や瞳の色と似ている気がしましたし、小さな太陽みたいな花だと思ったからです」
「……そうか……」
グレッチェンが花束に埋めるようにして顔を逸らしてしまったため、二人の間の会話は打ち切られた。車内は波を打ったようにしんと静まり返る。
徐々にウエスト地区の補正されたなだらかな道から未舗装の埃道へ、車体の揺れが大きくなっていくごとにイースト地区の教会へと近づいてゆく。
教会の正門前で馬車は停車し、シャロンは先に車内から出て地に降り立つと、グレッチェンの手を引いて馬車から降りるのを手伝う。
繋いだ手はそのままに門を開けようとしたが、さりげなく手を振り解いた。怪訝そうなシャロンに、グレッチェンは慌てて弁解する。
「あ、いえ、その……。小さな子供ではありませんし……。前みたいに、シャロンさんの手を借りなければ、歩くことさえ覚束ない、なんてことはなくなりましたから……」
グレッチェンは生まれてから十二歳までの間ずっと、レズモンド家の屋敷に軟禁状態だった。そのせいで体力や筋力がなく、五分と経たずに立ち続けることや歩き続けることが困難な状態であった。
しかし、シャロンに引き取られてからはほぼ毎日彼と外を散歩するように努め、また薬屋に出向く時なども出来るだけ歩くようにして、少しずつ体力作りを行っていた。お蔭で、マクレガー家で暮らして一年以上を過ぎた今、以前と比べ物にならない程体力がつき、健康な身体へと変わりつつある。
(……考えてみれば、イースト地区からノース地区まで逃げ切るだけの脚力があったしなぁ……)
改めて、グレッチェンが心身共に著しく成長を遂げていることをシャロンは思い知らされる。
嬉しくもあるが、少し寂しくもある……と、自分の一歩先を歩くグレッチェンの後ろ姿を感慨深げに眺め、聖堂を通り過ぎて奥の墓地へと進んでいく。
安息日である今日は、教会に訪れる人々の数がいつもよりも多い。聖堂やその周辺には人が大勢集まっていたが、墓地に限っては閑散として人気がほとんど見当たらない。
木々が鬱蒼とし、日の当たらない暗い墓地は昼間の時間帯でも不気味な雰囲気を醸し出している。あちらこちら好き放題に伸びた雑草に埋もれ、雑然と並ぶ各家々の苔だらけの墓石が余計に侘しさを感じさせた。
「グレッチェン、アドリアナの墓ならこの辺りだよ……」
きょろきょろと墓場全体を見回すグレッチェンに声を掛けた時だった。
「馬鹿野郎!!!!余計なことするんじゃねえ!!!!」
聞き覚えのある少し枯れた男の怒声、バキッ!!と骨と骨がぶつかる固い音がアドリアナの墓のある方向から聞こえてきた。驚いた二人が音がした方向を注視すると――、ハルが危険な猛獣を思わせる獰猛な目つきで彼と同じくらい背の高い、短い金髪の男の胸倉を掴んでいた。
(2)
「し、仕方ないだろぉ、男爵からも親父からもあいつが自殺するように事を進めろって……。それに、ハロルドに代わってアドリアナの仇を取ってやろうと……」
殴られた男は焦って宥めようとするが、ハルは男の襟元を益々きつく締め上げていく。ハルの金色が入り混じった瞳には殺気が存分に籠められ、彼と同じ色を持つ男の瞳は恐怖と動揺に支配されていく。
「あぁ??うるせぇよ、誰が仇を取ってくれって、いつ頼んだ??勝手に俺の気持ちを推し量ろうとするんじゃねぇよ。いいか??あの医者が死のうが捕まろうが、もう俺にとっちゃどうでもいいんだ。仇を取ろうが何しようが、あいつが生き返る訳じゃない」
「……ハロルド……」
「ディヴィッド、悪ぃがしばらく俺の前に姿を現さないでくれ。すぐにでもとっととここから立ち去ってくれ」
「…………」
「おい、何度も言わせるな……。今すぐに立ち去れっつってんだよ!!」
顔を真っ赤にさせ再び怒声を浴びせるハルと反対に、見る見る内に男の顔色からは色が消えていく。
怯えてもいるが、決して納得はしていないと言いたげに唇を捻じ曲げると、男はさっとハルに背を向け、この場から足早に離れていく。すれ違いざまにシャロンの肩と男の肩が掠ったものの、非礼を詫びることもなく墓地から立ち去って行った。
「あぁ、お前ら悪かったな。ちょっとばかし見苦しい姿晒しちまって」
目の前で繰り広げられていた光景に唖然とするばかりのシャロンとグレッチェンに近づきがてら、ハルはバツが悪そうに苦笑いしてみせた。
「いや……、別に私達は気にはしていないが……。彼は……??」
「あぁ、あいつか??店の経営者の関係者だ」
「と言う事は……、サリンジャー一家の……??」
「あぁ、そうだ。重ねて悪ぃが、さっきの会話の内容についても聞かなかったことにして、忘れてくれないか。シャロンだけじゃない、グレッチェンもな」
先程のハルと男の間で交わされた、僅かな会話からでも大体の事情が何となく伺えた。シャロンの肩を軽く叩くと、ハルはグレッチェンに向き直る。
グレッチェンもグレッチェンで、会話の詳細な意味までは理解できないものの、ハルとシャロンとの間に流れる微妙な空気から、自分にはまだ入り込めない『大人の事情』が介在していると察し、無言でゆっくり首肯する。
二人が沈黙の意思表示を見せてくれたことで、ハルは心なしかホッとしたような、張りつめていた表情が少しずつ緩んでいく。
「悪いな、折角アダの墓参りに来てくれたってのに。あぁ、もうさっきの話は終わりだ。それはそうと、グレッチェン。抱えている花束の花はお前さんかシャロン、どっちが選んだんだ??」
唐突に切り替わった話題にグレッチェンは「……え??」と戸惑ったものの、「……私が選びました。黄色のガーベラはアドリアナさんの雰囲気と合っている気がしたので……」と答えた。
「そうか。まぁ、確かに、黄色のガーベラは色や花弁はもちろん、花言葉も優しさ、親しみやすさ、暖かさ、日光を意味するらしい。あいつにぴったりと言えばぴったりかもしれん。……って、シャロン。その面は何なんだよ??」
「あぁ……、いや……。まさかお前が花言葉に詳しいとは、意外にも程がある、と……」
込み上げてくる笑いを堪えているのが一目瞭然なシャロンに、ハルはチッと舌打ちをし、やや不機嫌そうに鼻を鳴らす。
「……アダは花が好きで、故郷の村からこの街に出てきて良かった、と思った事の一つが、故郷ではお目に掛からない色んな種類の花が簡単に手に入ることだった。で、よく貸本屋で花に関する本を借りていた。つっても、あいつは字がろくに読めなくて、代わりに俺が本の内容を読み聞かせてやっていたから、自然と花に関しての知識が身についちまったんだよ」
ハルの口から語られるアドリアナの思い出話。微笑ましい内容だからこそグレッチェンとシャロンの胸が苦しくなり、口内に苦い味が拡がっていく。
「……まぁ、必要がないと言えば必要のない知識だろうが、あいつが俺に残してくれたものの一つだと思えば、死ぬまで覚えておこうかと思う。……あぁ、辛気臭くなっちまったな。俺はもう帰るが、俺に代わってアダの話し相手してやってくれよ」
じゃあな、と去っていくハルの後ろ姿を二人は見送ると、アドリアナの墓の前まで進む。
他の墓石とは違い、まだ建てられて間もない真新しい墓石は、苔も生えていなければ日に焼けて石の色が薄れてもいない。十字架を模した墓標の下には橙色のガーベラの花束が――、おそらく、ハルが置いていったのだろう。
グレッチェンは、橙色のガーベラの隣に、抱えていた黄色のガーベラの花束を置く。
「色違いですけど、ハルさんも同じ花を選んだみたいですね」
「……貴女は私の太陽、か……」
「……えっ??」
「橙色のガーベラの花言葉だよ。ハルが花言葉の意味を含めて選んだのかどうかは定かじゃないが……」
もし、そうであったなら。
太陽を奪われた彼の心は――、永久に明けない夜の闇の中、ひとり取り残されてしまっているだろう。
アドリアナの死を受け入れ、飄々とした態度を貫いているが、その実、喪失感が大きすぎる余り虚無を感じている、かもしれない。
グレッチェンは墓標と二つの色違いのガーベラの花束とを交互に見比べていた。
ほとんど無意識なのか、シャロンの指先をキュッと掴みながら。
随分と長い間、二人は沈痛な面持ちで微動だにせず、墓の前でアドリアナへの黙祷を捧げていた。
「……グレッチェン。風が強くなってきたし馬車を待たせすぎている。そろそろ帰ろうか……」
放っておいたら、きっと日が落ちても尚、ここに居続けそうなグレッチェンの様子にシャロンは馬車へ戻るよう促す。
「……そうですね。御者の方も待ちくたびれてしまわれているかもしれませんね……」
「……もしかしたら、いつまで待たせるんだ、とカンカンに怒っているかもね……」
「……ひょっとして、乗車賃をうんと高い値段で請求されたり、とか……」
「……それは由々しき問題だ……」
「……では、一刻も早く教会を出ましょう……」
二人は下手な冗談を交わし合うと、まだ名残惜しい気持ちを残しつつ、アドリアナの墓を後にした。
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