第42話 Everybody's fool(13)

(1)


 ――時同じ頃。高級住宅街の中でも更なる一等地、ある男の屋敷にて――



 豪奢な造りの広いベッドの上、一心不乱に腰を動かす男の下で、女が甘い嬌声を上げ痴態を晒していた。

 男の方はというと。一定時間同じ体位で行為を続けるのに飽きてきたのか、いきなり身体を反転させ、女を腹の上に乗せて騎乗位の態勢へと持ち込む。女の声と動きは益々持って激しさを増していく――かと、思われた。


 一発の銃声が轟き、女の頭の左半分が砕け散る。


 男は、血飛沫と飛び散る頭蓋や脳漿、倒れ込んでくる女を避けるため、咄嗟に自らの身体から引き剥がし、わざとベッドから床へ転がり落ちる。

 素裸のままで立て膝をつき、立ち上がろうとしたものの、カチャリ、金属音が耳元で鳴る。こめかみに銃を突きつけられていた。


「……貴方、厳重な警護を掻い潜って、どうやってこの屋敷に忍び込んだのですか??」

「あ??ちょっとばかし手荒な真似をさせてもらっただけさぁ。大丈夫、大丈夫ぅ、誰も殺しちゃいねぇ……、って、今し方一人だけ殺っちまったけどな……」


 銃口を向けるディヴィッドは間延びした口調とは裏腹に、怒りを押し殺した顔で男に語りかける。


「女を盾にするとは、相変わらず非道極まる男だねぇー。……ったくよぉ、常に女には優しくありたいという俺の矜持をさぁ、よくもまぁ傷付けてくれやがってよぉ……」

「あぁ、それは大変申し訳ありませんでしたねぇ、ディヴィッド様。でも、貴方も貴方で女を殺したのは故意だったのでしょう??」


 返答次第では即座に撃ち殺されるというのに、男はニヤニヤと笑いながら挑発めいた言葉を投げてくる。言葉遣いこそ品があるものの、蜥蜴や蛇といった爬虫類を思わせる冷たい顔立ちからは狡猾さが見え隠れしていた。

 ディヴィッドは男の問いに答える代わりに、苛立たし気に舌を鳴らす。


「口を慎めよ、ハーロウ。元が子爵家のお貴族様だか何だか知らねぇけどよぉ。あんたはちょっとばかし調子に乗りすぎだってんだ」

「おやおや、ドン・サリンジャーの愛息ともあろう方が、わざわざ危険を冒してまで我が屋敷に単身乗り込んで来たのは、ありきたりなお説教をするためではないのでしょう??クロムウェル党の頭目である私を始末しに来たのでは??」


 クロムウェル党とは、この街の人々の誰もが恐れ、ファインズ男爵が頭を悩ませている凶悪な犯罪組織であり、ディヴィッドに銃を突きつけられている優男――、もとい、ハーロウ・アルバーンはその組織の頭目であった。


「ご名答!男爵様からは『法の下で正当な裁きを受けさせたい』」って、止められているけどなぁー。でもよぉ、不可抗力といえ、罪のない女を無残な死なせ方させちまったからさー、やる気が失せたわ。だからぁ、今回はほんの忠告だけに留めておくぜぇ」

「忠告??脅迫の間違いでは??」


 依然、嫌な種類の笑みを絶やさないハーロウの顔をディヴィッドは蹴りつけ、金茶色の髪をきつく鷲掴む。ハーロウはそれでも平然と笑っている。


「なぁなぁ、ハーロウの旦那ぁ。さっきさぁー、ウォルター・ケインっていう変態爺ぃの屋敷に、うちの男娼の用心棒役で付き添って行ったらさぁー……。奴の自室の窓から銃を持った不審者が侵入してきたんだよねぇー。で、うちの男娼を傷つけられちゃ困るから、こっちも銃で応戦してやったら見事命中したんだわー。でも、そいつ、こともあろうに時限爆弾使って自爆しやがったの!あれって、あんたのところの党員なんだろぉ??どうせ、あの爺ぃの保釈金を用意したのもあんたで、奴と手を組んで依存性の高い阿片をまずはお試しで上流階級に広めた後、いずれ中流から下層にまで売りさばいて一儲けしようって魂胆だったんだろぉ??なぁ??でも、あの間抜けな色呆け爺ぃがいまいち信用しきれなかったあんたは、護衛を付けるって名目で、爺ぃの部屋のバルコニーに党員を付けて常に動向を見張らせていた。で、爺ぃがへまをした場合には始末するよう命じていた……、違うかぁ??」


 髪を掴まれていてもハーロウは痛がる素振りを一切見せないどころか、ディヴィッドの推測に対し、パン、パン!と手を叩いては大仰に褒め称えてみせる。


「流石はサリンジャー一家の次期頭目となる御方ですねぇ!いやはや、おみそれ致しました」

「そりゃあ、どういたしましてー……、……あんたに褒められてもちっとも嬉しくないけどねぇ。で、どうすんの??ねぇねぇ、どうすんのぉ??俺の気が変わらない内に、ウォルター・ケインと共謀してさばいていた阿片を全部処分するかぁー、それとも、そのお粗末なモンを晒け出したまま、脳天撃ち抜かれて死を迎えるかぁー。どっちか好きな方を選びなぁ」


 ディヴィッドはハーロウを床に突き飛転がし、再び銃を構える。

 ハーロウは床に横たわりながら、やはり厭らしく笑っては肩を竦めてみせる。


「そうですねぇ……。私よりも下位の家柄の、ダドリー・ファインズ男爵自体は敵に回したところで痛くも痒くもありませんけど、サリンジャー一家に睨まれたとあっては話が変わってきますしねぇ……。いいでしょう、あの阿片はヨーク河に流し……」

「ふざけんな」


 瞬時に険しい顔付きに変わったディヴィッドは、引き金に掛けた指に力を込める。


「冗談ですよ、ディヴィッド様。ちなみに、阿片の管理は私ではなくケインさんが行っていましたから、彼の屋敷をくまなく物色すれば自ずと全部押収できますよ」

「本当かぁ??」

「えぇ。私も人間ですから、生命の危機に瀕している中で嘘を吐く程の度胸はありません」


 ハーロウの言葉への疑いは晴れないものの、ディヴィッドは一応納得――、相当無理矢理ではあるが――、どうにか納得すると、銃口をようやく下げた。


「いいかぁ??一家で一番若輩者の俺ですら、簡単に屋敷へ侵入できたんだ。てことはだなぁ、もしも、あんたが嘘を吐いたと俺達が判断を下した場合にはどうなるのか――、よーく覚悟しとけよぉ??」


 間延びた口調と険しい顔付きという、ディヴィッドの態度はどこか薄気味悪さを醸し出している。勿論、ハーロウは一切動じて等いない。

 ディヴィッドは銃を手にしたまま扉まで後ずさると、後ろ手で扉を開けてハーロウに背中を見せないよう、素早く部屋を後にした。




 ディヴィッドが部屋を去った後、ハーロウはベッドの上の、かつて女だった躯にちらりと一瞥くれる。


「……まだまだ青いですねぇ、ディヴィッド・サリンジャー……。ウォルター・ケインの死も阿片での儲けを失うのも、私にとっては取るに足りない、微々たる損害でしかないのに……」


 細く吊り上がった糸目はどこまでも無機質で冷たいのに、口角を引き上げて笑うハーロウは、獲物を捕らえる寸前の蛇のよう。


「私を生かしておいたことを、彼はずっと後に地団太踏んで悔しがることになるでしょうねぇ……」


 堪え切れず、くくく……と、ハーロウは一人で愉しそうに忍び笑いを漏らしていた。






(2)



 ――約一時間後――



 閉店後のラカンターにてハルと従業員のランスロットは、皿やグラスを洗ったり、店内を掃除したりと、後片付けに勤しんでいた。


「ランス。片付けも一通り終わったから、今夜はもう上がっていいぞ」

「へい、了解っす」


 テーブルを一つ一つ丁寧に布巾で拭いていたランスロットは、最後にカウンター席の天板を磨きあげる。

 かつては周囲でも評判の悪ガキだったゆえ、仕事振りも雑なのではと疑われがちだが、意外にも仕事に関しては真面目で几帳面な少年なのだ。最も、それはハルの教育的指導の賜物でもあるが。


「じゃあ、ボス。お疲れさまっす」

「あぁ、気をつけて帰れよ」


 裏口の扉から出て行くランスロットの背中を見送ると、ハルは一服がてら煙草に火を付ける。

 数分後、煙草の吸殻を灰皿に押し付け、奥の部屋からカウンターに戻ろうとしたハルの背後で扉が開く。


「何だよ、ランス。忘れ物か??」


 振り向いたハルの目の前には、へへへ……、と気まずそうに笑うランスロット、ではなく――、気まずそうに笑うディヴィッドが佇んでいた。


「閉店後に来ちまって、悪ぃ、悪ぃ」

「あ??全くだ。たまたまランスが帰った後だったから良かったものの」

「まぁまぁ、そう言うなってば……。とりあえず、マクレガーの旦那とお嬢ちゃんは無事にストロベリーフィールドに送り届けたし、ハーロウ・アルバーンにも散々脅し掛けてきたから、あの二人がクロムウェル党に狙われる心配はないぜぇ??」

「本当か??」

「ていうか、ウォルター・ケイン含む、クロムウェル党の息が掛かった連中で、あの二人を見た奴は全員死んじまったからなぁ。第一、旦那もお嬢ちゃんも変装していたし」

「そうか……。あいつらの身に何事も起きてなければ、俺はそれでいい」


 ハルはホッと胸を撫で下ろすと、「おい、ディヴィッド。カウンターに来いよ。俺からの褒美として一杯奢ってやる」と、カウンターまで来るように促す。

 すると、どことなくどんより曇っていたディヴィッドの顔色がパッと輝く。


「さっすがハロルド!気前が良いねぇ!!」

 すっかり機嫌を良くしたディヴィッドは、ハルと肩を組んでカウンターに行こうとする。

「おい、やめろ。俺は男とくっつく趣味は無ぇぞ」

「まぁまぁ、いいじゃんいいじゃん!って、俺もそうだけどよぉー」

「なら離れろ。むさ苦しいし暑苦しいし、鬱陶しい」


 心底迷惑そうに、眉間に皺を寄せるハルに、へいへーい、わっかりましたぁ、と、ディヴィッドはあっさりと身を離す。


「で、ライトエールでいいか??」

「おぉ、流石だねぇー。俺の愛飲しているモノを分かってくれるとは!」

「お前、酒弱いもんな」

「ああぁぁ……、そこは突っ込まないでくれよぉ……、アニキィ……」

「アニキはやめろ、アニキだけは……」

「別にいいじゃんよぉ。どうせ、今俺とアニキ二人しかいないんだから」


 嬉しそうに笑いながら、カウンター席に座ったディヴィッドに「お前……、修羅場から戻ってきたばかりの癖に、やけに元気だな……」と、ハルは大きく溜め息を吐き出す。


「…………まぁ、お前が無事だったからこそ、言える台詞だよなぁ………」

「あららら、俺の心配もしてくれていた訳??」

 ハルはディヴィッドの言葉を無視し、厨房にライトエールを取りに行く。

「ほらよ」

「おぉ、ありがとさーん。大仕事終えた後の一杯は格別だねぇ!!」


 美味そうにライトエールを口に含むディヴィッドを、ハルは金色が入り混じったグリーンの瞳で静かに眺める。

 その視線に気付いたディヴィッドは、ハルと全く同じ色の瞳で見返し、ニヤッと笑い掛ける。


異母兄にいさんよぉ、本当にありがとうなぁー」

「別に……。曲がりなりにも異母弟おとうとを気遣っているまでだ」


 へぇー、と感嘆の声を漏らすディヴィッドを再び無視すると、ハルは二本目の煙草に火を付けてこの会話を強制的に中断させたのだった。

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