第3話
狼の王の城は黒曜石で建造されている。
雪の中でも圧倒的な存在感であった。
この城門の石枠には黒衣の魔女によって、子羊の生き血で古代語のルーン文字が刻まれていた。
黒衣の魔女と呼ばれるその女性は美しい顔立ちであり、女性の割りには長身であった。妖艶な唇は深紅の紅をさしていた。
しかし、その美しさは凍りつきそうな冷淡さを感じさせるものだった。
そして黒色のドレスは彼女の雪のような真っ白な肌を際立たせた。
王ユアンが炎の神の僕を伴い王都に帰還すると、黒衣の魔女は直ぐに姿を現した。
炎の神の女司祭である紅い女はしきりに魔女の危険性を危惧し、王へ進言していた。
野心家な王ユアンはどんな力だろうが利用させてもらうと言って、女司祭の助言を退けたのだった。
黒衣の魔女の魔法の門によって、狼の紋章の軍勢は意図も簡単に獅子の紋章の国の王都まで進軍することができた。
不意をつかれた獅子の王は、城に立て籠り防御に徹したのだった。
「鉄壁の防御を誇るこの獅子の王城を陥落させるためには、あの城門壁が邪魔だな」
ユアンは無表情のまま目の前に広がる敵の城を眺めていた。
「あなたのお得意な魔法の力で何とかならないかしら?」
紅い女は黒衣の魔女を揶揄するように言ったが、魔女はそれを意にも介さないような表情を向けただけであった。
「破壊の魔法には限界がありますが、あらゆるものを一瞬にして腐らせる魔法なら絶大な効果があります。あの堅牢な城門壁も王城も人間も全て腐敗させられます。どういたしますか? 殿下」
「やれるなら、やってみせよ」
王は何一つ表情を表さなかった。
エルフの血で染め上げた黒衣の魔女の魔法使いのローブは漆黒の闇の色をしていた。
魔女はローブを纏いフードを深く被り、全身を隠していた。
黒衣の魔女のしなやかで美しい指に握られている杖は、魔法使いの杖であった。
この杖には古代語が彫り込まれており、奇妙なほど歪んだ樫の杖を天に向けて突き上げた。
そして万物の根源であるナマの魔力を発動させるために、高らかに古代語を詠唱し始めた。
強力な魔法のためか張りのある若々しい美しい声で、長らくその呪文の詠唱が続いた。
古代語の詠唱が終わると同時に樫の杖を固い地面に突き刺すと、その部分から地面は腐り始めていった。
地面の草は枯れ地虫や蛆虫などが沸いて出てくるのを、無表情でユアンは眺めていた。
大河の濁流のように大地はうねりながら腐っていったのだ。
その腐敗した大地は、やがて堅牢を誇る城門壁へと到達する。
巨大な石を隙間なく積み上げた城壁は、大地との接地面である下から腐敗した。
城門壁全体を腐敗させ朽ち果てるに然したる時間はかからなかった。
城下町も民も家畜も何もかも全てが腐った。
城の城壁までもが腐り、城も跡形もなく腐敗した。
一日のうちに大国の一国と一名家が滅亡したのだった。
黒衣の魔女は杖を大地から引き抜くと腐敗の広がりは止まった。
魔女のローブの裾から見えた指は若くしなやかな指ではなく、枯れ木のようなふしくれだった指に変わっていた。
だが、誰もそのことには気づかなかった。
狼の王の騎手の軍勢は目の前の腐った大地に意識が釘付けだった。
炎の神の兵士は石像のようにその場で佇んでいるだけであった。
フードを深く被った黒衣の魔女は再び古代語を詠唱した。
詠唱が終わると瞬時に姿を消した。
瞬間移動の呪文の詠唱をした声には若々しい張りはなく、しわがれていたのだった。
黒衣の魔女が忽然と姿を消してさえ、王ユアンの顔には何の感情も読み取れなかった。
北部の外れの地に、この領地を治めていた貴族の館があった。
この地に疫病が流行してから村は全滅した。
それ以来、誰もここには近づくことがなくなった。
土地は荒れ果て何もない土地は王に返上されたが、新たに領主となる者を任命せず民も移り住むことはなかった。
廃墟となった領主の館に、住み続けている者が帰宅した。
奇妙に曲がった杖をつきながら屋敷の中へと入った。
フードを後ろにはねあげ、魔法使いのローブの留め金を骨ばった指で震えながら外した。
黒いドレスは無惨な状態で身体に纏っていた。
ドレスを脱ぎ捨て一糸纏わぬ姿となった。
簡素な木製の机の上には、魔力を発動していない物見の水晶球が置かれていた。
黒水晶で作られた物見の水晶球には部屋の中の様子が映り込んでいた。
黒水晶球を覗き込むと、そこには白髪の老婆の顔が映り込んだ。
老婆はまじまじと黒水晶球に映る人物の容姿見てから頭を振りった。
冷血な瞳ではなく悲壮感を湛えた瞳で水晶に映る人物を一瞥してから、黒水晶球に布をかけてたのだった。
老化で筋力が失われた細長い手足はまるで枯れ枝のようであった。胸骨が浮き出た胸部とは対照的に、胸部は余分な脂肪で突き出ている。
その姿は醜悪で狡猾な妖魔と呼ばれるゴブリンの姿に酷似していた。
彼女は奇妙に曲がった樫の杖をつきながら浴場へと向かった。
浴槽には神秘的に七色に輝く液体が満たされていた。
老婆は浴槽の液体の中に片手の手首まで浸けた。
そして、液体から片手を出してみると、そこには瑞々しい肌をした手があった。
老婆はその液体に沈みこむように体全体を浸したのだった。
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