第2話

本文

 透明な幕のようなものが、黒い大理石の砦全体をドーム状の半球体で包んでいるようであった。


 半球体の透明な幕の表面上は、陽の光を受けて輝く水が流れ続けているように絶えず光を放ちながら流動し続けていた。



 ウィリアムたちが廃墟の砦の門まで近づいた頃には、透明な幕で構成されている上空のドーム状の屋根部分辺りから硝子が溶解していくようにが消え始めた。


 ウィリアムは魔法には詳しくないが、この砦を覆っていたものは魔法の防御壁のようなものなのだろうと理解した。


 やがて黒い大理石の砦を覆っていた魔法の防御壁はその役目を終えて完全に消滅したのだった。


 そしてこの館の主である大魔導師トレバーはいつの間にかウィリアムの隣に並んで素知らぬ顔をしながら立っていた。


この老人の悪趣味には苦笑いさせられるばかりであった。


「ウィル。久しいなと言うにはまだ月日は経っていないが……」


 そういいながら老魔術師はウィリアムの連れたちを見渡して満足そうに二度頷いた。


「ウィル、王都には戻らぬことだ。王は城へ帰還したがお主の父は心が病んでおる。炎の兵士を”神の使い”とし聖戦を始めようとしている。騎士も国民も紅い女の妖術で魂を抜き取られたように操り人形と化しておる」


「父も操られているのでしょうか?」


「残念ながら操られてはおるまい。だから心が病んでおると言ったのだ。狂信者の言葉に毒されたんじゃな」


 ウィリアムは困惑した。


 非力で無知な自分の力ではどうすることもできない現実を突き付けられたのだ。


「母方の姉を頼ってみようと思います。伯母様は竜の紋章の王に嫁ぎました。わたしの話を聞いていただけると思います。そして……」


 ウィリアムの言葉の続きを老魔術師は続けた。


「そして、軍隊を貸してもらうということだな」


 ウィリアムは頷いた。


 老魔術師トレバーは呆れたように鼻を鳴らした。


 戦が始まれば多くの民は巻き込まれて死ぬだろうし、竜の王が勝てば狼の王のこの北部の領土は併合されるだろう。


 そうなると王子であった者は国土も民も失うとトレバーは呆れながら説明した。


 老魔術師は竜の紋章の領地にある魔法学院の学長から情報を得ていたが、学長は殺害された。


 その時に学長が保有していた物見の水晶球も奪われ所在が知れなかった。


「じゃが、残念なことにウィルお前の伯母は先日亡くなった。竜の王もいない。反乱があり王も王妃も殺害された。今は幼い王女が女王として即位しているが、反乱の首謀者たちに宮中は官吏に牛耳られておると聞いた」


「いとこがいるのは知っていますが、私はこの北部から出たことがないので会ったことはないのです。彼女の名前は確かディヴィナだったと思います」


 ウィリアムはそれ以上は何も知らないと言うように頭を振った。


「ディヴィナ……」


 少女はその名を噛み締めるように呟いた。


 ウィリアムはそんな少女を少しの間見詰めた。


 しかし、名前が同じであるだけだと思った。


 老魔術師は王女は女王として即位していると言ったばかりなのだから、目の前の少女が女王なわけがないのである。


 老騎士バイロンもトレバーの話を聞いて何かに納得したようだった。


「ウィリアム殿下、わたしはあなたについて行くわ。戦なんてされて、これ以上この森を灰にされてはたまらないから見張らせてもらうわ」


 エルフの娘ユーリアは強い意志を示しながら言った。


 ドワーフのイムリはウィリアムを気に入ったと言ってついて行くことにした。


 その旅で竜に出くわすこともあると楽し気であった。


 少女ディヴィナは記憶が戻るまで旅について行くことにした。


 老騎士バイロンと若い騎士ピーターは王都へ戻り、現状を把握する任務に就いた。


 老魔術師トレバーはこの地に留まることにした。


 無力な人間からしたら魔法使いは恐怖の対象でしかなかった。


 彼らはの魔法の力は恐れられはすれども尊敬されることはないのだ。


 それを知っているからこそ、老魔術師は人がいない北部の廃墟砦を住みかにしているのだった。


 これから起こるであろう戦で大魔導師として強大な魔力を行使することは死者の数を何十倍何百倍に膨れ上がらせる結果となる。


 ならば、世捨て人のように隠居生活をし歴史の傍観者となるのが一番犠牲者を出さないのだと信じているのだ。


 ウィリアムたちはこれから南へ下り竜の紋章の王国の領地へ向かうことにした。


 北部から南部へ移動するには、海路を使うのが一般的なのだがウィリアムには船がなかった。


 そのため、深い森の南側に広がるかつて荒れ地と呼ばれた領域を通らざる終えなかった。


 危険ではあるが黒エルフの闇の森を抜けて行くことにした。


「黒エルフ族は盗人なの。妖精界にある世界樹の枝を奪い、闇の森を創造したわ。黒エルフはわたしたち古エルフ族と同じ種族だったから精霊魔法の使い手で弓や剣も扱える戦士だから十分に気をつけてちょうだい」


 ユーリアは黒エルフとは関わり合いたくないと強調した。


 彼らは自分の種族以外を決して認めないのである。


 外敵に対して閉鎖的であり殺戮して完全に排除する気質だとも言った。


 冗談ではなくドワーフのイムリは、この闇の森には近づかないにこしたことはない。


「急ぐことだ。最後に物見の水晶球を見た時、炎の兵士と王は出兵しておったぞ」


 老魔術師の話によると、黒衣の魔女が王ユアンの元に現れたのだというのだ。


 黒衣の魔女はなにやら裏で糸を引いて暗躍しているということだった。


 場所を瞬時に移動させる瞬間移動が可能な魔法の門を建造させたそうなのだ。


 それで炎の兵士を移動させているのだということだった。


 この世界には十三個の物見の水晶球が存在していた。


 それらの水晶球同士は魔力で繋がっているため相手にもこちらを見られることから、トレバーは物見の水晶球に布をかけて使うのをやめたのだと言った。


 黒衣の魔女の水晶球は魔法学院の学長の物ということであった。


 黒衣の魔女はエルフ族のように不老不死のごとく何百年もの歳月を生きている。


 失われた古代語魔法の奥義にも精通していた。


 死霊魔術の使い手でもあるのだ。

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