第4話

 針葉樹と広葉樹が、互いに争うことなく共存共栄している。


 樹木は幹が太く根元付近の表面には、緑色の苔が密集していたであろう箇所は冬季の凍てつく寒さに茶色く枯れた姿で、その場に留まっていた。


 広葉樹の紅葉し終えて、地表へ舞い降りた朱色や山吹色などの色鮮やかな枯れ葉が深く体積していたが、今はその上に深雪が降り積もっている。


 そのため森が本来持つ活気さとは対象的な静寂が森全体を覆っているため、大聖堂のような神聖さを感じさせた。


 足首の踝まで積もった雪は、鉄の甲冑の若者の足取りを遅らせていた。


 何度も雪に足を取られては豪快に転倒し、雪の純白なキャンバスの上に滑稽な人の姿を描いた。


 自分を皮肉りたくなるほど、今の状況は救いがたいものであると若者の表情には引きつったような苦笑いが浮かんでいた。


 ウィリアムの一団は”深い森”と呼ばれる西の森の中にいた。


 方向感覚を失わせるようなこの森の樹々は、まるで樹々そのものが意思を持って生きているように、この森の侵入者たちをさらに迷い込ませた。


 道なき道を歩き続け、何度も繰り返し同じ場所を巡っているのではないかという不安だけが、心の中に足跡を残した。


 人生は皮肉に満ちている。


 この森のように出口のない迷宮のようなものだ。


 このまま自分の失態で、自分に付き従う者たちの命を失うわけにはいかなかった。


 ウィリアムは自分に向けて呪いをかけてやりたいと思うほどだった。


 地下墓所のように静まり返ったこの広大な森では、どんなに強い精神の持ち主の人間でも正気を保っているのは難しいだろう。


 森の中で突然、草色の染料で染められたフード付きのローブ姿の人が現れた。


 ウィリアムは疲れが幻覚を引き起こしたのかと思ったが、そのローブ姿の人は俊敏な動きで瞬く間に傍までやって来た。


 フード付きのローブで身を覆い、フードの奥から垣間見るその顔は、美しいとか可憐という言葉が似合う。


 そして、その少女は聞きなれない言葉で話しかけてきた。


 ウィリアムは学匠から古エルフ語と現エルフ語について少し学んだことがあったので、どうやら目の前の少女は古エルフ語で何かを言っているのだと理解できた。


 目の前にエルフ族がいるのだということが夢ではないかと思った。


 憧れのエルフ族が今目の前にいるということで、溢れ出るような興奮を抑えきれなかった。 


 ウィリアムは覚えている古エルフ語でたどたどしく挨拶をし、己の名前を名乗った。


 これ以上の会話はウィリアムには無理だったが、目の前の少女の警戒心を解くには十分であった。


「ここはエルフ族の地です。人間は即刻立ち去りなさい」


 今度はウィリアムが使う共通語で話しかけられた。


 凛とした女性の声が合図かのように、木々の枝の上には十人程のエルフ族が姿を現し、弓矢を構えて獲物を仕止める姿勢で待機している。


 警告してくれているのだと理解できた。


 本来ならば、森の侵入してきたよそ者を警告なしで矢で射ることもできたのだ。


「あなた方に危害は加えません。我々は王を探しに海岸へ行きたいのです」


「狼の王のこと?」


「王は……! 父は! ここを通ったんですね?」


「あなたは狼の王の息子なの?」


 エルフの娘の問いかけに、ウィリアムは深く頷いた。


 華奢な女性はフードを頭の後ろにはね除けると長い金色の髪が風に靡くと、流れる黄金色の川のような髪の中から先端が鋭く尖った耳が姿を現した。


 切れ長の瞳は湖面のような透き通る水色をした瞳で、ウィリアムの闇色の目をじっと見詰めた。


 神聖な者に魂の奥まで見透かされているような感覚になり、身が強張った。


「狼の王とその子たちは、確かにこの森を抜けて西の海岸へ向かったわ。もう一人紅い女も途中で現れたけれど。その女は炎の精霊力を内に秘めていたわ」


 エルフの娘の嫌悪感を隠すことなく、表情を素直に表に出していた。


 多くのエルフの精霊使いは”破壊”を司る”炎”の精霊魔法の行使を禁忌としている。


 エルフの娘は炎の精霊の力は破壊の忌むべき力であるため、狼の王に付き従う紅い女との接触を避けたという。


 人間がこの地で行う狩りなどは、大目に見てきた。


 それは人間とエルフがお互いに干渉し合わないようにするために、必要なことであると理解したうえでのことだったからだ。


 それが異なる種族がこの地で共存するために、最低限守るべき取り決めごとだと考えたからだった。


 そして、限りある命の人間は数百年の間、その取り決めを守ってきた。


 永遠の生命であるエルフ族にとっては、数百年という年月は瞬きする間の時間のようなものであるが、死に行く人間が数百年の年月を守り続けたことは評価している。


 だだ、その取り決めが今、反故にされる恐れがあるのだ。


「炎は森を焼き、森の生命の息吹きを奪う」


 エルフの娘は何かを決意したように呟いた。


「狼の息子ウィリアム、わたしの名はユリア。非礼をお詫びするわ」


 エルフの娘はウィリアムに己の名を伝えた。


「これから天候が荒れるわ。その前に私が西の海岸洞窟までご案内します」


 エルフの娘は古代語とは違う言葉を詠唱した。


 精霊語が唱えらると、森の中に突如七色に輝く光の扉が開いた。


「ユーリア! 彼らを我らの故郷に入れてはいけない!」


 弓矢を構えているエルフ族の男性の一人が叫んだ。


「大丈夫。わたしは、この人間を信じるわ」


 その開かれた扉の中へ先導するように、エルフの娘は輝く光の中へと入って行った。

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