第一章 始まりの地

第1話

 鮮やかな朱に色づいた木の葉で休んでいた朝露が、陽の光を受けて七色に輝く。


 輝く雫は夜明けを告げると、葉の表面を滑り項を描いて、滞積した落葉の絨毯へと降り立った。


 短い秋が終わりを迎え、これから長い冬の始まりを告げるように、初雪は真っ白な羽毛のように空から踊りながら舞い降りてきた。


 北に位置するこの地は、極寒の地で豪雪地帯となる。


 そのため、冬季は雪によって隔絶されるため、人間が生きるには過酷な環境である。


 一年の大半を雪と氷に覆われたこの地は、氷の上位精霊である氷狼フェンリルの力が強く働いていることで、他国からの侵略を退けているのだと伝承さている。


 そのため国の守護者にして偉大なる氷狼に敬意を示し、国旗の紋章を狼としているのである。


 この国の城主の息子であるウィリアム・ダグラスは悩みを抱えていた。


 五日前に父ユアン・ダグラスは兄のグラントと妹のエレナを連れて出掛けた。


 近衛騎士や従者と侍女もロンカストラ城に残したまま行き先も告げず、三日で戻ると言い残しただけだった。


 昨日、早朝から夜通しで領地内の森から捜索が開始されたが、足取りの手がかりはまったく掴めぬまま、再び陽が昇り始めた。


 十六歳の若者は、幼い頃よりこの領地から出たこともなく、自分の知り得る世界はこの限られた領地のみであり、これが己の世界の全てである。


 近隣の国々のことについては、教育係であった学匠の豊富な知識と歴史書物の中に記されていることから学んだ。


 浅はかではあるが、ウィリアム・ダグラスは未熟な経験と知識から、王たちは自国の領地から出てはいないと推測した上での捜索だったのだ。


 針葉樹の深い森の中には、朽ちかける昔の砦が見えた。


 小さな城程の大きさはある砦は、堅牢な石造りでる。


 積み上げられた石の壁は、見事なまでに隙間なく組み合わされており、まるで一枚岩から砦を切り出したようだった。


 人間の技術では、これ程まで精巧な物は造れないと、幼いウィリアムを連れて父ユアンがこの砦を住みかにしている者を訪ねた時に、そう言った事が思い出された。


 そして、ウィリアムは父がここへ訪れているのではないかという確信もあったのだ。


 領地である北部には、大魔導師で”北の賢者”と呼ばれているトレバーが砦の遺跡に住んでいる。


 この大魔導師の強大な魔法の力は伝説として、吟遊詩人たちの歌う叙事詩で語り続けている。


 五十年前、海を渡って現れた古竜”抱擁するもの”が殺戮の限りを尽くし、七人の勇者が闘いを挑み古竜を退治したという話の中に、魔法使いトレバーが出てくる。


 ウィリアムは、捜索隊に参加した騎士たちをその場で待機するように銘じ、独りで砦へと進み出した。


 今年の初雪は例年よりもはるかに積雪量があり、辺り一面を白銀の世界へと変えていた。


 その中にたたずむ黒い大理石で造られた砦は、異質な存在感を放っていた。


 ウィリアムが砦の門まで辿り着くと、門の扉はひとりでに開かれたが、どこにも人の姿もなく気配も感じられない。


 記憶を辿りながら先に進んで行き、砦の内部へ入った。


 すると、先程まで闇に閉ざされていた空間に、魔法の灯りが通路に次々燈りはじめた。


 壁面に規則的に並ぶ人工的な青白い灯りに照らし出された壁面には、見事なまでに細部まで緻密に装飾された浮き彫りの石壁は美術品のようであった。


 この砦を造った、大地の妖精ドワーフ族の高度な鍛冶や工芸技能の技術力の高さがうかがい知れた。


 青白く照らされている長い通路を進むと、幾重にも枝分かれした通路や階段が姿を現した。


 ウィリアムはまるで迷路のようなこの砦に気圧された。


 しかし、次に進むべき方向にだけ魔法の灯りが浮かび上がり、迷うことなく進むことができた。


 建物に入ってから、いったいどのくらいの時間が経過したのかさえ分からなかった。


 再び長い通路になり、その奥に部屋がある。


 人工的な魔法の灯りが、その部屋の扉が開放された入り口から見えた。


 ウィリアムは部屋の前にたどり着いた。


「入られよ」


 部屋の奥から、男のくぐもった声がした。


 部屋の中にも人工的な青白い魔法の灯りが燈り、齢を重ねて灰色となった髪を無造作に後ろで束ねた初老の男が、暖炉の前で木製の椅子に深く腰掛けていた。


「突然の訪問をお許し頂きたい。お聞きしたい事があり、急ぎ参じました」


 ウィリアムは、蝋人形のように動かない老魔導師に挨拶をした。


「構わぬよ。来客は滅多に来ぬしな。それに、全ては物見の水晶球で見知っておるゆえ」


 ウィリアムの背後でしわがれ声がした。


 後ろを振り返ると、そこには目の前にいる老魔導師と同じ姿の男が立っていた。


 その老魔導師はゆっくりと歩き出し、暖炉の前で木製の椅子に腰掛けているもう一人の老魔導師を手で触れると、たちまち煙のように搔き消えた。


「久しいな、ウィル」


 トレバーは、この館の主人に会いに来た若者に言った。


 ウィリアムは勧められた空いている木製の椅子に腰を下ろし、目的である本題の話題を切り出した。


 老魔導師は暖炉の揺れる炎を見詰めながら、若者の話の取捨選択し内容を頭の中で整理して、真実を導き出そうとしているかのように、長い沈黙を続けた。


 暫くして、その沈黙を破り語り始めた。

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