Alice in New World

槻白倫

第1話 Alice in New World

 気付けば、少女に自由は無かった。


「――。掃除をしておいてちょうだい」


「ねぇ、私そっちも欲しい。――、ちょうだい?」


「本当にとろいわねあんた。さっさとお風呂沸かしてよ」


「――。早く支度をしなさい。……まったく、本当に誰に似たんだか」


 気が付けば、家族からは暖かい言葉を貰った事が無い。


 それでも、少女はせっせと働いた。文句を言わず。弱音を吐かず。たまに涙を流しはしたけれど、それを誰に見せる事も無かった。


 少女に家族は居た。けれど、少女は独りだった。


 愛が欲しい。温もりが欲しい。わたしを、愛して、愛して、愛して――心の底から愛して。


「誰か……愛して……」



 〇 〇 〇



「あ、アリスちゃんだ!」


「きゃー、可愛いーっ」


「やだ、肌もちもち!」


「ね、写真撮って良い?」


「髪の毛サラサラ! なんのシャンプー使ってるの?」


 年相応の|姦(かしま)しさを持って、数人の女子生徒が一人を取り囲む。


 此処は、県立九十九つくも高等学校。普通の県立高校であり、決してアイドルや女優、モデルが居る訳でもない。しかして、古くから学校にはマドンナや王子、アイドルという者が付き物である。


 今まさに女子生徒に囲まれている人物も、九十九高校のアイドルといった存在であった。


「あーもう! オレは可愛くないし肌も髪も生まれつきだしシャンプーは母さんと同じやつ使ってるし写真は撮っちゃ駄目だってこの間も言っただろー!!」


 一息で全ての質問に答えるのは、見目麗しい少女――ではなく、少年だった。


 少女のような大きく潤いのある碧色の瞳に、女子のように小さな顔。顔のパーツは小さすぎず大きすぎず、恐ろしいほど綺麗に整っていた。


 また、肌にシミは一つも無く、目元に一つある泣き黒子ほくろが可愛らしい顔に|艶(あで)やかさを与えていた。


 髪の毛は美しいプラチナブロンドで、まるで御伽噺おとぎばなしの中から飛び出てきたお姫様のようだと、彼を見た者に思わせる。


 しかし、少女然としてはいるけれど、彼はれっきとした男であり、戸籍謄本こせきとうほんにも男と記載されている。


 少女的でありながら少年という、どこか|艶麗(えんれい)さを兼ね備えている少年の名は、御伽おとぎ有栖ありす。異名などでは無く、少年の本名はアリスなのである。


 有栖はその名に不満は無い。けれど、それを馬鹿にされたり、からかわれたりしたら怒る。とても怒る。


 有栖という名は母親が付けた。童話が好きな有栖の母親は、自身の一番好きな童話にちなんだ名を自らの子に付けた。


 アリスは三姉弟なのだけれど、姉の名が|美夜(みよ)で妹が三日月みかづきである。どちらも普通の名前をしていると言うのに、有栖だけは何故だか御伽噺的メルヘンチックなのだ。


 いわく、母親は誰か一人には必ず有栖という名前を付けたかったらしく、一人目は嫁ぎ先である父親の家の提案を取り入れて名前を付けたらしいのだけれど、二人目は好きにさせて貰うと言って有栖と名付けたらしい。


 性別をもうちょっと考えて欲しいと思わないでもないけれど、母が付けたかった名前であるならそれで良い。可愛いという理由だけではなく、そこには母の愛がある。だから、有栖は自身の名前を受け入れている。まぁ、男である自分には可愛らしすぎると思わなくも無いけれど。


 しかして、完全に見た目が少女な事もあって、有栖に男らしさは皆無であり、威厳と言った物も無い。


 本来であれば、有栖のような整い過ぎた容姿はねたそねみの対象になるだろうけれど、有栖が男という事もあり、そう言った対象には今のところ見られた事は無い。


 女子達にとっては嫉妬の対象ではなく、むしろ愛玩人形マスコットのような対象になっている。まぁ、全員が全員そういった反応をするわけでもなく、やはり、一定数の有栖の存在を疎ましく思う者もいるのだけれど……今はそれは置いておくとしよう。


ともあれ、彼女達は今も有栖が怒ってみせれば嬉しそうにきゃっきゃとしている。


 その反応を見て、有栖は更にむっすぅっと怒ったような顔をするけれど、有栖が怒った顔をしてみても、あまりに可愛らしすぎて誰も怯んではくれない。


 そろそろ本当に怒ってくれようかと思ったその時、有栖に声がかけられる。


「有栖、何してるの?」


 涼し気な、聞くだけで心安らぐ声。


「あ、つかさ! オレを助けろ! こいつらがオレを囲んでにしてくるんだ!」


 言いながら、有栖は司と呼んだ人物の背後にそそくさと回り込む。


 有栖を囲んでいた女子達はというと、自分達の背後に現れた司という少年の登場に緊張した面持ちになる。


 少年の名前は、星宮ほしみやつかさ。有栖とは幼馴染の関係性である。


 緩くウェーブのかかった茶髪に、整った顔立ち。まるで御伽噺の中から飛び出してきた王子様のような彼は男女ともに人気が高く、九十九の王子様とまで言われている。


「有栖、嘘は良く無いよ。どう見ても無傷じゃないか」


「精神的にぼこぼこにされたんだ!」


「有栖はそんなにやわじゃないだろ?」


「オレはすっごく傷付いた! ていうか、司はどっちの味方なんだよ!」


 言いながら、有栖は司をぼこぼこと殴る。まるで駄々っ子のようだ。


「痛いよ有栖。ごめんね。有栖が迷惑かけてない?」


 有栖を宥めながら、司は有栖を囲っていた少女達に言う。


「あ、い、いえ! 全然!」


「と、とても良くしてもらってます!」


 二人が答え、その他の者はこくこくと頷くのみだ。


「そっか。それなら良かったよ」


「迷惑かけられてるのはこっちだ! 司のバーカ!!」


 ぼかぼかと殴った後、有栖は司のお尻を蹴り上げてから教室に逃げていく。


 そんな有栖に苦笑しながら、司は少女達に向き直る。


「有栖、ああ見えて結構繊細だから。あまりからかわないであげてね」


 少女達が有栖を囲っていた理由を、司は知っていた。というか、有栖を迎えに来た時に有栖が大きな声で言っていたのが聞こえていたのだ。


 しかし、有栖の前で彼女達を窘めるなりなんなりしてしまうと、有栖の性格上調子に乗ってしまう事は長年の付き合いで良く分かっていた。そのため、有栖を一旦遠ざけてから彼女達に少しだけ釘を刺したのだ。


 とはいえ、司は怒っている訳では無いので、笑顔で少し注意をするだけだ。


「ひゃ、ひゃい……」


 だが、その笑顔が女子達にとっては致命的な一撃となる。


 満面の王子様の笑みに途端に顔を赤くする女子達。


 司にとっては見慣れた光景。別段驚く事でも無い。むしろ、自分の顔の良さを理解してやっている。


「それじゃあね」


 手をひらひらと振ってから、司は女子達から離れていく。あまり長く話していると、話していた女子達が他の女子達に煙たがられる可能性もある。自分が原因でいじめられでもしたら寝覚めが悪い。


 少し速めに歩いて、自身の教室へと向かう。


 教室に戻り、有栖を見付けて苦笑する。


 有栖はぶっすぅと不満そうな顔をしてスマホを見ている。


 有栖の元へ向かおうとした時、とんっと不注意で女子生徒とぶつかってしまう。


「あ、ごめんね、新田にったさん」


「う、ううん……こっちこそ、ごめんなさい……」


 それだけ言うと、少女は自分の席にそそくさと戻って行く。


 照れている、という訳では無い。仕草を見れば分かる。


 自分の顔に興味を示さないのは珍しいけれど、まったくいない訳では無い。別段、興味を持つ事も無く、司は有栖の元へと向かう。


 前の席を借り、司は有栖と向き合って座る。


「……」


 司が自分の味方をしなかったのがそんなに腹立たしかったのか、有栖は司が座っても何も言わずにスマホを見ている。


 有栖を怒らせた者は大抵がおろおろとみっともないくらいに狼狽して見せるのだけれど、司にとっては慣れたものだ。


「そう言えば有栖。今度、『不思議の国のアリス展』に行くんだよね? チケットはちゃんと用意したかい?」


「……うん、した」


「そっか。確か……誰だっけ? 誰かの直筆の――」


「ルイス・キャロル! 何度言ったら憶えるんだよ!」


「そうそう、それそれ。ルイス・キャロルの直筆の原本げんぽんが展示されるんだよね?」


「そう! 大英博物館だいえいはくぶつかんが特別に! ほんとーにっ、特別に展示を許可してくれたんだ!」


 嬉しそうに目をキラキラと輝かせて語る有栖を見て、やっぱりちょろいなぁと思いながらも、有栖の話に耳を傾ける司。


「ルイス・キャロル直筆の文章に加えて、直筆の挿絵! それに挿絵をそのままにして文章をそのまま書き起こした本も出るし!!」


「そのままって事は英文? 有栖、英文読めたっけ?」


「読めない! でも買う!」


 コレクター精神という奴だろう。とりあえず手元に欲しい。揃えたい。そう言った欲求が有栖の中にはあるのだろう。


「母さんがその日に向けて服作ってくれるって言ってたから、それも楽しみなんだ! 何を作ってるのかは教えてくれなかったけど」


「あっ……」


 有栖の母が服を作ってくれる。その言葉を聞いた途端、有栖の母親がどんな服を作っているのかを察してしまう司。


 有栖の母親が服を作っているのは何もおかしな話では無い。有栖の母親は服飾デザイナーなので、休日でも手慰みに衣服を作ったりしている。かくいう司も、有栖の母に服を何着か作ってもらったりしている。


 だから、なんら不思議な事では無いのだ。しかし、思い出してほしい。有栖の母親は大の御伽噺好きだという事に。自分の息子に有栖と名前を付けてしまうくらいには、御伽噺を愛しているのだ。


 そんな母親が、有栖が『不思議の国のアリス展』に行くと聞いて作る服など、想像に|容易(たやす)いだろう。


 有栖は分かっていないみたいだけれど、司には分かる。


 多分、空色のエプロンドレスを作るのだろう。内緒にしているのは、有栖にバレてしまえば止められてしまうから。


 ……これは言わない方が良いな。


 言って、有栖の母に怒られるのは司なので、司は黙っている事にする。


 有栖が楽しそうに話しているのを見て、司はほっと一息つく。


 大抵、有栖が不機嫌な時は有栖の好きな童話の話をすると機嫌を直してくれる。今回はずっと楽しみにしていた『不思議の国のアリス展』という良い話題があったので、機嫌を直すのに苦労しなかった。


 にっこにこと微笑みながら語る有栖に、ついつい司も頬を緩ませかけた時、少し離れた席から舌打ちが一つ聞こえてきた。


 またかと思いながら、司は有栖に覚られる事無く、笑みを浮かべたままちらりと視線をよこす。


 そこには、不機嫌そうにした少年が数名の取り巻きと共に有栖を見ていた。


「だっせぇ。男が童話童話って。ガキじゃねぇんだからよ」


「ほんとそれねー。それに教室で大声でうるさいしー」


 有栖について大きな声で悪態をつく少年達。


 しかし、有栖は耳に入ってこないのか、司に嬉しそうに話を続けている。


 有栖が聞こえていないのなら良い。此処で自分が食って掛かって有栖が悪口を言われている事に気付いてショックを受ける方が嫌だ。


 そう思い、司も聞こえないふりをする。


 その反応が面白くなかったのだろう。少年は先程よりも大きな声で言う。


「ていうか、有栖って名前もどーよ? 女みてぇな名前だしよ」


 ピタッと有栖の口が止まる。


「いや、女子でも有栖は嫌だわぁ」


 有栖の笑顔が固まる


「なんつうの? 今はやりのキラキラネーム? ああいうの年取った後はずいよなぁ」


 ぴきっと有栖の額に青筋が浮かぶ。


「分かる。親のエゴで付けられた――っでぇ!?」


 あ、まずいと司が思った時には遅かった。


 有栖は筆箱を最後に言った者に向かって投げて、見事クリーンヒットさせていた。メジャーが狙える見事な投球フォームである。


「さっきから母さんが付けてくれた名前を馬鹿にしてる糞野郎はどこのどいつだぁ――――!!」


 叫び、飛びかかろうとする有栖を後ろから羽交い絞めにする司。


 筆箱を投げるのは良い。けれど、喧嘩はいただけない。今なら多少のトラブルで済むけれど、喧嘩をしてしまえばトラブルの範疇はんちゅうでは済まない。


「はいはい。落ち着け有栖」


「離せ司! あいつらぼっこぼこにしてやる!」


 うがーっと暴れる有栖を抱きかかえながら、司は教室を出ようとする。そろそろ授業が始まりそうだけれど、少し歩くくらいの時間はある。


「ってぇじゃねぇか! なにすんだよ!」


 筆箱を当てられた男子が怒鳴りながら司達に詰め寄る。が、有栖があまりにも暴れるので、あまり近付けずにいる。


「当然の報いだろ。堂々と本人の悪口言って、言われた本人が何もしないと思ったのか?」


 少しだけ冷たい声で司が言う。司の声の温度差を感じて、有栖は「あ、やばい」と思って暴れるのを止める。


「だからって筆箱投げる事ねぇだろうがよ! 言いたい事があんなら口で――」


「なら俺が言ってあげようか?」


 男子生徒の言葉を遮り、司はぐっと男子の口元を掴んですっと冷えた声音で言う。


「黙れ。これ以上有栖を馬鹿にしてみろ。どうなっても知らないからな?」


 顔を見ている訳でも、直接言葉をかけられた訳でもないのに、その言葉を聞いた全員の背筋が凍る。


 そしてそれは、相対した男子も例外ではなく、むしろ直接言われただけあってその衝撃は大きい。


 どうなっても知らない。その言葉には、どこまで、何をやるかが含まれていなかった。それが、逆に恐ろしかった。


 ぱっと男子の口から手を離し、男子が持った有栖のファンシーな筆箱を奪い返し、引き出しの中にしまう。


 そして、そのまま有栖を抱えて教室を後にした。


 その際、最初に有栖の悪口を言った少年――金城きんじょう銀士ぎんじは、司の言葉に動じた様子も無く司を睨んでいた。


 銀士に冷めた目を向けるも、それ以上何を言う訳でもなく、司は教室を後にした。


 残された者達は少しだけ気まずい空気の中で、いつも通りの会話を取り|繕(つくろ)った。

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