[5] 記憶を継ぐもの

 ドイツ国防軍全体の損失は1945年4月30日までに総計で1113万5500人に達した。終戦までのドイツ軍全体の損失は1348万8000人を数えた(降伏による捕虜を含む)。これは全動員兵力の75%で1939年のドイツ男性人口の46%に当たる。このうち1075万8000人が東部戦線で戦死するか捕虜になった。

 ソ連は対独戦で最低でも2700万人の犠牲者を出したとされる。この他に何百万人もの一般市民が死亡し、戦後の人口は危機的なほどの減少傾向を示した。さらに何百万人もの赤軍将兵と一般市民がドイツの拘留収容所と工場で奴隷労働に酷使されて消えた。この他、何百万人もが心身に永久的な損傷を被った。冷戦下では国力低下のイメージを西側諸国に与えてはならないという配慮から、犠牲者の数は公式に2000万人とされていた。

 経済面の停滞もひどかった。ソ連は驚くべき離れ業によって重工業をウラルの東方など自国領内の奥深くに疎開させ、ウラル地域とシベリアに新しい拠点(工場など)を建設した。しかし同時に、ウクライナとロシア西部における資源と生産能力の損失は壊滅的だった。

 他方、連合国が被った損害の大半は赤軍が流したものだった。だが、西側諸国による援助が無ければ赤軍の「出血」はもっと大きいものになっていただろう。ノルマンディー上陸作戦以降の地上戦や武器供与に加えて、西側連合軍はドイツに対する戦略爆撃を遂行した。これはソ連に出来ないことであった。この戦略爆撃はドイツ空軍から作戦に必要な航空機の大半を防空任務に振り向けさせ、ドイツの工業に甚大な打撃を与えた。

 第2次世界大戦による国力の厖大な浪費と経済の代償のため、ソ連はその後の何十年間、人口と経済が弱体化してしまった。歴代のクレムリンは繰り返し大祖国戦争の記憶を煽り立てるスローガンを発し、一般人民に国防に対する異常な熱意を育ませることになった。このような熱意がソヴィエト国家を崩壊に導くことになる。

 赤軍は膨大な人命の犠牲を出しながらも、まだ残存していた200万人のドイツ国防軍を殲滅した。中欧・東欧諸国の首都―ブカレスト、ベオグラード、ワルシャワ、ブダペスト、ウィーン、ベルリン、プラハを攻略したソ連軍にポーランド2個軍、ルーマニア3個軍、ブルガリア2個軍がドイツ軍に対して共に戦い、血を流した。これらの諸国軍は解放された祖国に戻ると、ソ連の支援を受けた共産党政府と手を結び、軍事的権力を政治的権力に移行させた。

 ソ連は対独戦に対する勝利の分け前としてこれらの国を要求した。ドイツ軍の侵攻は伝統的なロシア人の侵略に対する恐怖心を増幅して正当化した。だが、ソ連の勝利から生まれた政治的結果を見た西側諸国はソ連にそのような要求をする権利はないと認識した。戦後からわずか数年後、世界大戦の恐怖は冷戦にとって代わられる。独ソ戦で被ったソヴィエト人民の比類ない犠牲も勝利も、すぐに西側諸国の疑惑によって覆い隠されてしまうことになる。

 第2次世界大戦の終結後、世界の大半は東西冷戦と呼ばれる二極体制下に置かれた。米ソの利害衝突と結びついた多くの「代理戦争」が引き起こされたが、ついに独ソ戦のような大国同士の全面戦争は一度も起こらなかった。

 戦後の歴代ソ連政権は緩衝国と衛星国の入り組んだ組織を造り上げたが、それは予想されるいかなる攻撃からも自国を守るために考案されたものだった。だが、衛星国がソ連の国防と経済に貢献していても、その国で起きた叛乱はソ連には脅威に感じられたのである。キューバやベトナムのような前進基地は冷戦において西側との闘争で有利な捨て駒だと思われたが、実はソ連経済に多大な負担をかけることになった。こうして地球を二分していた冷戦も、1989年の「ベルリンの壁崩壊」から1991年の「ソ連崩壊」に至る2年間で解消された。

 終戦から75年が経過した今では、大戦も冷戦も遠い過去の「歴史」になりつつある。だが今もなお、世界大戦の惨禍を伝える物は遺されている。再統一されたドイツの首都ベルリンをはじめ、旧ソ連邦諸国や中欧・東欧諸国の都市に建つ石造建造物の壁面に大小無数の弾痕が生々しく刻みこまれている。

 現在、「東部に死す」という無情な銘文がドイツ国内の多くの墓地にある何万という墓石に刻まれている。数えきれない程の戦争犠牲者―独ソ両軍の兵士や民間人が爆弾や砲弾によって埋められた。1945年以来、ゼーロウ高地やベルリン南部の静かな松林、市内の建設現場で毎年約千体の遺骨が発見されている。これらが独ソ両国の独裁者の意志と力が衝突した東部戦線における大殺戮の物言わぬ証人となっている。

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