[3] 赤旗掲揚

 4月30日の夜、ベルリン都心では砲爆撃を受けた建物の中の炎が暗い街路にほの赤い光と奇妙な影を投げていた。煤煙と粉塵で空気は息が詰まるほどだった。時おり石造建造物が崩壊する音が響いた。

 帝国議事堂ライヒスタークに劣らず手強い要塞はティーアガルテン南西の動物園ツォー防空タワーだった。それは203ミリ迫撃砲の直撃に耐えるほど堅牢だったが、恐怖に震える数千人の民間人がすし詰めになった内部は言語に絶するものだった。設備が整った併設野戦病院には、さらに1000人を超える傷病兵がいた。

 第1親衛戦車軍と第8親衛軍は南からラントヴェーア運河を渡ってティーアガルテンに進出したが、防空タワーの攻略は第79親衛狙撃師団の2個連隊に委ねられた。強行突入は論外だった。ソ連側はこの日に「これ以上の戦闘はやめて要塞を明け渡すよう勧告する。SSおよびSA(ナチ突撃隊)のメンバーを含めて、いかなる軍人も処刑しないことを保証する」と鉛筆で書いた指揮官宛ての最後通告を持たせて、ドイツ人捕虜たちを派遣した。

 この日に包囲されたもう一つの要塞はベルリンの最北西端、シュパンダウ要塞である。威圧的なコンクリート造りの防空タワーに比べれば、建築物としてはるかに優れたこの要塞は1630年にハーフェル河とシュプレー河の合流点の中州に建造されたものだった。

 第47軍がついにこの強力な障壁にぶつかった。要塞の火砲は近くのハーフェル河にかかる2本の橋を制圧できる。第47軍司令官ペルホローヴィチ中将は本格的な強襲作戦を回避するため、宣伝工作で敵の戦意を阻喪させようと試みた。拡声器付きのトラックが毎正時に宣伝放送を繰り返し、ドイツ軍は砲火でこれに応えた。

 総統官邸の北方1キロ足らずの帝国議事堂ライヒスタークは相変わらず重砲の猛射にさらされていた。強襲大隊の一つを指揮するネウストローエフ大尉は目標への一番乗りの栄誉を自分の小隊に与えてほしいと迫る下士官たちに悩まされていた。誰もが第3打撃軍の赤旗を帝国議事堂ライヒスタークに掲げさせてくれと要求した。その行為は永遠の栄光に輝くことになる。全員が共産主義青年同盟コムソモールのメンバーという掲揚班が編成された。政治部が選抜した掲揚班に「スターリンへの特別プレゼント」として1人のグルジア人が加えられたが、チェチェンやカルムイクなどの一部民族は厳しく排除された。

 第150狙撃師団長シャチロフ少将はすでに帝国議事堂ライヒスタークの階段に赤旗が翻るのを確認したという報告を送ってしまった。この知らせは瞬く間に第1白ロシア正面軍司令部からモスクワまで届いた。さっそく従軍記者が現場に駆け付けたが、まだ歩兵がケーニヒスプラッツの半ばで苦戦していた。致命的な失敗を犯したシャチロフはいかなる犠牲を払っても帝国議事堂ライヒスタークに赤旗を立てよと部下の指揮官たちに命じた。濃い煙が立ち込め、周囲は早々と暗くなった。午後6時前後、第150狙撃師団の3個狙撃連隊が建物めがけて突進した。

 帝国議事堂ライヒスタークは窓や扉は塞がれ、入口はレンガのバリケードが積み上げられていた。苦労して正面階段を上がった歩兵は重砲と爆薬で突入口を開き、ようやく中央ホールに突入した。今度は守備隊が上階の石造りのバルコニーからパンツァー・ファウストや手榴弾で攻撃してきた。突入した歩兵部隊は甚大な損害を出した。

 赤軍兵士は手榴弾と短機関銃を組み合わせて使い、手すりの陰から射撃しながら広い階段を昇った。海兵、SS、ヒトラー・ユーゲントが入り混じった守備隊の一部は地階に撤退し、残りは戦闘を交えながら上階や廊下に後退した。パンツァー・ファウストや手榴弾で火災が起こり、まもなく大ホールに煙が充満し始めた。ソ連軍が上階を進出すると、地階のドイツ軍がその背後を襲った。さながら生死を賭けたラグビー試合だった。赤旗を持った掲揚班がくんずほぐれつの大混戦をすり抜けて、屋上を目指した。なんとか3階にたどり着くと、機関銃の掃射で釘づけにされた。

 午後10時50分ごろ、第756狙撃連隊第1大隊に所属する兵士数人が帝国議事堂ライヒスタークの屋根を飾る彫刻の横に大きな赤旗を掲げた。それはモスクワ時間のメーデーが明ける、わずか70分前のことだった。だが、帝国議事堂ライヒスタークを巡る激戦は一晩じゅう続いた。これはソ連軍の公式報告でも認めている。

 ベンドラーブロックのベルリン防衛司令部から同日の深夜、赤軍司令官に対して「クレープス大将が交渉の時刻と場所の打ち合わせを望んでいる」旨のメッセージが送付された。ベルリンにおける市街戦は事実上、決着をみたのである。

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