第50章:政治の季節

[1] 独裁者の情勢判断

 1945年1月末にオーデル河畔のキュストリンで攻防戦が始まった時、もし第1白ロシア正面軍に充分な支援と補充兵、そして「最高司令部」からの攻撃命令が与えられていれば、ベルリン占領は遅くとも3月初旬には可能だったと言われている。だがスターリンは熟考の末に軍事上の判断に加えて、より高度な政治的な判断からベルリン攻略は1か月以上も遅らせる方策を選んだ。

 ベルリン攻略を延期する場合の危険性についても、スターリンは理解していた。特にスターリンを不安にさせたのはソ連軍がベルリンに進攻する前に、国防軍の高官を中心とする反ヒトラー派が西側諸国と単独講和を結ぶことであった。実際、赤軍情報部や内務人民委員部から寄せられる報告書には、ドイツ軍高官の一部が秘密裏に連合軍との接触を持ち始めていることを示していた。

 グデーリアンは和平交渉で国防軍の完全壊滅を防げるのではないかと期待していた。グデーリアンはある日に総統官邸の庭園でヒムラーと接触した。この戦争にもはや勝ち目はない。グデーリアンは単刀直入に切り出した。

「いまや問題は、無意味な殺戮や爆撃に一刻も早くケリをつけるにはどうすればよいかという一点に絞られた。リッベントロップを別にすれば、中立国との接触をいまだに保っている人物はあなただけだ。外相が交渉開始をヒトラーに進言するのを渋っていることがはっきりしたので、私としてはあなたが人脈を活用し、私とともにヒトラーのところに行って和平交渉を説得するようお願いせざるを得ない」

「大将閣下、それは時期尚早だ」

 ヒムラーはそう答えた。グデーリアンはなおも頑張ったが、反応ははかばかしくなかった。この男はまだヒトラーを恐れている。グデーリアンはそう考えた。グデーリアンが和平交渉に向けた虚しい努力を続けている間に、スターリンはすでに第三帝国の首都に向けた最終攻勢の準備を始めていたのである。

 3月8日、スターリンはポンメルンで第1白ロシア正面軍の指揮を執っているジューコフに対し、ただちにモスクワに戻ってくるよう命じた。ポンメルン掃討作戦が正にたけなわになろうとしていた時期に正面軍司令官を司令部から引き離すのは異例のことだった。

 ジューコフは中央空港からスターリンの別荘に直行した。スターリンは疲労とストレスから体調を崩していたが、2人は庭を散策しながら当面の情勢について語り合った。ジューコフが別荘を辞去しかけた時、ようやくスターリンは今回呼び出した理由を明らかにした。

「参謀本部へ行ってベルリン攻略作戦の計画を立ててくれたまえ。明日13時、またここで会おう」

 こんなに急ぐには何か訳があるのだろう。そう感じたジューコフはアントーノフと徹夜で計画立案に没頭した。ベルリンが対独戦における最も重要な目標であると認識していたスターリンは同じ目標を抱く西側連合軍にソ連軍が遅れを取ることを恐れていた。ジューコフを急きょ呼び出した日の前日―3月7日、米軍はボンの南方でライン河東岸の街レーマーゲンに架かる鉄橋を無傷で確保することに成功した。この知らせは「欧州連合国派遣軍最高司令部(SHAEF)」付きの連絡将校スースロパロフ少将を通じて、ただちにモスクワに伝達された。ついにベルリン争奪レースの幕が切って降ろされたことをスターリンは悟ったのである。

 3月9日、スターリンはジューコフとアントーノフの起案によるベルリン攻略作戦の骨子を了承した。この時点で主な問題になったのは、第2白ロシア正面軍がポンメルン地方の制圧にどれくらい時間がかかるかという点だった。ポンメルン地方の制圧が完了した場合は、第2白ロシア正面軍をオーデル河下流からシュテッティン周辺まで展開させる。この措置によりベルリンと対峙する第1白ロシア正面軍と南翼のナイセ河畔に展開する第1ウクライナ正面軍と同時に、第2白ロシア正面軍もベルリン攻略作戦に参加が可能となる。

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