[5] 「春の目覚め」作戦

 モスクワの「最高司令部」はウィーン攻略作戦の立案を進めていたが、ハンガリーに展開する第3ウクライナ正面軍の情報部はドイツ軍が密かに部隊を移動させ、バラトン湖周辺から反攻の実施を計画中であると報告した。この情報は正確だった。ポンメルン地方やヴィスワ河の防衛線が崩壊している状況下で、ヒトラーはハンガリーにおいて石油資源を確保するために新たな攻勢を計画していたのである。

 南方軍集団司令部が2月25日に陸軍総司令部に提出したバラトン湖地区における反攻作戦は次のような内容となっていた。まず主力となる第6SS装甲軍がバラトン湖とヴェレンツェ湖の間に広がる地峡部から南東に突破し、第3ウクライナ正面軍の背後をドナウ河から切り離す。これを支援するため、第6軍(バルク大将)がブダペスト西方から牽制攻撃を行う。バラトン湖南西からは、第2装甲軍(グレーザー大将)が第3ウクライナ正面軍の突出部を攻撃して北東に進出し、第6SS装甲軍との連結を目指す。ヒトラーは作戦内容を承認し、反攻作戦の秘匿名は「春の目覚めフリューリングスエルヴァッヘン」と定めた。

 3月6日、第6軍と第6SS装甲軍は予定通りに「春の目覚め」作戦を開始した。バラトン湖北翼から第1SS装甲軍団の猛烈な突撃をしかけ、第26軍(ガーゲン中将)の防御陣地が部分的に突き崩された。第3ウクライナ正面軍はただちに第27軍(トロフィメンコ大将)を増援に送った。

 第6SS装甲軍の成功は長続きしなかった。戦場は運河と湿地帯だらけの地形が広がり、第3ウクライナ正面軍は縦深の深い防御陣地を構築していた。装甲部隊は強力な突進力を次第に削がれ、損害も増えていった。ソ連軍の防衛線はたわんでしまったが、ドイツ軍の予想に反して崩壊することは無かった。

 3月15日、第1SS装甲軍団は攻撃発起点から15キロほど南東に位置するシモントルニャに到達した。南方軍集団の他の装甲部隊も8キロ~10キロほど前進しただけで停止せざるを得なくなった。この間に第2ウクライナ正面軍は同月14日から16日にかけて、密かに四個軍をブダペスト西方に集結させていた。

 3月16日、第4親衛軍と第9親衛軍がブダペスト西方から攻勢を開始した。ウィーン攻略作戦は当初の予定より1日遅れで開始されることになったのである。この正面を守る第4SS装甲軍団(ギレ大将)が敵に突破を許せば、バラトン湖から南東に突出している第6SS装甲軍は退路を断たれて包囲されてしまう。この危機をいち早く察知した第6SS装甲軍の各装甲師団はヒトラーや第6SS装甲軍司令官ディートリヒ上級大将の命令を待たずに北西に撤退を開始し、数日のうちに事実上の敗走に変わった。

 3月20日、第3ウクライナ正面軍は第6親衛戦車軍を前線に投入した。南方軍集団の防衛線と将兵の士気はみるみるうちに砕けはじめた。第3装甲軍団(ブライト大将)が地峡部の要衝セーケシュフェヘルヴァールを放棄して西に退却したことで、「春の目覚め」作戦は完全に放棄された。

 3月23日、前線の状況をいまだ把握していないヒトラーは「南方軍集団の各部隊は現状を保持せよ」との死守命令を下した。南方軍集団がすでに陣地を放棄して撤退を開始したという報告が後にベルリンに届けられる。ヒトラーは激昂して撤退した武装SSに恥辱的な罰を与えることを決め、名誉ある師団名を示す腕章を剥奪するよう命じた。

 南方軍集団の進撃を妨げた峻嶮な地形は今度、第2ウクライナ正面軍の進撃を鈍らせることになった。第6SS装甲軍はバラトン湖から第2ウクライナ正面軍の包囲を逃れてオーストリアまで撤退した。だがその後、南方軍集団は数週間に渡る戦闘で戦力が低下するにつれて、第2ウクライナ正面軍は進撃速度を回復させてハンガリーの解放を完遂した。

 ハンガリーで苦戦を強いられた第2ウクライナ正面軍は結果的に、ドイツ軍の貴重な装甲兵力を南方戦線に誘引する効果をもたらした。第6親衛戦車軍は第4親衛軍と第9親衛軍と協同して、4月13日にウィーンへの入場を果した。第1白ロシア正面軍がベルリン東方のオーデル河において空前の激しさでベルリン攻略作戦の戦端を開くのは、ウィーン攻略後の2日後のことである。

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