第48章:両翼の掃討(前)

[1] 「南風」作戦

 第2ウクライナ正面軍(マリノフスキー元帥)は1945年1月にブダペストで包囲された友軍を救出しようとする南方軍集団(ヴェーラー大将)の「コンラート」作戦を頓挫させた後、第3ウクライナ正面軍(トルブーヒン元帥)がバラトン湖の南で西方に突出した戦線を形成していた。

 この時期、ヒトラーの脳裏に常にもたげていたのはハンガリーの戦況だった。特に資源戦争としての側面をヒトラーは意識していた。ハンガリーはバラトン湖の南西にナジカニジャ油田と精油所が存在していた。ドイツ本国の主要な石油備蓄施設や精油施設は1944年12月から1945年1月にかけて、連合軍が実施した大規模な空襲によって大きな損害を被っていた。国内で石油の供給が不安定になることが懸念されると、ヒトラーはハンガリーの石油備蓄施設に対する執着心を強めることになった。

 第3ウクライナ正面軍の最西端に展開する第57軍(シャローヒン中将)からナジカニジャ油田までの距離は約30キロだったが、モスクワの「最高司令部」はナジカニジャ油田の早期占領はさほど重視していなかった。むしろドナウ河沿岸を遡上するように西に進撃してスロヴァキアのブラチスラヴァを占領した後、オーストリアの首都ウィーンを攻略する作戦を構想していた。ウィーン攻略作戦は次のような内容になっていた。

 第2ウクライナ正面軍は第46軍(ペトルシェフスキ中将)と第7親衛軍(シュミロフ大将)がドナウ河を北から流れ込む支流のフロン河から攻撃を実施し、プリエフ機動集団がブラチスラヴァに進撃する。その南翼の第3ウクライナ正面軍は第4親衛軍(ザハヴァターエフ中将)と第9親衛軍(グラゴリョフ大将)がブダペスト西方の防御線を粉砕し、第6親衛戦車軍(クラヴチェンコ大将)がオーストリアへの啓開を行う。最南端では第57軍とブルガリア第1軍がバラトン湖の南に展開する第2装甲軍を粉砕し、オーストリア南部に進撃することになっていた。作戦の開始日は3月15日に定められた。

 ソ連軍がフロン河西岸に築いた橋頭堡の危険性に気づいていた南方軍集団司令官ヴェーラー大将はこの拠点を早期に潰す必要があることを認識していた。そこで1945年2月上旬に第1SS装甲軍団(プリース中将)がアルデンヌから移送されると、ヴェーラーは同軍団をフロン河橋頭堡への攻撃に投じることを決断した。

 2月17日、第1SS装甲軍団と装甲軍団「フェストヘルンハレ」がフロン河西岸のソ連軍橋頭堡を北から攻撃した。「南風ズードヴィント」作戦と名付けられたこの攻勢が開始された時、戦場一帯は雨と河川の氾濫で泥濘と化していた。橋頭堡を防衛する第7親衛軍は敵の攻撃を全く予想しておらず、完全な奇襲を受けてパニックに陥った。

 このとき前線に投入された第1SS装甲師団「アドルフ・ヒトラー親衛旗(LAH)」(クム少将)、第12SS装甲師団「ヒトラー・ユーゲント」(クラース少将)、第501SS重戦車大隊は地形を利用したソ連軍の対戦車陣地や防御拠点を潰しながら、着実に前進を続けた。

 2月19日、戦場では天候が回復した。ソ連軍は地上攻撃機を投入して空から第1SS装甲軍団に襲いかかった。またフロン河東岸の砲兵陣地から大量の重砲弾を敵に浴びせた。第1SS装甲軍団もまた空軍の支援を受けながら攻撃を続行した。

 2月24日、第1SS装甲師団「LAH」が激しい市街戦の末に橋頭堡の中核となる要衝ケメンドを占領した。この報告を受けたヴェーラーは陸軍総司令部に対して、フロン河西岸のソ連軍橋頭堡が完全に除去されたことを報告した。東岸に退避した第2ウクライナ正面軍は敵の追撃を阻止するためにフロン河にかかる橋を全て爆破した。

 第2ウクライナ正面軍が次なる攻勢の発起点と見なしていたフロン河西岸の橋頭堡が完全に失われたことにより、「最高司令部」は戦略の練り直しを強いられることになった。前線からの情報に基づく南方軍集団の評価ではソ連軍は戦死者約2000人、戦車71両が破壊されるという損害を被った。

 南方軍集団による「南風」作戦は第2ウクライナ正面軍にとって必ずしもマイナス面ばかりではなかった。前線部隊からの報告で第1SS装甲軍団がフロン河に投入されたことを知った「最高司令部」はアルデンヌから撤退した第6SS装甲軍がハンガリー戦域に送り込まれた事実を「敵から教えられた」のである。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る