[4] 進撃の一時中止

 2月2日、「最高司令部」はヴィスワ=オーデル作戦の終結を宣言した。この段階では、第1白ロシア正面軍がオーデル河西岸に確保した橋頭堡を足がかりに、ベルリンへ進撃を続行することを考えていた。同正面軍はベルリンまで直線距離で70キロの地点におり、ジューコフは進撃の続行を要請していたのである。しかし「最高司令部」はこの考えを改めることになる。ただし、この決断は「最高司令部」によって下されたわけではない。

 この時期、スターリンの作戦指導は日毎に慎重になっていた。スターリンが特に気にかけていたのは第2白ロシア正面軍の動向だった。同正面軍は東プロイセンで北方軍集団を叩きのめしていたが、敵は完全に抵抗を止めたわけではなかった。

 1月末に包囲脱出に失敗した第4軍の残存部隊はフリッシェス・ハフを背にしたハイリゲンバイル孤立地帯に閉じ込められていた。バルト海から重巡洋艦「アドミラル・シェーア」と「リュッツォウ」がフリッシェ・ネーリング砂嘴と凍結した潟湖を越えて艦砲による支援射撃を続けた。ケーニヒスベルクの第3装甲軍はザムラント半島から切り離されていたが、2月19日に陸上に回廊を開通させた。その後はこの回廊を死守していた。

 第2白ロシア正面軍は北のバルト海沿岸に向かって進撃してしまい、その南翼は第1白ロシア正面軍を支援できない地点まで進んでいた。ヴィスワ河下流と河口に追いつめられた第2軍はダンツィヒとゴーテンハーフェン港の防備に当たり、同軍がヴァイクセル軍集団の北翼を形成していた。

 ヴァイクセル軍集団は戦線を立て直そうとして混乱していたが、これがスターリンの懸念を深めることになった。ヒムラーは自ら設計した豪華な専用列車から外に出るといった危険なマネは滅多にやらなかった。この期に及んで軍司令官の責任が想像していたよりもずっと重いことを悟ったのである。ヒムラーはヒトラーに対して「奴隷のような態度」を取り、自分の指揮下にある戦力の惨憺たる現状の確認を恐れたことが大きな損害と不必要な流血を招いた。

 ヒムラーはしきりに反撃を呼びかけ、第11SS装甲軍の創設に専念した。実際のヴァイクセル軍集団には定員未充足の装甲師団が全部で3個しかなかった。かき集めることが出来る部隊はせいぜい1個軍団に過ぎず、アイスマンは「装甲軍という名称は羊頭狗肉」と評した。武装SSの将校たちを幕僚や野戦司令部に取り立てるというヒムラーの思惑で、同装甲軍司令官にシュタイナー大将が任命された。

 第11SS装甲軍はヴァイクセル軍集団が担当する戦区の中央―ポンメルン地方に集結を始めた。スターリンはポンメルン地方からドイツ軍が第1白ロシア正面軍の北翼に対して反撃を実施するのではないかと懸念した。第1白ロシア正面軍はポンメルンの南部で戦闘中であり、ポーランド西部で惨敗を喫した第9軍がヴァイクセル軍集団の南翼を形式していた。第1白ロシア正面軍と第2白ロシア正面軍の間に「バルト・バルコニー」として知られる大きな間隙が存在していた。

 2月6日、スターリンはヤルタからジューコフに電話を入れた。ベルリンへの進撃を続行したいというジューコフの要請を却下して、まず第2白ロシア正面軍と合流して北翼のポンメルン地方にある「バルト・バルコニー」からドイツ軍を一掃するよう命じた。

「第1と第2白ロシア正面軍の境界が伸びきっているのは危険だ。ロコソフスキーが東プロイセンでの作戦を終えて、そちらの戦線に合流するまで待て」

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