巨人たちの戦争 第8部:落日編

伊藤 薫

第45章:前兆

[1] 「ラインの守り」作戦

 ヴィスワ河から西方に800キロも離れたアルデンヌの森で、ソ連によるポーランドの完全占領につながる打撃が火を噴いた。ヒトラーは東部戦線でソ連が攻勢を再開する前に、手持ちの装甲戦力の大半を投じてヨーロッパから西側連合軍を叩き出そうとした。戦局の推移を劇的に逆転させ、連合軍が和議に応じるように仕向けるという夢想に取りつかれていたのである。

 1944年12月16日、ヒトラーはベルギー南部のアルデンヌ地方で一大攻勢―「ラインの守り」作戦の開始を命じた。この作戦は装甲部隊で敵の主要補給基地であるアントワープを奪取し、米英連合軍の進撃継続能力を奪うことにあった。前線に第5装甲軍(マントイフェル中将)と第6装甲軍(ディートリヒ上級大将)が投入されたが、西部戦線を管轄する国防軍総司令部(OKW)は貴重な装甲兵力を消耗させるとしてアルデンヌに対する攻勢に乗り気ではなかった。

 数週間に渡る戦闘で、ドイツ軍は目標を達成することが出来なかった。アメリカ軍が交通の要衝であるバストーニュで頑強に抵抗したことに加えて、天候の回復によって連合国の空軍が制空権を確保した。進撃を阻止された武装SSの装甲部隊は燃料不足も重なり、アントワープに対する攻撃は頓挫してしまった。

 12月24日、陸軍参謀総長グデーリアン上級大将はフランクフルト北方にある総統司令部「鷲の巣アドラーホルスト」に出向いた。グデーリアンは戦略会議において、東方外国軍課長ゲーレン少将がまとめた情勢分析書を示した。その情勢分析ではソ連軍が翌45年1月12日前後にヴィスワ河正面から攻勢をしかける恐れありと判断していた。見積もりでは敵兵力の優位は歩兵で11倍、戦車で7倍、火砲と航空機でそれぞれ20倍に達していた。

 グデーリアンはヒトラーにヴィスワ河や東プロイセンで攻勢準備を進めるソ連軍の集結状況を説明し、攻撃は3週間以内に始まるだろうと警告した。アルデンヌ攻勢がひと段落した現在、可能な限り多数の師団を引き抜いてヴィスワ河に転用するよう求めた。

 だがヒトラーはゲーレンの分析を「敵兵力のこの見積もりは過大だ」と決めつけて聞く耳を持たなかった。ヴィスワ河に不吉な予兆を感じていたグデーリアンはその後、2回に渡ってヒトラーに警告した。しかしヒトラーが下した決定を聞いたグデーリアンは絶望的な気分に陥った。

 12月25日、ヒトラーはワルシャワ北方にいた第4SS装甲軍団をハンガリーに移動させることを決定した。ハンガリーの油田地帯を奪回するための措置だった。実際、この装甲部隊はブダペスト周辺で包囲された友軍を救出するため、「コンラート」作戦に投入された。ハンガリーにおける戦闘は1944年12月から1945年1月までかかり、ヒトラーの関心は東部戦線よりも南部に釘付けにされた。このことがドイツ軍の戦略を狂わせる結果を招いた。

 1945年1月7日、西方総軍司令官ルントシュテット元帥はヒトラーと空軍相ゲーリングに面会した。アルデンヌについては「もはや攻勢の成功は見込めない情勢なので、戦局がさらに悪化する前に、最先端を進む第47装甲軍団(第5装甲軍に所属)を東に撤退させたい」というB軍集団司令官モーデル元帥の要請に許可を出すことを求めた。

 ルントシュテットの具申に対して、ヒトラーは同意した。また第6装甲軍についても、敵の反撃で甚大な損害を被ることを危惧し始めた。まだ戦力に余裕がある内に戦線から離脱させ、戦略予備に編入することを決定した。第六装甲軍の派遣先はすぐに決定されなかった。ヒトラーは他の戦線を犠牲にしようが、ハンガリーにおける軍事作戦の動向に気をかけていたのである。

 こうしてヴィスワ河畔に展開するドイツ軍は戦略予備を欠いたまま、ワルシャワ=ベルリン軸心に沿って実施されるであろうソ連軍の大攻勢を待ち受けることになった。

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