リレー小説の楽しさと難しさ。(後編)

2021年3月15日


 どうも、あじさいです。


 筆者は最近、調子の良いときには、録画しておいたNHKのTV番組『100分de名著』をちらほらと見ています。

 『100分de名著』は、当たりもあればハズレもありますし、「名著を読まずに読んだ気になりたい」というコンセプト自体あまりめられたものではないかもしれませんが、名著を紹介し読書をうながす番組として見ると、捨てておけない面白さがあると思います。

 イタリアの児童文学『ピノッキオ』やアーサー・C・クラーク特集などの回を見ていると、小説を書くからには古典にもチャレンジしておきたい、という気分になってきますし、実際、クラークの『幼年期の終わり』をネットで取り寄せました(まだ読んでませんが)。

 これらの古典的名著は、あらすじを追うだけでも、まずもって発想が奇想天外なんですよね。

 センスなのか努力の賜物たまものなのか、筆者には見極めることができませんが、話を聞いているだけで「筆者も何か書きたい!(今なら書けそう)」と思えてくる辺り、おそらく(読みもしない内から)ハマっているのでしょう。




 このように「書きたい」という欲求がいてきたとき、それを比較的お手軽に叶えてくれるのが、リレー小説という企画です。

 ということで今回は、前回の続きで、自主企画に参加してみて気付かされた、ネットでリレー小説をすることの難しさについてお話させてください。

 もちろん、これを読んでいる皆さんに「バトンを受け取れ」と圧力をかける意図はありません(興味を持った結果としてご参加いただけるなら大歓迎ですが)。

 あくまでも、自分の「書きたい」という欲を発散するために、リレー小説での体験を振り返り、今後リレー小説を企画することがあれば気を付けたい点を挙げていっているだけです。




 筆者が思うには、ネット(特にカクヨム)でリレー小説をする難しさの大部分は、「バトンを受け取ってくれる人が決まっていないこと」にたんはっするようです。


 顔が見える人たちが同じ部屋に集まって書く場合、あらかじめメンバーが決まっている訳ですから、書き始める前に順番を決めたり、その場で何かアイディアが浮かんだ人に挙手してもらったりすれば、続きを書く人には困りません。

 ですが、ここはネットですから、「いくら待ってもバトンをいでくれる人が現れない」という状況になる可能性が当然あります。

 たしかに、ネットでも物語を書き始める前に参加者を募集して順番を決めておくことはできるのですが、生身なまみの人間がにいる訳ではないので、書くべきタイミングで連絡がつかなくなる事態(学業や仕事が忙しくなってネットどころではなくなる、通信機器が故障する、アカウントにログインできなくなるなどの事態)が考えられますし、そうなるとネット上の人間関係に傷がつくおそれがあります。


 また、バトンを受け取る(あるいはバトンを拾う)人が決まっていないということは、飛び入りで参加しようとすると、自分が書いて投稿する前に、別の誰かによって先をされてしまう可能性がある、ということにもなります。

 筆者の場合は結局、参加作品を読んでから自分の分を投稿するまでに20時間ほどいただくことになりました(ここにはリレー小説に取り組む以外のことをした時間も含むので、筆者としてはむしろ短めです)。

 構想や執筆、推敲すいこうをしている間、誰かに先を越されて解釈や構想が役に立たなくなる事態が心配でした。


 もちろん、リレー小説ですから、読んだその場で勢いのまま書けば良いだけですし、そうすれば他の人に先を越される心配はほぼありません。

 ですが、これもネットでリレー小説をやる場合の難しいところで、変な見栄みえが出てしまって(リレー小説なのに)「完成度の低いものを出す訳にはいかない」という気になってくるんですね。

 通常、リレー小説は顔の見える仲間内なかまうちでやるものなので、「作品」を見るのは限られた人たちだけです。

 ですが、カクヨムで実施する場合は、自分の書いた文章をフォロワーの皆さんやえんのあった方々にも見てもらう可能性があります。

 加えて、顔の見えない人たちのもよおしに飛び入りで参加する訳なので、書いた文章がになります。

 リレー小説だからと軽い気持ちで書いたものに、笑って済ませられない問題が何かあった場合、「あじさいって、物語を書くということをこの程度にしか考えていないやつなんだ」と思われてしまいかねません(こんなエッセイを書いておいて何を今更って感じではあるんですが)。


 特に筆者の場合、幼少期から今にいたるまで、物語性のないコンピュータゲームや基本無料のスマホゲーム以外のゲームをやったことがなく、したがってカクヨムで人気の「まるでゲームのような異世界を舞台にしたファンタジー」の「常識」が分かっていません。

 たとえば、異世界ファンタジーによく出てくる「ジョブ」という言葉の意味や、「勇者」と「魔法使い」の違いもよく分かっていません。

「jobは『仕事』あるいは『職業』のはずだけど、勇者や賢者って職業じゃなくて称号(Googleによるとtitle)じゃない?(仮に役職や地位ならposition、資格ならqualification)」

「勇者と魔法使いが区別されているということは、魔法に特化しているのは魔法使いの方で、勇者は魔法使いほどには魔法を使えないの? それとも魔法使い以上に魔法に熟達した上で他のこともできるから『勇者』なの?」

 というレベルです。


 筆者が軽い気持ちで異世界ファンタジーに手を出してしまうと、たとえば「勇者」が勇者らしくない言動をしたり、「魔法使い」がその呼び名にふさわしくない何かになったりといった「初歩的」なミスをする恐れがあります(そして、そういうミスをした可能性は今も消えていません)。

 できればそういった恥は避けたいところです。

 そのため、今回のリレー小説に参加する際にも、前の部分を書いてくださった参加者の文章において、何が作中における事実として確定しており、その裏にどんな設定が意図されているのか、物語がこの後どんなふうに展開する可能性が残されているのか、その確認と解釈に悩まされました。


 また、考えている内に楽しくなってきて、「実は裏にこういう設定があることにすると面白いんじゃないか」、「この後こういう展開にすると楽しいんじゃないか」など先の構想までってしまったのですが、それも考え物でした。

 他の方々が1000字前後で書いているのに自分だけ5000字、1万字と書いてしまうとリレー小説の趣旨に反するので自重しましたが、実を言えば、この後のこともまだもう少し自分で書いてみたかったです。

 話や文章が長くなりがちだとこういうときも不便なんだな、と思いました。




 という感じで、ネットでのリレー小説には色々と苦労がありましたが、前回もお話しした通り、やってみると楽しいことも多かったです。

 ほとんどその文脈だけで自分の好きなように書ける、という点も楽しいですが、それに加えて、「自分がこの部分、あるいはこの続きを書くとしたら、何をどういうふうに書くだろう」と思いながら他の方々の文章を読むことができる点も楽しかったです。

 いわば、同じ材料を前にしたときの、他の方々の発想力やアイディアを見せてもらうことができる訳です。

 ぶっちゃけてしまうと、筆者は、筆者の書かせていただいた部分の続きが誰かによって書かれることをとても楽しみにしています。

 最初に書いた通り、これを読んでいる皆さんに「バトンを受け取れ」と圧力をかける意図はありませんが、それでも、上に書いたような難しさや苦労を乗り越えて、後続の方が筆者の文章をどのようにつなげてくださるのか考えると、とてもわくわくしてきます。


 今回実感したリレー小説の難しさを踏まえて、それぞれについて何か有効な対策を考えついたら、ひょっとするといつの日か筆者もリレー小説の自主企画を立ち上げるかもしれません。

 その際には、書き手として参加してないまでも、ぜひ目を通していただければ幸いです(笑)

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