特別支援学校のボランティア

 我が家のある中学校区は文教区と云われる地域で、小学校中学校のほかに高校や特別支援学校がある。

 私は長男が不登校になる少し前、クラスのPTA役員になったのだが、この関係で1年間、定期的に特別支援学校へボランティアに行くことになった。


 特別支援学校に通う子ども達というのは様々な障害を持っている。

 特に私がボランティアに行った学校は病院と併設されており、重度の身体的障害を持っている子ども達が大勢いた。

 私は同じ校区内に住んでいながら、こんなにも重度の障害を持った子ども達が近くに存在していた事をそれまで全く知らずに生活していたのに驚いた。


 私は5人の生徒が受ける授業の補佐をすることになった。

 授業の補佐と言っても大したことをするわけではなかったし、まず大したことは出来なかった。

 生徒達は全員"五体満足"とはほど遠い身体をしていたのだ。それは手足が欠損しているとかのレベルではなかった。

 ほとんどの生徒が自力で動くことはできず、喋ることもままならなかった。

 支援学校の先生は2人でそのような生徒達を相手に授業といわれることをする。

 その内容は一般的にいう学習ではない。音楽に合わせた身体のマッサージから始まり、その身体をゴロゴロと転がしたり、一人一人ハンモックに乗せて揺すったり、一緒にトランポリンにのってジャンプをしたりするのだ。生徒に身体的な刺激を与えることが目的らしい。

 私は1人の子を担当してマッサージや移動の手伝いをし、器具や用具の出し入れをしたが、あとは先生が1人の相手をする間、順番を待っている生徒を見守っているだけだった。

 最初はその身体の重度さに驚いたが、生徒達の喜びの叫び声や笑い声、先生達との会話に楽しさも感じることが多くなっていった。


 そして、楽しく授業に参加しているうちにふと思ったことがあった。


 生徒達は毎日お母さんに車椅子を押してもらって教室に入ってくる。お母さん達はその日の体調などを先生と話し教室から出ていく。午後の迎えまで家に帰ったり、パートの仕事に行くお母さんもいるらしい。

 たいていのお母さんは笑顔で子どもに話しかける。「行ってくるね」とか「頑張ってね」とか、それは私達が子どもに話しかけるのと変わらない言葉だ。

 そんなお母さんの姿を見ていて、ふと思ったのだ。


 このお母さん達は決して子どもたちに

「なんでそんなふうなの⁉︎」とは言わないのだろうと。

 もちろん、産んですぐには様々な葛藤と悲しみがあり、今はそれを乗り越えた時期なのかもしれない。でも私が見たお母さんたちは、重度の障害を持つ子どもをありのままに受け入れ、優しく接しているのだ。

 この事に気がついたとき、私は自分の思っているのと違うからという理由で子ども達を否定し叱ったり怒ったりした事を恥じた。そして、不登校ごときで嘆《なげ》いている場合ではないと勇気づけられたのだった。



 

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