P.S. 魔女と魔女、祖母と孫 《前篇》

 ある王国の外れにある、小さくてのどかなアッシェ村。

 六十年前、魔女が永遠の魔法をかけたこの村に、今日は変わった旅人が訪れていた。

 小さな体を楽しそうに弾ませる翡翠ひすい色の少女。

 その可憐な少女の名前は、テトラ・テラ。

 テトラは三つ編みにした長髪をマフラーのようにぐるぐると首に巻いて、髪と同じ色のローブを風に揺らしている。

 さらに目を引くのは彼女の頭に生えた黒い角と、腰から伸びる長い尻尾だ。

 広場を歩く村人達はそんな彼女を見て悲鳴を上げるようなことはない。しかし、突然現れた彼女に対して、驚きを浮かべるのは仕方のない事だ。

 むしろこれくらいで済んでいる事が、この村に魔法をかけた魔女がどれだけ慕われているかの証明だ。

 誰もが動けない中、沈黙を破ったのは一人の村人。


「お嬢さんって、もしかして魔女さん?」


 明るい声ではっきりとそう言ったのは、金色の髪を長く伸ばした二十代の女性。

 彼女はバスケットいっぱいの花を抱えて、人懐っこい笑顔を浮かべている。


「……そうだけど」

「ふふ、やっぱりそうなんだ」


 女性は楽しそうに笑って、


「ならこの村の魔女様に興味あるかな?」

「っ! やっぱりここに魔女がいるのか?」

「いる、というか……まあいいや。ついてきて」


 歯切れ悪く言って、女性は歩き出した。

 テトラはマイペースな彼女に戸惑いながら、しかし期待を抑えられないといった顔で彼女の後ろに続いた。



「ここだよ」

「花屋? こんなとこに魔女がいるのか?」

「そんなに焦らないでよ」


 苦笑いを浮かべた女性が、テトラを中へ促す。

 一歩足を踏み入れると、瞬間、テトラは甘い花の香りに包まれた。

 その香りを放つ花々をテトラが眺めていると、女性が一冊の本を抱えて歩いてきた。


「これだよ」

「え?」

「この村に魔法をかけた魔女様」


 彼女が大切そうに抱えるそれは、よく見るとぼろぼろの日記帳のようだった。

 それは同時に、もう魔女がここにはいないという証明で……。


「私もおばあちゃんに教えてもらったんだけどね。君も聞きたい?」

「ああ、教えてくれ。この村にいた魔女の話を」


 テトラの返事を聞いて、金色の女性がゆっくりと語ったのは、一人の魔女の話。魔女が生まれ、この村で少女達と過ごし、そして……。



 すべてを聞き終えて静かに涙を流すテトラを、女性は優しく抱きしめ、困ったように笑う。


「せっかく来てくれたのに、魔女様に会えなくてごめんね」

「……会える」

「え?」

「魔女には会える。オレの魔法なら!」


 涙を拭いながら、テトラは強い意志を感じさせる目で呟く。

 それを見て、女性は驚いたような、けれどどこかワクワクしたような顔で、


「あっ、そっか! 君も魔女だもんね。私魔法を使うとこ見るの初めてなの」

「ならよく見ときな」


 テトラはそう言って、女性の抱える日記帳にそっと手をかざす。指先が淡く光り、その手が表紙に触れると同時に、大きく強くなった光が、二人を包んだ。


「え、何?」

「心配するな。オレの魔法だ」

「魔法?」

「ああ、物語の中に入る魔法。こいつで魔女に会いに行く」


 テトラは楽しそうに笑って、女性に手を伸ばす。


「お前も来るだろ?」


 女性がためらいがちに頷き、その手を取る。


「……そういえばお前、名前は?」

「私はカリン。魔女さんは?」

「オレはテトラだ。テトラ・テラ。よろしくな、カリン」


 その言葉を最後に、二人を包んだ光が止んだ。

 そこにテトラとカリンの姿は無く、開いた日記帳だけがテーブルに落ちている。

 カーテンを揺らしたそよ風が、優しくページをめくっていった。



 テトラが目を開けた先にあったのは、カリンから聞いたとおりの家だった。村から離れた森の中で、この家の周りだけが少し開けている。

 その家を見て、テトラは迷わずドアを叩く。

 しばらくすると、ゆっくりドアが開いた。

 そこから顔を出した女は不機嫌そうな顔でテトラを眺めて、


「…………誰?」

「おお! お前が噂の魔女様か!」


 不機嫌そうな魔女様と真逆の楽しそうな笑みを浮かべて、テトラが魔女様に抱きついた。


「は? ちょ、何なの?」

「ごめんごめん、つい嬉しくてはしゃいじまった」


 動揺する魔女様から離れて、テトラがはにかみながら言う。


「で? 結局貴女は誰なの?」

「オレはテトラ。お前と同じ魔女だ」

「魔女? 貴女が?」


 不審そうにテトラを見る魔女様に頷いて、テトラは素早く魔女様の横を抜ける。


「ちょっと! 勝手に入らないでよ!」

「へぇ~、これが魔女の家か」

「話を聞きなさいよ! 大体、貴女はなんで私が魔女だって知ってるの?」


 ずかずかと奥へ行こうとするテトラのローブを掴んで、魔女様が問う。


「お前の日記を読んだんだよ」

「日記? ……っ!」


 掴んでいたテトラを離して、魔女様は部屋の奥の棚に駆け寄る。

 彼女はそこから一冊の日記帳を手に取って、はぁと息を吐く。


「やっぱり嘘じゃない。日記ならずっとここにあるもの」

「今じゃなくて未来の日記だよ」

「はぁ? じゃあ貴女は私の未来を知ってるって言うの?」

「ああ知ってるぜ。……全部知ってる」


 テトラの顔に一瞬影が差したのを見て、魔女様は首を傾げる。


「まっ、そんなことはいいじゃねえか! オレはお前と話しに来たんだよ」

「私は自分の未来の話の方が気になるんだけど」

「未来のお前は幸せになってるさ。はい、この話はお終い!」


 テトラはめんどくさそうに言って、ぱんと手を叩く。

 不服そうな魔女様を気に留めず、テトラは次々に言葉を紡ぐ。


「それよりコイバナでもしようぜ!」

「恋バナ? どっちにしろ、貴女に話すような事なんて無いわよ」

「あるだろ、ほら。クロユリの話とか」

「なっ! なんで貴女がクロユリのこと知ってるのよ!」


 テトラの口から飛び出した名前に魔女様は目を丸くする。

 するとテトラはいたずらっぽく笑って、


「だから日記を読んだって言ったろ」


 ひらひらと手を振りながら言い放ち、窓際のベッドに飛び込んだ。


「まあいいや。お前が話さないならオレの愚痴でも聞いてくれよ」


 言うが早いか、テトラは呆然としている魔女様に、彼女の失恋トークを語り始めた。


 曰く、やれウルヴァスに捨てられたとか、オレは一緒に居られればそれだけで良かったのにとか、ウルヴァス……とか。

 最初はそっぽを向いていた流していた魔女様も、話が進むにつれて段々無視していられなくなり、終いには泣き出したテトラをなだめるはめになった。


「まったく、勝手に話して勝手に泣かないでくれるかしら」

「だっで! ウルヴァスが悪いんだもん! お前だってクロユリにひどいこと言われてたじゃん!」

「……貴女が未来から来たことは認めるから、私の過去を見てきたように話すのはやめて」


 泣きながら古傷を抉るテトラに、魔女様は苦笑いを浮かべながら言う。


「それに、クロユリはきっと私のためにあんなことを言ったんじゃないかって思ってる。これは本人に聞いた訳じゃないし、確かめる術もないけどね。……貴女の旦那だってそうだったんじゃない?」

「ウルヴァスも? ……それでも、オレはあいつと一緒にいたかった……」

「そうね。……男なんてみんな馬鹿で独りよがりな生き物なのよ。そう割り切って笑ってた方が楽しいわよ。きっと」


 言いながら本当に楽しそうに笑う魔女様につられて、テトラの口からも笑い声がこぼれる。


「そうだな! その方が、きっと楽しいよな! 何万年も引きこもって暮らしてたせいで、考えまで暗くなってみたいだ」


 ベッドから勢いよく立ち上がりながらさらりと溢れたテトラの言葉に、魔女様が頬を引きつらせる。


「…………テトラ、貴女何歳なの?」

「オレか? ■■■■■(魔女同士の秘密。……詮索してはいけない)歳」

「私の十倍以上生きてるじゃない……」


 それから二人の魔女は紅茶を淹れて、彼女達にとっては刹那とも呼べる間の語らいを続けるのだった。

 交わされた言の葉を知るのは、二人を見守る青い月だけ。



「じゃあ、オレはそろそろ帰るわ」


 月が沈み、空が白み始めた時、テトラがすっきりとした顔でそう口にした。


「え? もう帰るの?」

「ああ。お前の未来がもっとひどかったら、結末を書き換えてたとこだけど……その心配はいらないしな」


 窓から差す朝の光を浴びて、テトラがふっと笑う。


「そう。……でも、貴女に会えてよかったわ。きっと忘れることは無いでしょうね」

「いや、忘れるぞ」

「は?」

「オレはこの物語からしたら異物みたいなもんだからな。オレが向こうに戻ったらお前の記憶からは消える」


 あっけらかんと言うテトラに、魔女様は開いた口が塞がらない。


「じゃ、楽しかったぜ。……それに、オレはちゃんとのこと覚えてるからさ」


 彼女の魔法が放つ強い光に包まれながら、テトラが笑う。


「ちょっとテトラ!」


 テトラを引き留めようと魔女様が慌てて伸ばした手は、虚しく空を切った。

 いつもと同じ部屋の中には魔女が一人。

 緑の少女の姿などどこにもない。

 けれど、


「全然忘れてないじゃない。……テトラの馬鹿」


 一人になった銀の魔女は、テーブルの上に二つ並んだティーカップを見て呟くのだった。

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