第十七話 マーリンの夢。
そこは一面の花畑だった。
暖かい日差しが花を照らし、色とりどりの花が咲き乱れ命に溢れている。
風は優しく、流れる小川は安らぎを与えてくれる。足元の土も柔らかく、この土からば美しい花が咲くだろうなと思った。
この世のとは思えない絶景であり、そしてこの世ではない事を私は知っている。
『【こっちよ】』
私を呼ぶ声がする。
鈴の転がすような声が聞こえる方へ進む。
声の主は横倒しになっている丸太に座り込み、焚き火をしていた。
『【久しぶりね】』
「……シルヴィア?」
再会を懐かしむような声の主は私のよく知る少女だった。
ただし、髪の色や背丈が違う。
シルヴィアがあのまま成長すれば数年後にはこうなるであろうという姿に思えた。
『【あぁ、この姿はキミに違和感を与えないためだよ。今、キミが最も美しいと思える存在に補正をかけている状態ね】』
白髪のシルヴィアはそう言って私を手招きし、彼女は丸太の空いているスペースを叩いた。
隣に座れと言っているらしい。
断る理由もないので私は大人しく座った。
『【自己紹介は必要?】』
「いえ、何となく理解しました。何の御用でしょうか光の神よ」
この景色、そして神々しくもどこか親しみのある雰囲気。
光の溢れる空間を前に一度見た覚えがあった。
『【思い出してくれたんだ】』
「貴方の顔を見るまで忘れていました」
『【そうなるように仕込んであるからね。私は特定の姿を持たない。この場にやって来た人物のイメージに左右される】』
前回は確かエリザベス先生の姿だったが、この数年で私の中の認識が変わったようだ。
先生の姿だったのは私が知る限りで一番光り輝く人物だったからだ。宝石や金貨を持ち、光魔法を使う人物だから……安直だな。
「それで私は何故ここに?」
『【本来は役目を果たしたキミにもう二度と会う事が無いと思っていたけど、タイミングが良かったからね。伝えたい事もあったし】』
思い返す前回の記憶。
光の神はただ私に老婆の声で言った。
ーーー光の巫女を探し出し、それを幸福へと導け。さすれば世の中に平穏が訪れるだろう。そしてそれはお前の望む未来にも繋がる……と。
『【この姿を見る限りだと幸せそうだね】』
「はい。おかげさまで」
光の神の啓示で私は旅に出て、そこでシルヴィアに出会った。
偶々立ち寄った町で、運命のような出会いを果たした。
あの日彼女に出会わなければ私はどのような人間になっていたのか今では分からない。
『【地上の子供達は自分と違うものを拒みがちだ。だからキミは辛い思いをするだろうと思っていたが、変化があったなら喜ばしいよ妖精の子】」
妖精の子と私を呼ぶ神はシルヴィアの顔で安心したように笑った。
私は彼女から焚き火に目を移し、口を開く。
「それで今回はどのような用件でしょうか」
『【地上で厄介事が起きている】』
笑顔から一転、厳しい目で火を見つめる神。
『【光の巫女が覚醒し、かつての子供達と同じように動けば全て丸く収まると思っていた】』
かつての子供達とは、初代国王と光の巫女の事だろうか?
『【だが、事態は予想よりも悪化した。封印は解かれ、アレが蘇るだろう。それが一番の悩みだが、アッチも目を覚ましたようだし、あの畜生はしぶといし、キミに啓示を与える前より地上がマジヤバい】』
途中から高貴な存在である神とは思えない言葉遣いだが、これもシルヴィアの姿だからなのか。
ただ、光の神が焦っている様子なのは理解出来た。
アレ、アッチ、あの畜生。
三つの存在が気がかりのようだ。
『【キミは導き手であり継承者では無いけど、その血に流れる力は本物だ。そのまま光の巫女を手助けし、災いを諫めてくれ】』
神からのお願い。
それは理事長や国王の命令より絶対的に優先される最
上級の使命だ。
「私で良ければお受けしましょう」
前と同じように私は二つ返事で啓示を受ける。
地上に平穏が訪れなければ私の幸せな未来は訪れないからだ。
『【そう言ってくれると信じていた。キミにとって心を酷く痛めるような出来事があるだろう。しかし、その先の未来に辿り着けばキミは幸せになれる】』
立ち上がり、慈愛の眼差しで私を見つめる光の神。
『【キミは光の巫女を選ぶといい。彼女ならキミの心の穴を埋めてくれる。キミか昔の子供達の子孫か、彼女と結ばれればそれでいいが】』
伸びた手が私の頬を撫でる。
それだけで私の体が喜ぶ。これが史上の褒美だと言わんばかりの体験。
神に触れられたという感動からか私の瞳から涙が零れ落ちる。
だが、その手を私は掴み取り、ゆっくりと顔から引き離した。
「偉大なる光の神よ。私には心に決めた相手がいる。アリア君は確かに素晴らしい弟子だが、私には勿体ない」
『【キミならそう言うと思った。それもまたキミの良い所だ。……でもね、】』
どこまでも光に満ちた神々しい身姿で、神は告げる。
『【闇魔法でキミを眠らせるような相手はどうかと思うよ?神的にマイナスポイントだね】』
暗転。
意識が遠く……。
私の精神がこの世界から乖離する。
浮上。
暖かい日差し……いや、暑い。そして眩しい。
「ここは……」
目を覚ますと見慣れない天井があった。
視線を室内へ向けると、積み重なった荷物があり、インクの匂いと本の少しカビ臭い匂いがする。
「私の屋敷か」
眠っていたベッドから起き上がる。
窓の外、太陽の傾き具合から考えるに数時間は寝ていたようだ。
確か私はニールからの相談を受け、休日なのだからと屋敷の清掃をしようとした。
そしてその最中………。
「あぁ、思い出した」
寝室から出ると、インクや本とは違う匂いが漂って来る。
屋敷内の別の場所からする匂いの元へ足を進める。
夢の中で嗅いだ花の匂いとは違う、胃袋を刺激するような匂いだ。
私が一度も立ち入った事のないその場所に人影がある。
私より小さな背丈で、高貴な仕草も神々しさも無い後ろ姿。
その後頭部には私が与えた髪留めが使われていて、健康的なうなじが隠す事なく晒されている。
「〜♪」
鼻歌を歌いながら慣れたような手つきで鍋を掻き回している。
この学園や故郷ではあまり見かける機会が無いその料理姿は、旅の間に私だけが見ていた姿だ。
我慢出来ずに私は音も立てずに彼女に背後から抱きつく。
「っ!?……もう、危ないですよお師匠様」
驚かせたのはすまないと思う。
しかし、何故だか声をかけづらかった。
「よく眠れました?」
私に抱きつかれたまま、彼女は料理をする手を止めない。
「馬鹿か君は。闇魔法などで眠らせて安眠など出来るものか」
「うっ。そうなんですか?」
顔が見えないが、声は聞こえる。
美声とまでは言えないが、透き通っていてよく響く声だ。
その声を耳にし、抱きしめる腕に力が入る。
「ちょっと、お師匠様。ギブギブ!苦しいし鍋溢しちゃうから!」
「……すまない」
無意識に強く抱きしめてしまい、苦しむ彼女の反応に気づいて手を離す。
「もう。火を使っているんだから気をつけてくださいね。お師匠様だって魔法具の開発中に手元が狂うと嫌でしょ?」
まるで子供に言い聞かせるような口調で窘められる。
鍋は十分に温まっていたのか、火を消してエプロンを脱いだ彼女が正面から私を見上げた。
「今日はシチューです。ちょっと多めに作ったので温め直せば明日も食べられますよ」
私のよく知る顔、よく知る声、よく知る髪色。
シルヴィア・クローバーという本物がいる。
「……どうしたんですか?っていうか、なんで泣いているんです!?」
「君のせいで酷い夢を見た」
どんな夢かは分からない。覚えていない。
ただ、災いに気をつける事とアリア君のサポートを今まで以上にしなければならない事は理解した。
前に一度、同じような事があった。恐らくは神の啓示があったのだろう。
「お師匠様が泣くレベルってどんな悪夢なんですか!?」
私が泣いている事が信じられないといった様子でシルヴィアは驚いていた。
君は知らないだろうが、私は結構泣き虫だったぞ。
いつしか顔に出さずに心の中で泣いていたが。
「そうだな。非の打ち所がない君が私を喜ばせる夢だ。しかも私に説教をする……そんな感じだ」
「悦ばせる!?……欲求不満?いや、そうじゃなくて何で完璧な私に怒られるのが悪夢なんですか!?」
忙しく表情をコロコロ変えるシルヴィア。
何を勘違いしているのかちょっと顔が赤いが、昔からませている子だ。
「よーく胸に手を当てて今までの事を思い出しなさい。君が私に説教など十年早い」
「そこまで言います!?」
憤慨する彼女の頭に手を置いて、何度か撫でる。
「ちょっ、そんなんじゃ機嫌は直らないん……ふふっ」
なんと容易い事だろうか。
ただ撫でるだけでシルヴィアは目を細めて恥ずかしそうに笑っている。
彼女がよく言うチョロいという状況だ。
「シルヴィア。私は君を愛している」
「知ってます。……ただ、この学園に戻ってから初めて言われて嬉しいですね」
そういえばそうだった。
学園に戻ってからは彼女に触れる機会が減っていた。
授業もあり毎日会っていたから顔を見ない日は無かったが、プライベートで二人きりというのは久しぶりか。
よく見れば服装も普段とは違う。
服なんて先程までは気にもならなかったがよく似合っている。
ただ、肩を出した上に生地の薄そうなシャツが気に入らない。私以外の誰かがこの姿を見ていたとしたら薬を使って記憶を……。
「シルヴィア。その服は」
「ソフィアが選んでくれたんです。上からカーディガンを羽織っていましたけど料理するには邪魔だったから脱ぎました」
「ならばよし」
キョトンとするシルヴィア。
しまった。私とした事が……。
「シルヴィア。今後についてなのだが、合鍵を渡しておくので休みの日にこの屋敷に来てくれないか?」
「え、あ、はい」
「君の忠告通りに使用人は雇うが、その間まででいいので身の回りの世話を頼みたい。勿論、私も手伝う」
誤魔化すように捲し立てて喋る。
しかし、この言葉に嘘はない。
「それは喜んで引き受けますけど、もう一つ条件があります」
「何だね」
「短い時間でもいいので毎日寝てください。不眠不休は健康の敵です。それでお師匠様が倒れるような事があれば私は容赦無く毎日闇魔法で眠らせますからね!」
そう言って彼女は、逃さないぞとばかりに私の顔に両手を伸ばして掴んだ。
私の目と彼女の目が合う。
「不承不承ながら了承しよう」
「なんか不満そうですね」
休んでいては終わらない仕事もあるが……そこは理事長に相談してみるか。
考えてみれば、私が仕事に追われて授業の質が落ちればジェリコ・ヴラドが認めた条件を満たさない恐れが出てくる。そうなれば理事長も被害を被るのだ。ちょっとの書類仕事を引き受けてもらおう。
「まぁいいや。じゃあ夕飯にしましょうか。今日は私もここで食べて行きますから」
「何か手伝う事はあるか?」
「ゆっくり座っていてください。そしてお代わりしてお腹いっぱい食べてください。それでオッケーです」
そう言われ、私は椅子に座って彼女の後ろ姿を眺めるのだった。
待ちながら自分の顔に手を当てて思い出す。
私は誰よりも何よりも君を愛していると。
例え比較対象が何であろうと。
その晩、シルヴィアを抱き枕にして寝た。
翌日、一緒に教室に行くとアリア君が物凄い形相で私を見ていたので、笑顔で手を振っておいた。
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