アル中の天使
寧々(ねね)
第1話
夜も更けたころ、少年は一人、公園のブランコを漕いでいた。
「こんなところで何してんだ?まだ遊び足んねえのか?」
いつの間に来たのか、そこにはスーツをだらしなく着崩した見知らぬ男が立っていた。
片手には酒瓶。
「遊んでない」
「ブランコ漕いでんだろ」
「……どうしたらお酒が買えるか考えてるんだ。そこのコンビニで売ってもらえなかったから」
少年の言葉に、男はあきれた様子で
「当たり前だろ。なんで酒がいるんだ?まさか自分で飲むつもりじゃねえよな」
「パパが飲むんだ。お酒が切れたって怒ってるから」
「そりゃあ、穏やかじゃねえなあ」
男は顎に手をやり、少し考えて
「この酒、やるよ」
手に持つ酒瓶を少年の前にチラつかせた。
「え?……でも、それはおじさんの」
「気にすんな。いるのか?いらないのか?」
知らない人からお酒をもらうのは気が引けるが、コンビニではお酒を買えなかった。
他にあてもない。
それになにより、父親に喜んでほしかった。
「いる!ありがとう!」
手をのばすと、酒瓶がヒョイと逃げる。
「おじさん?」
「ガキにこれは持たせらんねえよ。俺が坊主の家まで運んでやる」
「でも、知らない人について行っちゃダメだって……」
「知らない人「が」ついて行くんだからいいだろ。お前さんは何も悪いことしてないぜ」
「そうかなあ」
「まあ、嫌なら無理にとは言わねえよ。俺は困らないからな」
少しためらったが、酒を渡したときに向けてくれる父の笑顔が頭をよぎる。
「……わかった、ついてきて!」
少年は頷きブランコから降りた。
男はその後を追いながら
「ママはどうした。わざわざ子供のお前が酒なんざ買いに行かなくてもいいだろ」
「……去年死んじゃった。その頃から、パパはお酒を飲むようになったから……。だから僕が買いに来たんだ」
「へえ」
「お酒飲まなきゃ死んじゃうんだって。僕、パパに死んで欲しくないから」
男は小さく噴き出して
「飲まなくても死なねえよ。ただの嗜好品だ」
「しこーひん?」
「いーい気持ちになりてえから飲む。美味いから飲む。それだけってことさ」
男の言葉に、少年は目を見張る。
「お酒って美味しいの?」
「ああ。美味いね。最高だ」
「僕も大人になったら飲むのかな。パパ、ずっとお酒飲んでるんだ。朝起きてから、夜寝るまでずっと」
「そりゃ羨ましい」
「でも、お酒飲んでもパパはずっと苦しそうなんだ。お酒はお薬なんだってパパも言ってたから、まずいんだと思ってた」
そして、男の手に持つ酒瓶を見て
「もしかして、パパの飲んでるお酒とおじさんの飲んでるお酒とは違うからかな?パパのは大きなペットボトルに入ってるやつなんだ」
「そうかもな」
「おいしいお酒くれて、ありがとね。おじさん」
「礼を言うには、まだ早えよ」
そこまで言って、一つの家の前で少年が立ち止まる。
荒れた庭。
車庫に見える車は埃をかぶっており、掃除が行き届いてない。
「ついた。ここが僕の家」
少年はポケットから鍵を取り出し、ドアを開ける。
そして真っ暗な中、テレビの薄明かりが漏れるリビングへと一目散に走りだす。
「ただいま!パパ!お酒もってきたよ!」
パパと呼ばれた中年男性は、テレビをつけたまま、ソファに横になって眠っていた。
だらしのない腹を剥き出しにし、高らかにいびきをかいている。
「パパ、起きて!このおじさんがお酒くれるって。しかも、すっごく美味しいんだよ。ねえってば」
「邪魔するぜ。……おうおう、随分と綺麗な部屋だな」
部屋の中は衣服や空き缶など、無数のゴミが散乱しており、足の踏み場がない程だ。
「せっかくお酒もってきたのに。パパ、ぜんぜん起きてくれない」
「そりゃそうさ。
だってお前さん、死んでんだから」
当然のように男は言う。
「死人の声なんざ、生きてる奴にゃ届かねえよ」
「え……しにん……?」
「コンビニで酒買えなかったのは、……まあ、ガキだってのは勿論だが。そもそも店員に坊主が見えてねえんだよ。今ここで、親父さんにもお前が見えてない。声も聞こえてねえ。お前が死んでるからだ」
「僕……、僕死んでないよ?」
「何言ってんだ。そこに体落ちてんじゃねえか」
そう言った男が顎で指した先には、頭の割れた少年の死体が横たわっていた。
流れ出た血液は床や地面を赤黒く汚している。
「だから最初に聞いたろ。「こんなところで何してんだ?まだ遊び足んねえのか?」って。死人のお前さんの未練が何なのか知りたくてな」
男は父親の方へと歩いて行く。
少年の目の前を通り過ぎていった彼の背中には、小さな羽が生えていた。
「ただお前さんみてえなのを回収することだけが俺の仕事だが……なに、ちょっとした気まぐれだ」
「おじさん、……おじさんは」
「ただのしがない天使だ」
そして、男は持っていた酒瓶を父親の頭に乗せた。
半分ほど入っていた酒が増え、瓶の8割を満たす。
と、酒の増加が止まると同時に父親がソファから転げ落ちる。
「パパ!」
少年は慌てて駆け寄った。
「パパ!どうしたの?!パパ!パパ……!」
体を揺さぶって起こそうとしていると、不意に父親の右手に目が止まる。
その手の甲は血に塗れていた。
顔や服には血しぶきが。
その瞬間、忘れていた記憶が少年の頭に流れ込んできた。
● ● ●
いつものように、父親はソファに座りテレビを見ながら酒を飲んでいた。
コップにお代わりを注ごうと、ペットボトルへ手をのばし
「おい、酒はどうした。もう無えじゃねえか」
残り僅かだったため、コップに入れることなく直接口をつけて飲み干した。
「それで最後だって、昨日パパが言ってたよ」
「……なんだ、その口のききかた」
不機嫌さを隠そうともせず、立ち上がって少年へと近づいた。
酒が切れると、いつもこうだ。
機嫌が悪い時は「ごめんなさい」と言え、と父親に常日頃から教え込まれている。
少年はその教えに従って
「ご、ごめんなさい」
しかし、それでは腹の虫がおさまらなかったんようで。
父親は少年の顎をつかみ
「なーにがごめんなさいだ!思ってもねえくせに!!あぁ?!」
「ごめんなさい、ごめんなさい」
「それをやめろっつってんだ!」
怒鳴ると同時、拳を少年の柔らかい頭に振り下ろす。
その衝撃に耐えられず、少年は地面に崩れ落ちた。
視界が揺れて頭がぐわんぐわんと反響する。
「っうぐ、ぅ、ひっぐ……」
「泣くんじゃねえ!鬱陶しい!!」
再び、少年の頭に拳を振り下ろす。
床と拳に挟まれ、少年の頭蓋骨が悲鳴を上げた。
「ごめ、な……い、ごめんな……ざい……」
「だからあああああ!!!!やめろっつってんだろおおおおお!!!」
拳を振り下ろし、振り下ろし、振り下ろし――。
(パパが……怒ってる……。お酒、なくなった、から、……だ……)
薄れゆく意識の中で、少年が最後に見たのは空のコップだった。
● ● ●
ポロポロと涙が零れ落ちる。
それは思い出した痛みのせいではなく、--父親が目を開けないことへの恐怖からきていた。
「……お酒、持ってきたのに。せっかく持ってきたのに。……パパ、起きて。美味しいお酒あるよ」
「悪いが、起きねえよ。パパの寿命は酒になっちまった。それはもう、ただの死体だぜ」
男は酒瓶を揺らして見せる。
一口飲んで
「どんなクソ野郎の命でも美味いってのは素晴らしいな」
「おじさん、天使なんでしょ!?どうしてそんなひどいことするの?!」
「善人管理してるからって、管理者まで善人である必要は無えからなあ」
言葉の意味を理解できなかったのか、少年は口をつぐむ。
男はふと、思いついたように
「坊主、一口どうだ?」
「ひとくちって……」
「コレだよ。親父さんが病みつきになった“酒”の味、興味あんだろ」
酒瓶を少年の前に差し出しす。
「い、いらない……」
「おいおい、堅えこと言ってんじゃねえよ。ほんとにコイツの息子か?」
「いらない!お酒のせいでパパは変わったんだ!ほんとは、パパはすごく優しいのに!」
少年の言葉に、男はすっと目を細め
「酒を飲むって選択したのも“パパ“だろうが。意思無き物に責任転嫁してんじゃねえよ」
言って、少年の顎をつかみ
「ほら、約束の酒だ」
酒瓶を少年の口にねじ込んだ。
● ● ●
「お呼びですか、お客様」
「おう、アンタがこのキャバクラの支配人か」
普段は表に出ない支配人だが、この客はとびきり羽振りが良い。
呼ばれたからには少しくらい顔を出さなければ。
「左様でございます」
「いいねえ、ここ!女の子は可愛いし、酒は美味いし。気に入ったよ!」
「ありがとうございます」
「せっかくだからさ、支配人さんも一杯飲んでってよ」
客自ら酒を注ぎ、支配人の目の前にやる。
だが、支配人は受け取ることなく深々と頭を下げ
「ありがとうございます。ですがお客様、申し訳ありません。私、酒は飲めないのです」
「あん?冗談だろ?遠慮することはねえ。客から勧められた酒飲むってのも、立派な仕事だと思うぜ」
「遠慮ではありません。本当に飲めないのです」
客の眉がピクリと上がる。
「……飲めない酒を客に出してるっての?」
「申し訳ありません。ですが、お出ししている酒の品質にはこだわっておりまして……」
「飲めない奴が何をこだわるってんだ!」
「申し訳ありません」
「うるせえ!終いだ!帰る!気分悪い!」
犬を追い払うかのように、客はシッシッと手を振った。
「申し訳ありませんでした」
支配人は再び深く一礼し、その場を去った。
その後を、テーブルについていた女の1人が追いかけて
「もう、支配人。一口くらいいいじゃないですか!せっかく良いお客さんだったのに。これでアタシの売り上げ落ちたら、支配人のせいだからね」
「わかってるよ。ほんとごめん」
「勘弁してよね」
大きなため息を残し、女は持ち場に戻る。
それと入れ違うようにして、スーツをだらしなく着崩した男がやって来た。
手には酒瓶が握られている。
「そりゃあ、ガキの頃にあんな美味い酒飲んじまっちゃ、そこらの酒なんざ不味くて飲めねえよな」
男の言葉に、支配人は心底嫌そうな顔をして
「逆だよ。あれほど不味い物は飲んだことがない。あんなに不味い“酒”なんて、二度と飲みたくないだけさ」
「随分な言い草だな。あの酒を飲んだおかげで、お前さんはこうして生きていられんだろ」
男は支配人の肩に手を回し
「親父さんの命、どんな味だった?」
「悪魔が」
男の手をふり払い、支配人はそう吐き捨てて立ち去る。
その言葉に、男はニヤリと笑って
「天使だよ」
酒をひとくち口に含み、後を追いかけた。
アル中の天使 寧々(ねね) @kabura_taitan
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