満月

 満月の夜、誇り高き侍である鷹野は、剣術道場の朋輩である鷲宮を殺す意を固めた。

 鷲宮は数日前、道場生の授業料を盗難した上、犯人が鷹野だと放言する、という騒ぎを起こしていた。

 鷹野は濡れ衣を着せられた復讐の為に鷹宮を殺すのではない。侍にとって最も忌むべきは死ではなく恥だ、という信念を鷹野は持っていた。故に、死を以て自らの恥ずべき愚行を償わず、生き恥を晒す鷲宮が許せなかった。鷲宮が自ら死を選ばないならば、彼と最も親しい友である自分が鷲宮を手に掛けるしかない。そう考えた。

 鷹野は口実を設けて鷲宮を河原に呼び出し、いきなり背後から斬り付けた。鮮血が飛散し、鷲宮はその場に頽れた。

 鷲宮は苦悶し、呻吟しながら、命だけは助けてくれ、と懇願した。

 この期に及んで生に固執する鷲宮を、鷹野は不愉快に感じた。刃を振り翳し、一刀の元に鷲宮の首を切り落とした。

 鷹野はその場に跪き、懐中から短刀を取り出した。着物の前をはだけ、鋒を腹部に押し当てる。

 鷹野は元より、鷲宮を殺した後で自刃する腹積もりだった。人殺しの罪を背負って生き続けるなど、恥を忌む彼には考えられない選択だった。

 柄を握る両手に力を込め、歯を食い縛り、刃を腹部に深々と突き刺した。

 激烈な痛みが襲った。だが、一思いには死ねなかった。

 凄絶なる痛苦と恐怖とが怒濤のように押し寄せた。涙が溢れた。死にたくない、と心の底から思った。命乞いをした鷲宮の気持ちが痛いほど分かった。苦しみ藻掻く鷹野の中では、生と死と恥の価値は最早完全に逆転していた。

 河原一帯は不気味な静けさに包まれている。人は通り掛かりそうもない。苦悶しながら死にゆく鷹野の醜態を、ただ満月だけが白々と見下ろしていた。

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