語り部
修学旅行でN県を訪れた都会の中学生たちは、初日の夜、宿泊先の広間に集められ、語り部の老爺から核兵器の恐ろしさについての話を聞かされていた。彼らは口にこそ出さないが、うんざりしていた。一日中歩き回って疲れていたし、核兵器の恐ろしさなら昼間に原爆資料館で嫌というほど見てきたので、お腹いっぱいだ。語り部の滑舌が悪いのも問題だった。生徒の誰もが、一刻も早く話が終わってほしいと願っていた。
語り部の真正面で体育座りをするC組の克夫は、放屁がしたかった。彼は、クラスのお調子者、といった立ち位置の生徒だった。安易な放屁が許されない状況に置かれているのは百も承知だが、場の空気を和ませる意味でも、思い切ってするべきではないか、と考えた。根拠はないが、語り部の老爺も笑って許してくれる気がした。意を決した彼は、おもむろに腰を浮かせると、小春日和のように明朗な放屁音を広間に轟かせた。
その瞬間、語り部が双眸を見開いたかと思うと、克夫を一喝した。克夫は腰を抜かし、床に尻餅をついた。うとうとしていた生徒たちは一斉に目を見開き、壇上に視線を注ぐ。語り部は顔面を紅潮させ、唾を飛ばして捲し立てた。
「何様だ、貴様は。七十年、語り部を務めてきたが、被爆者に対して『死に損ないのクソジジイ』的な態度を取った無礼者は、貴様が初めてだ。スマホばかり弄って、生身の人間と直接会話をする機会が少ないせいで、他人の胸中を推し量る能力が未熟だから、そんなことを言うんだろう。戦争の悲惨さが分からない社会の雰囲気の中で育ったから、そんなことが言えるんだろう。全く、これだから戦後生まれは――」
生徒一同は、恐怖も混じった困惑の色を顔に浮かべ、隣の者と視線を交わし合う。
語り部の滑舌が悪すぎて、何を言っているのかがさっぱり分からなかったのだ。
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