素晴らしい2010年代の掌編小説
阿波野治
劇場
クレープ
「お嬢ちゃん、聞いて驚くなよ。俺はなぁ、今からウンコするんだぜ。ウンコだぜ、ウンコ。どうだい、凄いだろう?」
大通りの歩道に設置されたベンチに腰かけ、いちごクレープを食べていたアルトは、聞き覚えのない声に顔を上げた。目の前に立っていたのは、昔はやんちゃしていました、といった風采の壮年の男性。口元に薄ら笑いを浮かべ、上体をひっきりなしに左右に揺らしている。
「ウンコだぜ、ウンコ。凄いだろう?」
ウゼえ、とアルトは思った。人の食事中に排泄物の話題を持ち出す男の神経が信じられなかった。しかしながら、関わり合うと面倒なことになると思ったので、黙ってそっぽを向いていた。
男性は薄く笑った表情のまま、何か言ってほしそうにアルトを見つめていたが、やがて顔を背け、人通りの多い方角に向かって猛然と走り去っていった。
やれやれと思い、クレープを口にしようとした矢先、近くで甲高い悲鳴が上がった。声の発生源に目を向けると、群衆が四方八方に逃げ惑っていた。先程の壮年の男性が、呵々大笑しながら両手に持った包丁を振り回し、逃げる人々を追いかけている。道には血を流して倒れ、身じろぎ一つしない人が何人もいる。
男性が言う「ウンコをする」とは、「人を殺す」という意味だったのだ、とアルトは理解した。
男性は犯行の直前、アルトに対して犯行を仄めかした。そしてアルトが反応を示すのを待っていた。対応次第では、凶行は未然に防げたかもしれない。そう思うと、罪悪感と悔恨の念が込み上げてくる。
――でも、そんな独自性溢れる隠語なんて解読できるわけないし、仕方ないよね。
アルトはすぐさま気を取り直し、逃げ回る人々の阿鼻叫喚の声を遠くに聞きながら、食べかけのクレープをかじった。食い込んだ歯に圧迫されてホイップクリームが押し出され、卵色の生地の外に溢れ出した。
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