第6話 飲みすぎ注意!二日酔いの朝

建物が入り組み、積み重なった積層都市ドーシュでは直接陽の光が照らす領域は少ない。

上層エリアは例外だが、中層エリア以下では住宅街であっても一日中日の当たらない場所もある。

そのため日照と連動する人工太陽が各階層の天井に設置され、人々は昼夜の移り変わりと体に必要な疑似日光を得ることが出来た。

中層エリア第五階南部単層住宅街。

ロミオが住んでいる場所は中層エリアの中で比較的多くの天然日光を得られる恵まれた場所だ。

決して広くはないが、二人で住むには十分なその家では、メイドのヒロネが上機嫌でキッチンに立っていた。

中層エリアの工場農園で作られた上級米に調整ミネラルウォーターで炊いたご飯。

工場産早期発酵の味噌汁に具は都市養殖場で採れた小貝。

二十四時間営業の大型量販店で買ったブロイラー卵に合成タンパク質ビーフ味の缶詰を混ぜ合わせて焼いたスクランブルエッグ。

今朝出荷されたばかりの工場野菜の彩りサラダ。

それに上層エリア露天農園の果物は、収穫量と上層階級での需要に大きく左右される品物だが、今日は運によく店先に並び、それをヒロネは迷うことなく手に取った。

この高級品は、出費に五月蝿い主人へのちょっとした反抗心も含まれている。

朝食の準備と共に作り置き料理の仕込みも同時に行う。

買い込んできた牛すじ肉やテールといった端肉や骨を特大寸胴に投げ込み、ミネラルウォーターとセロリ、月桂樹を入れて煮込む。

灰汁を掬い、柔らかくなるまで煮込む。ひたすら煮込む。

圧力鍋であれば直ぐに柔らかくなるのだが、如何せん量が多いため入りきらない。

特売に釣られて買いすぎたか…とヒロネは反省はしたが後悔はしていない。

スープを取ったら、骨を取り出し、肉ごと小分けにして冷凍。

次の現金収入まで主人の食生活を充実させるためには、金がある今この時の頑張りに掛かっているとヒロネはドーシュに来てからの三年間で思い知ったのだ。

ドーシュにやってくる前は収入は全て現金だった。

だからロミオも直ぐにヒロネに生活費を渡していたのだが、ここでは違った。

ロミオは、会社からの報酬を全て純金で受け取るようにしてしまったのだ。

それもかなりの量を、纏めて。

何度延棒インゴットを砕いて質屋に…と思っただろうか。

そう脅すと、ロミオは慌てて『副業ホスト』で稼いでくるのだ。

しかし最近は会社での残業が増え、食事もジョウと済ませていたことが多かったのだが、費用は全てジョウもち。

ジョウはロミオの事を理解しているし、高給取りだから特に貧窮しているわけではない。

だが、昨日の電話では昼食は肉しか食べない、そして夜も肉料理が中心で栄養が偏る、と本気で心配されてしまったのだ。

ヒロネとしては朝ごはんに野菜を多く取れるようにメニューを考えて出したのだが、昼食、夕食が偏っていては焼け石に水。

それにジョウのプライベートタイムを圧迫しているのではと心配していた。

後者は直接言われたわけではないが、電話の向こうの声でなんとなく察することが出来た。

だから昨日は、生活費の枯渇と一緒に強く訴えた。

生活費を渡せ、それに暫く外食禁止!と。

ヒロネの希望通り、ロミオは今朝方、上層エリアの会社員の約一ヶ月分相当の現金を携えて下層から戻ってきたのだ。

見るからに疲れきって帰ってきたロミオをバスルームに放り込んで、彼がベッドに潜り込むまでヒロネは甲斐甲斐しく世話を焼いた。

そしてそのままの足で食料量販店に赴き、食材をしこたま買い込んで調理を始め、今に至る。

ヒロネこそ働き通しで疲労も貯まるはずなのだが、彼女はそれを伺わせない軽快な動作で作業を行う。

肉を切り野菜を切り、下味をつけて小分けにして冷凍して…。

朝食の用意はその片手間にといってもいい。

手際の良さはメイドならでは。

「あっ!旦那はんおはよーございます!」

「……何やってんだ。なんか、胸焼けする臭いが。それにすげー量。」

乱れたパジャマ姿でロミオは二日酔いの頭を抱えてダイニングにやって来た。

「作りおきですよ旦那はん。たっぷり一週間分。お金はまだまだ残ってますから、だんなはんは心置きなく金塊稼いできてください。はい、朝ごはん。それと酔覚ましの薬とお水です。」

「あんまり大きな声を出すなよ……いただきます。」

ロミオは文句を言いつつも食卓に付くと、手を合わせた。

一時間半の仮眠だが、仕事を休むわけにはいかないのだ。

そう、これも愛しいゴールドの為…とロミオは朝食を掻き込んだ。


二日酔いと寝不足の身体を引きずりながらロミオは中央輸送搭から発進している上層エリア直行の巨大エレベーターに乗り込んだ。

超大型旅客専用昇降機中央リフトとよばれているこの筐体は座席を有し、トラムによく似た内装と外装になっている。

それだけでなく、窓を有し外の景色も見られるようになっているのは、この筐体が人を乗せる交通手段としてよく使われているからである。

中層エリアから上層エリアに通勤するものは少なくないが、この昇降機が満席になるほどではない。

ロミオはいつも通り、空いている席を難なく見つけ窓際の席に腰を下ろす。

ロミオが務めるアルカディア・ケミカルは上層エリア最上階の第四階に会社を構えている。

正確には、上層エリア四層を突き抜ける巨大高層建築物の上部階層を所有している。

製薬会社ひしめくこの都市において圧倒的な存在力と影響力を持つ都市の一柱。

それがロミオの会社だ。

中層エリアの通過時間はおおよそ五分。

ロミオが窓の外を見る頃には筐体は昇降機から線路レールに乗り入れられ、上層エリアを移動し始めていた。

上層エリア最上階へ突き抜ける巨大な柱の外周を、螺旋を描きながら駆け抜けるトラムである。

中層では蜘蛛の巣のように張り巡らされているトラムは、上層エリアではその鳴りを潜める。

上層エリアでの移動は徒歩か、特権階級の証である自家用車モービルであり、そのための道路が線路に成り代わり大きな面積を占めている。

僅かな距離を、わざわざエネルギー効率の悪い手段で移動する。

金と余裕をもつ人間の娯楽の一貫だとロミオは思っている。

螺旋を登り三十分。

学園エリアを有する第一階文化階層を抜け、第二階の居住階層を抜け、第三層の商業施設群を抜ければ企業階層にたどり着く。

上層エリア第一階から続く階段状の緑地公園が終点である。

機械的な女性の声で終着を知らせる。

中層エリア倉庫街で響いた、下層エリア行きリフトのアナウンスとは対照的なそれを聞くのはロミオは一人。

車両を下車し、露天の道を歩く。

摩天楼が聳え立ち、糊の効いた清潔なシャツと上物のスーツを来た人間が行き交う『上流階級』のエリア。

下層とは人も、街の様子も、文字通り雲泥の差。

聳え立つビル郡の中でも一際大きな一つが、ロミオの目指す先ーアルカディア・ケミカルの自社ビルである。

ロミオは身分証明書パーソナルカードを鞄から取り出しゲートキーに翳す。

電子音が短く鳴り、ドアが開く。

受付嬢がロミオに挨拶するが、ロミオは無反応のまま、オフィスに向かうべくエレベーターに乗り込んだ。

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