第4話 優しさ

 あの後、俺はすぐに宿屋の部屋に戻り、ベッドに横になった。

 先ほどのやり取りが思い出され、理由の分からない不快感が俺の心を襲った。


 全てを忘れたくて、目を閉じる。


 どれくらい時間がったのかは分からない。


 コトン。


 何かがぶつかる音で、目を覚ました。何気なくドアを見ると、下の方に一冊のノートが落ちていた。


 いや、落ちていたのではなく、ドアの隙間から差し込まれたものだろう。


 そのノートに、見覚えがあった。


「これは……、パメラの……」


 いつもパメラが脇に抱え書きこんでいた、俺の夢を実現させるためのノートだ。

 忘れたと思った先ほどの出来事が再び蘇り、不快感が鳩尾に溜まるのを感じた。俺は悪くないと言い訳をしながら、ノートを拾い上げた。


 と、ノートの隙間から一枚のメモ書きが落ちた。


 整った読みやすい文字。何度もノートで見たパメラの字だ。

 そこにはこう書いていた。


『今まであなたのお手伝いを記録しましたノートです。これからの夢実現への参考になれば幸いです。ご不快であれば処分して下さって結構です』


 メモの文章が、彼女の冷静な言葉で脳内に再生された。俺はメモを握ったままノートを広げ、そこに書いている内容に目を見開いた。


 びっしり書かれた文字・文字・文字。


 俺の短所や長所。伸ばすべきところ、不足している部分。現在の能力、それの良い部分、悪い部分。足りない能力を補う手段。俺の性格から考えられた、トレーニング方法。身体づくりの為に適切な食事内容や疲労回復方法。それぞれ設定した目標を達成するために、やるべきこと、そのスケジュール。俺の知らない、魔法屋の評判や武器の情報。これからやろうとしている計画。


 パメラが調べ考え、記録したであろう膨大な情報がノートに詰まっていた。

 俺の知らない情報まで書かれている。毎日俺と共にタスクをこなしていたはずなのに、これ程の情報を彼女はどのように集めたのだろう。


 パメラが持っていた知識の膨大さに、俺はただ驚くしかなかった。彼女が調べたと思われる情報は、何ページにも続いた。


 それが終わると、今度はこの2カ月間、俺が彼女の指示によって行ってきたトレーニングなどのタスクの記録が始まった。


 いつ、何を、どれだけの量をこなしたが、細かく記録されている。これだけ見ると、2カ月とはいえ圧巻だ。それだけで、結果が出ないという焦りが小さくなるのが分かった。俺がちゃんと、目的へ敷かれた道を歩んでいる証拠だった。


 ふと日々の記録の最後の行に、塗りつぶされている部分を見つけた。毎日行ったことに対し何か書いていたようだが、今はペンで黒く塗りつぶされている。


 それが2カ月分塗りつぶされているのだ。俺が気になっても仕方なかった。


 パメラの筆圧が強かったため、何を書いているのか解読するのは容易だった。薄く鉛筆を走らせると、上のページに書かれていた情報が、薄っすら浮かび上がって来た。


 塗りつぶされた言葉たちが。


『ばっちりです』

『辛いですがここが正念場ですよ』

『今日は今までで最高の出来です』


 あの無表情からは想像できない感情に溢れた文章と、最後に書かれている笑顔のマークたち。


 これは、タスクを達成した俺に対するパメラの感想だ。


 読み進めていくと、彼女のコメントは次第に影を落としていく。


『今日のログ様は調子が悪そうだ』

『ログ様が不安がっている』

『ここで止めたら全てが水の泡。それだけは避けたい』


 彼女の不安が、書き綴られていた。そして最後の日付には、大きくこう書かれていた。


『私が動揺してはダメだ。私が冷静でいないと、ログ様が余計に不安になる』


 この言葉に、俺はなぜパメラが無表情で淡々と話すかを理解した。どれだけ俺が感情的になっても、彼女が常に冷静であったのかを。


 手を引く側が迷いや動揺を見せたら、ついていく人間を悪戯に不安にさせる。だから彼女はいつも、気持ちを悟られぬよう冷静を装っていたのだ。


 いつも無表情で何を考えているのか分からないパメラの、生身に触れた気がした。


 ふと、手に握っていたメモを見る。裏返し、そこに書かれてていた言葉を見た瞬間、俺はノートを抱きしめてその場にしゃがみこんでしまった。


『あなたの夢は、必ず叶いますよ』


 あれだけ酷い言葉を浴びせた俺に、パメラがかけた最後の言葉は、とても優しかった。


 夢だけ語るだけで、何もしようとしなかったクズなのに。

 自分では何も考えず、指示されたことに不満を持つしかなかったクズなのに。


 彼女が来るまで、そして共に過ごした2カ月間、俺は一つでも何かをしようとしただろうか? 

 夢の実現のために、何か自分で動こうとしただろうか?


 パメラのように、本気で叶えようとしていただろうか?

 

 『魔王を倒して姫と結婚する』なんて願望の実現に、誰がまともに相手にするだろう。笑い飛ばされるのが関の山だというのに、パメラはただ一度も俺を笑うことなく、実現のために真剣に話を聞いてくれた。


 現実にするための方法を提示し、登ることが不可能な山に道を作ってくれた。


 それなのに俺は彼女を信じなかった。

 パメラは俺が夢を実現することを信じてくれていたというのに。


 一番愚かだったのは、俺だ。


 彼女の優しさと真剣な気持ちが、メモとノートを通じて伝わって来る。 

 そして同時に思ったのは、一つの疑問。


 何故、こんなバカな俺の夢に付き合ってくれたのか。


 俺はノートを握ると、すぐさま部屋を出てパメラを追った。

 しかし、彼女の姿はどこにも見つける事は出来なかった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る