僕らのお仕事

@mana0430

プロローグ

 一カ月前、僕はある事件に巻き込まれ記憶が無くなってしまった。事件の事はあまり覚えていない。覚えているのは、頭に鈍い痛みが走った事だけだ。

 あとは何も覚えていない。自分の名前も親しかった友人の事も自分の家族の事でさえ、僕は覚えていなかった。この世界のことわりさえも覚えてはいなかった。

 僕が目を覚ましたのは事件が起きて二週間が経った夜の事だった。目が覚めて一番最初に話したのは白銀色の髪を肩まで伸ばしていて宝石のピアスを左耳にだけ付けている青年だ。

「ぁ……」

「ん? 嗚呼、目が覚めたんですね。僕の事、分かりますか?」

「だ、れ……?」

 青年の問い掛けに対してそう返答すると青年は少し悲しそうな表情をして「分からないですか?」と再度問い掛けてきた。僕はその問いに対して小さく頷いた。

 青年は困ったように微笑むと「お医者さま呼びますね」とだけ言い、病室から出て医者とやらを呼びに行った。

 戻って来た青年は、青年よりも年上に見える男性を連れて来た。恐らくこの男性が医者とやらだろう。

「こんばんは、目が覚めて良かったです。いくつかご質問していいですか?」

 医者の問い掛けに僕は先程と同じように小さく頷いた。

「ご自分のお名前は分かりますか?」

 僕は首を横に振った。

「ご自分の年齢は?」

 また首を横に振った。

「ご自分のご職業は?」

 また首を横に振った。

 その後もいくつか質問をされたがほとんど答えられなかった。医者曰く、僕は記憶喪失とやらで記憶が無くなっている状態らしい。らしいと言うのも僕からすれば記憶が無い事の記憶が無い為、現実味が無い。

 医者はその後病室から出て行き、病室には青年と僕だけが居た。僕はずっと気になっている事を青年に聞こうと思った。

「あの、貴方あなたは誰なんですか?」

「あ、すみません。自己紹介が遅れました。私はゆずりは雅楽うたと云います」

 楪雅楽、と名乗った青年の名前を聞いて『聞いた事あるような、ないような』と思った。その思考を読んだかのように楪さんは口元を隠すような仕草をしてクスッと笑った。

「楪さん、僕の名前、なんていうんですか?」

「嗚呼。貴方の名前ですか」

 楪さんは少し悩んだような表情を浮かべスーツのポケットからメモ帳とボールペンを取り出してメモ帳に何かを書き始めた。

 僕がぼーっと楪さんの事を見ていると書き終えたらしい楪さんはメモ帳を見せてきた。メモ帳には『毒島一希』と書かれていた。

「どく、しま?」

「毒の島で”ぶすじま”。一つの希望と書いて”いつき”って読むんです」

 どうやら僕の名前は毒島ぶすじま一希いつきと読むらしい。自分の事ながら変わった名前だと思う。

「あと、私の事、苗字では無く、下の名前で呼んでいただけませんか? 私、弟が二人居るので間違えてしまうと思うので」

「名前……雅楽さん、と呼んだらいいですかね?」

「はい。それで大丈夫です」

 雅楽さん、と彼の事を下の名前で呼ぶと雅楽さんは心底嬉しそうに微笑んだ。

 その日は夜遅いという事もあり、雅楽さんは「明日また来ますね」と頬笑みを浮かべて言うと病室から去って行った。

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