第2話

イベントが待っていると時の流れを早く感じるものだ。放課後になると同時に調理室へと向かった。調理室の前にはもうすでに人だかりができている。俺が知らないだけでそこそこ知名度のある行事なのかもしれない。



「予定通り5分後に『カップルに鉄槌を!巨大チョコレート爆発ショー』を開催します。爆発したチョコレートの破片は参加者の皆様にお配りしますので是非ご参加ください!」



1年生(名札の色で分かる)が部室の前で看板を掲げて叫んでいる。



「爆発するチョコは去年のスイーツ甲子園で見事優勝に輝いたうちの部長の自信作です。美味しさは折り紙付きでーす!」


そう言えば去年の秋頃に表彰されていた気もする。チョコレートの送り主が誰かは気になるが、このチョコレートも食べてみたくなった。足早に調理室に入る。



すでに調理室はカップルに鉄槌を下したい者、部長のチョコレートが食べたい者、単なる野次馬、で溢れんばかりだった。人数比的には9:1:1くらいだろうか。



中央の机には両手で何とか抱えられるくらいの大きさのハートのチョコレートが置かれている。さすがにその大きさの皿はないようで、巨大チョコレートの下にはキッチンペーパーが何枚も敷かれていた。



「はい!それでは定刻となりましたので、今年のチョコレート爆発イベントを開催したいと思います!部長、前に。」


コック帽をかぶりエプロン姿の3年生が巨大チョコレートの前に立った。赤いスカーフも巻いており、そこそこ歴史のあるホテルの料理人と言った風貌だ。


「汝らに問う。本日西洋菓子・猪口令糖を異性から賜った者、手を挙げよ。」


何名かから手が挙がった。きっと、部長の手作りチョコレート目当てで来た生徒たちだろう(悲しいことにカップルに鉄槌を下したい生徒はまとっているオーラで何となく分かる)。というかこの部長のセリフを聞いてもざわつかないのが不思議だ。


「大人しく去るが良い。」


かわいそうに。せっかく部長のチョコ目的来ているのに当の本人に追い出されるとは。手を挙げていた生徒はがっくりと肩を落としながら調理室を後にする。


「汝らに再び問う。本日異性と言葉を交わしたもの。」


「パティシエ・アムール様、それは家族も含まれますでしょうか?」


「うむ、良い質問だ。母親や祖母は特例として認めよう。しかし、姉や妹は認められぬ。」


部長に女兄弟がいないのは分かった。


また何名からか手が挙がった。部長が何も言わずとも手を挙げた生徒たちは静かに調理室を去って行く。


「協力に感謝する。これで、神聖な儀式を執り行う準備が整った。」


部長はエプロンのポケットからマイクを取り出す。


「カップルが憎いかー!」


「おーっ!」


「鉄槌を下したいかー!」


「おーっ!」


「正直なところ悔しいか!」


「おーっ!」


何これ怖い。


調理室が完全に一体化している。ライブで往年のアイドルが「2階席のみんなー!」とマイクを向けたときのような統率力だ。


「その潔さ良し!それでは本年もその思いをチョコレートにぶつけよ!3・2・1!」


料理研の部員が左右からチョコレートを引っ張るとハートが真っ二つに折れた。最初から切れ込みが入っていたのだろうか。それを見て調理室内は拍手に包まれる。


しばらく拍手が続いた後、料理研の部員が割れたハート型チョコレートを丁寧に切り分けていく。イベント名に反して爆発していないが、後で部員に確認すると、食べ物を爆発させるのは料理研の方針に反するのであくまで表現の一環だそうだ。イベントは珍妙だが主催側はきちんとした倫理観を持ち合わせているようだ。俺も一欠片もらったので、口に放り込んでみる。



おお、さすがスイーツ甲子園優勝者の腕は伊達じゃない。


見た目は(大きさを除けば)オーソドックスなチョコレートだが、口に入れた瞬間の柔らかさが違う。内部は2層構造になっており、外側は甘く、内側はほろ苦い。両者が溶け合って口の中で完全に調和がとれている。


これだけでも来た甲斐があったというものだ、と本来の目的を忘れるところだった。ロッカーに入っていたチョコレートが料理研で作られたものかを確認しなければならない。


「あの、料理研で作ってるチョコレートってこれだけですか?」


残りのチョコレートを切り分けていた部員に尋ねた。


「ええ、部として作っているのはこれだけですね。もしかして他のも作ってみたいとか?入部希望ですか?」



生憎俺は食べる専門なので丁重にお断りし、調理室を後にした。



結局振り出しに戻ってしまった。


トボトボと教室に戻る道すがら、実験器具を両手一杯に抱えた教育実習の先生に出くわした。先生は女性の中でも小柄な方なので危なっかしく感じる。


「持ちましょうか?」


チョコレートのことがあるので、少し緊張してしまう。うちの生徒が教育実習の先生と結ばれたという話はかなり誇張されていると頭では理解しているが、どうしても意識してしまう。



「ありがとう、ちょっと横着しちゃって。」


ばつが悪そうに先生が笑う。教育実習中ということもありスーツを着てピシッとした身なりだが、横に並んで笑った顔を見ると年相応の女子大生という印象を受ける。


先生が運んでいた実験器具の半分を手に抱える。これは先週の授業で中和滴定の実験に使った器具だったように思う。おそらく理科室から理科準備室に器具を戻すのだろう。


「男子校だとバレンタインデーと言ってもいつもと変わらないんだね。」


俺が緊張で押し黙っていると先生に話を振られた。


いや、俺的には高校入学以来の衝撃的な日なのですが。


「いえいえ、みんな関心がないふりして本当はチョコレートを欲してるやつらばかりですよ。さっきも料理研が振る舞うチョコレートにかなりの生徒が集まっていましたし。」


「へー、男子高校生って甘いものとかそんなに好きじゃないと思ってたけど、そんなイベントがあるんだね。何だか楽しそう。」


ふふっと笑う先生に、好き嫌い以前にチョコレートをもらえなかった怨念で開かれている集まりだとは言えない。



「チョコレートもらったりした?」



は?



二人一緒に歩いている状態でその質問はずるくない?


絶対意識しちゃうじゃん。


いや、落ち着け。冷静に考えて教育実習の先生が特定の生徒にチョコレートを送るなどしたら、それだけで実習を修了できなくなるだろう。この先生はゆるふわでちょっとぬけているところがあるかもしれないが、基本的には真面目だからそんなことあり得ない。


そもそも、こうやって1対1で話すのは今がほぼ初めてだ。俺を好きになる理由も見当たらない。


「いやー、さすがにここでそれはないですよ。あ、でも隣の学校に通っている友人はもらえたらしいんですけど、送り主の名前が書いてなかったそうなんですよ。これって女性からすると何か意味があるんですかね?」


よし、何とか話の流れで送り主不在チョコレートについて尋ねることができた。先生は俺の顔をまじまじと見つめて何か考え事をしている。かと思えばにんまりした後に回答してくれた。


「んー、友達ねえ。好きな人の事を考えるあまり緊張して手紙を入れ忘れたというのがまず考えられるかな。あるいは、もし近しい関係の人に渡す場合は試しているのかも。」


「試す?」


「そう。もし気づいてくれたなら、男の子から女の子に連絡が来る。もし来なければ気づいてもらえなかった、すなわち自分のことはそれほど思ってくれていない。」


「それかなり面倒くさい子じゃないですか?」


「男の子からすると確かに面倒とは思うけど、告白とって本来はそのくらい勇気のいるものじゃない?学生してると周りに告白する人される人が出てくるから、特別なこととは思えないかも知れないけど。」


年齢は4・5年くらいしか変わらないはずだが、同級生との会話でそのセリフは絶対に出てこないだろう。どちらかと言うと幼く見える容姿とのギャップにドギマギしてしまう。


ちょうど理科準備室の前に到着した。先生は俺の方に向き直り、どや顔でエールを送ってくれた。



「だから、勇気を出して連絡してみるものですよ。若者よ。」





あー、なんかあれだな。



「ごめんなさい」という気持ちしか沸いてこない。



おそらく先生的には「友人の話」が嘘で、俺が送り主不明のチョコレートをもらって、恋の相談をしていると解釈したのだろう。前半はパーフェクトだけど、後半が致命的に間違っている。俺にそんな近しい女性はいない!それとも男からもらったと思われているのか?


先生の中では月9並に青春まっただ中の男子高校生として認定されてしまったかもしれない。そんな青春あったらチョコレート爆破イベントになんて顔さえ出さない。



しかし、「近しい人間が連絡を待っている」線は当たらずとも遠からずかも知れない。



相手が男性であるならば。




つまりは友人による単なるイタズラ。もともとその可能性が1番高いとは思っていたが、俺的に最もつまらない結末なので考えないようにしていた。まあでも人生そんなものか。月9のようにはいかない。



俺に対してこんなことをしそうな人間は1人しかいない。俺はその人間がおそらくいるであろう自分の教室に戻った。



「おい、ロッカーのチョコレートは何なんだよ?」



これで「やっと気づいたか。暇つぶしできる程度の余興にはなっただろ。」とニヤニヤしながらのたまった頭をはたけばいいやと思っていたが、隣の席のこいつは全く別の反応を見せた。



「ああ、やっぱり君か。冷静になってみればそうだろうけど、ちょっとでも期待した僕がばかだったよ。」



そいつは鞄から俺がもらったものと全く同じ包装の小包を取り出した。

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