過去作り変え師
オカダケイス
『未来から来た男、を自称する男』その1
その日は朝から最悪の気分だった。
目が覚めたとき、俺は直前まで見ていた夢の内容を反芻していた。
夢の中では俺は小さな子供で、見知らぬ男に組み伏せられて顔面をひたすら殴られ続けていた。
夢の中では、その男は俺の父親ということになっていた。
実際の俺の父親とは似ても似つかない姿だったが、夢特有の現象により俺はその男を何の違和感もなく自分の父親として認識していた。
そして、やはり夢特有の現象により、俺はその父親から殴られることを“ごく当然のこと”として認識し、何の抵抗もせず、苦痛の中で、振り下ろされる拳をただ受け入れていた。そんな夢だった。
夢から覚め、まともな認識能力を得た状態で夢の内容を反芻し、胸焼けのような嫌悪感が身体に満ちた。それが、その日に最初に味わった感覚だった。
その後も、ろくでもない事案が頻出した。
だるい身体を強引に奮い立たせてベッドから這い出して、洗面所に向かう途中で、タンスの角に足の小指をぶつけた。走り抜けた痛みに身を捩らせた拍子にバランスを崩して転倒し、そのまま近くにあったテーブルの縁に腰を打ち付けた。その衝撃でテーブルの上に置かれていたコーヒーカップが落下して、甲高い音と共に砕け割れた。買って二日目の、新品だった。
それからどうにか身支度を済ませて家を出たが、駅の間際で警察手帳を忘れたことに気づいて慌てて引き返した。徒歩では間に合わない。全力疾走で駅と家の間を往復で駆け抜けて電車に飛び乗り、庁舎についたのは遅刻寸前の時間だった。
刑事部の自席に着くと、俺は深々と肺から息を吐き出した。
十二月の寒空の下で全力疾走に付き合わされ冷えた空気をしこたま出し入れさせられた肺は、チクチクと突き刺すような痛みを発信して俺を苛んだ。
勤務時間開始直後だったが、もう既に疲れ果てていた。どうにかして上手いこと仕事をサボりながら時間を潰して一日をやり過ごせないものだろうかと、そう考えていた、そんな矢先だった。
「
声の方に目を向けると、少し前にうちの課に配属になった、
「今、時間って空いてるっスか?」村西が言った。「参考人の対応をお願いしたいんスけど」
「参考人? どの事件のだ?」
「昨日の強盗事件っス」村西が言った。「コンビニのATMを巡回中の現金輸送車が襲われて、犯人グループが三千万円の現金を奪って逃走したという例の」
「その事件だったら確か」俺は言った「うちの班の担当じゃないだろ?」
「ええ、そうなんスけど……」村西が言った。「その参考人が、矢井田さんを指名してるんスよ」
「はぁ?」俺は言った。「どういうことだ? そもそも誰が引っ張ってきた参考人なんだ?」
「いえ、今朝方に本人自ら署に赴いてきた人物でして」村西は言った。「その人物が言うには、自分は例の現金輸送車襲撃事件の犯人の逃亡先を知っているので情報を提供したいが、その相手は捜査一課所属の矢井田刑事じゃないと駄目だって言ってるんスよ」
「全く意味がわからんのだが」俺は言った。「どこの誰なんだ? そいつは」
「
聞いたことのない名前だった。
「今、空いてる取調室に待機させてるんスけど」村西が言った。「どうします?」
◆◇◆
それから取調室に向かった俺は、その玖島という男と対面した。
……どんな男だったか?
異様な風体だった。一度見たらまず忘れないような。
まず、身長が俺より頭一つは高い。
俺の身長は175cmだから、恐らく190は行ってたと思う。
上背だけじゃない。肩幅も広いし胸板にも厚みがあった。
服装は三つ揃えのスーツ姿だったが、その上からでも鍛えられた筋肉量が見て取れた。
それでいて、顔つきがな。
なんというか……赤ん坊のような顔をしていた。
かなり目が大きくてな。二重の垂れ目で、口元にも締まりがない。童顔を通り越して一歳か二歳の赤ん坊みたいな顔だった。
異様だったよ。普通、身体を鍛えると顔つきも一緒に引き締まっていくものだからな。
で、取調室に入って顔を合わせた俺に、そいつは言った。
「はじめまして」
それを聞いて、ゾッとしたよ。
その声がな、老人のような声だったんだ。
八十か九十くらいの老人が喉の奥から無理やり絞り出したような、酷くしわがれた声だった。
「……そんなとこに突っ立ってないで座ったらどうだ?」
俺は内心の動揺が表に出ないよう、ぶっきらぼうな口調でそう告げて、椅子に掛けた。
「ああ、それもそうですね」
その玖島という男も、そう言って妙にノロノロとした動きで席に着いた。
身体がデカすぎるせいか、パイプ椅子が窮屈そうだった。
「あなたが矢井田刑事ですか?」玖島という男が言った。「警視庁捜査一課所属の
「まずこっちの質問に答えてもらおう」
俺は相手方の話をわざと遮るようにして言った。
「昨日の現金輸送車襲撃事件の犯人の居所を知っているそうだな?」
「ええ」
「どこだ?」
「埼玉県入間郡三芳町の、関越自動車道沿いにあるパーキングエリアです」
玖島という男はハッキリとした口調でそう言った。
「移動手段は白のライトバンで、強奪した現金三千万円も車内にあります。これはどこかの造園会社から盗んだもので、盗難届けと照合すれば判別が可能なはずです」
俺はメモを取りながら玖島という男の挙動、特に目線の動きに逐一注意を払った。
一対一のアイコンタクトでは、三秒程度目が合って離れるのが正常な反応とされている。何かやましいことがある人物は一切目を合わせようとしないか、逆に目を合わせてから離そうとしない。
それで言うと、このときの玖島という男の反応は、正常ななものだった。嘘を言っている人間の挙動ではない。
「わかった。じゃあ次の質問だが」
「はい」
「何故、この情報を伝える相手に俺を指名したんだ?」
そう言って、俺は玖島という男の目を覗き込んだ。
「ああ、それはですね」玖島という男は言った。「簡単に言うと、わたしを信用してもらいたいからです」
「信用?」
「つまりですね、今お伝えしたわたしの情報が真実だと確認できたなら、今後わたしが提供する情報も真実であるとあなたに信用してもらえるでしょう?」
ここまで話を聞いて、ようやく俺はこの男の素性について一つの推論が立った。
この男は、情報屋なのだ。
刑事である俺に何らかの情報を提供し、その対価として何かしらの見返りを得ようとする輩。そういった人種とは、俺も過去に何人か付き合いがあった。
恐らく誰かが、俺がそういう輩と取引するタイプの刑事だということをどこかで聞いて、それでこうして接触を図りに来た。そういうことだろう。
「もし、わたしのことを信用して頂けるようでしたら」玖島という男が言った。「他にもお伝えしたい情報が幾つかありまして」
「それについては、お前さんの情報が確かであると裏が取れてからの話だな」俺は言った。「今回の、現金輸送車襲撃事件の犯人の逃亡先についてだが、これはどのスジから仕入れてきたものだ?」
俺の質問に、玖島という男はハッキリとした口調でこう答えた。
「テレビで見ました」
「……え?」俺は聞き間違いかと思った。「何だって?」
「ですから、テレビで見たんです。朝のニュース番組で報道されていたのを」
「お前、何を言ってるんだ?」
「ああ、もちろん今日この日、十二月六日の朝のニュースではないですよ。明日、十二月七日の朝に放送されたものを見たんです」
俺が呆気にとられていると、玖島という男は、
「おっと、そういえばまだお伝えしていませんでしたね」
ごく自然と、極めて何気ない様子で俺にこう言った。
「わたし、未来から来たんです」
◆◇◆
取調室を出てデスクに戻ると、村西が怪訝そうな話し掛けてきた。
「例の参考人、どうでした? 犯人の逃亡先を知ってるって話でしたけど」
俺はデスクの引き出しからタバコを取り出しながら村西に言った。
「お前、刑事になってどれくらいになる?」
「え?」村西が言う。「何の話っスか?」
「刑事になって事件の捜査をしてるとな、特にニュースとかで報道された事件に関しては“あの事件について真相を教えます”みたいな一般人からの情報提供は結構あるんだよ。でもな、殆どは真相でもなんでもねえ。そいつが頭の中で作り出した妄想を真実だと思いこんでるだけでな」
村西が「ええと……」と呟いているのを尻目に、俺はタバコを一本咥えて離席した。
去り際に俺は村西に言った。
「お前もせめてまともな人間とイカれてる人間の区別ぐらいはつくようにしとけ」
それから俺は捜査中の事件の聞き込みに行ってくると上に伝えた後、場末のパチスロ店で勤務時間を潰して帰宅した。
それから一晩寝て、次の日、朝起きたときにはもう、あの玖島という男のことは俺の頭からさっぱり消え失せていた。
だが、俺はその直後に、そいつのことを思い出すことになった。
……ああ。
テレビを付けたときにな、ちょうどやってたんだよ。
朝のニュース番組だ。
“――では、次のニュースです。
五日午前、都内で発生した巡回中の現金輸送車が襲撃され三千万円の現金が奪われた事件で、六日深夜、警察は犯人と見られる男二人組を、埼玉県入間郡三芳町のパーキングエリアで発見、身柄を確保しました。
警察の発表によると、警戒中の警官がパーキングエリアに停められたライトバンの中で車中泊している男二人組を発見。そのライトバンが先日都内の造園会社から盗難されたものであることに気づき、職務質問したところ、車内から現金三千万円が発見され……”
◆◇◆
それからどうしたか?
そりゃ勿論、いつもどおり出勤したよ。
でも、頭の中は疑問でいっぱいだった。
署の廊下を歩きながら俺は思った。
――昨日のあいつは、一体何者だったんだ?
悶々とした頭を抱えて歩いていると、廊下の端の曲がり角付近で、村西が誰かと話しているのが見えた。
「……ええ、なんでねぇ、その……」
俺が近づいてくるのに気づいた村西は、顔をこちらに向けた。
何か、期せずしてマズイところを見られてしまった、といった色がその表情にあった。
それが何なのかを俺が考えるよりも先に、曲がり角の死角から、村西と話していたらしい人物がこちら側に姿を現した。
「ああ、これはこれはいいところに」
……それが誰かって?
「昨日はひどいじゃないですか、矢井田さん。話の途中で部屋を出ていくなんて」
決まってるだろう。
あの身体と顔と声、見間違えるはずもない。
「でも、今日は昨日よりかは、わたしの話を聞く気になってくれていそうですね」
あの、玖島という男だった。
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『未来から来た男、を自称する男』その2 に続く。
(次回更新→2020/12/22 21:00)
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