お腹の声

アール

お腹の声

「おめでとうございます!

奥様、ご懐妊ですわ!」


私のお腹に機械を当てた女医は、笑顔でそう言った。


「……おい、とうとうやったな!

長い間願っていた我が子だぞ!」


近くで聞いていた

私の夫も興奮した様子で叫んでいる。


私も感動のあまり、思わず涙を流していた。


「ええ、本当にようやくね。

ふふ、我が子の顔が早くみたいわ……」


私たち夫婦が長年待ちに待った待望の第一子。


その子が今、この私のお腹にいる。


他では得難い感動がそこにはあった。


私は優しく自分のお腹を撫で、早く生まれてきてねと祈るように目を瞑ると、女医に礼を言って病院を後にするのだった。













やがて数ヶ月が経った。


私のお腹は日に日にどんどん膨らみを増していた。


とうとう寝返りも打てなくなり、寝づらいったらありゃしない。


最近、完全に睡眠不足だ。


ストレスが溜まっていく。


だが、私は数日前に病院の検査の際に言われた

女医からの言葉を心の支えに頑張っていた。


「よく頑張られましたね。

このお腹の膨らみよう。

もういつ生まれても遅くないでしょう。

心の準備をしておいて下さいね」


……そうだ。

私は近いうちに母親になるんだ。

こんな事で動揺してどうする。


私は再び気を引き締め直すと、愛しの我が子が生まれてくる日を今か今かと待ち続けた。


……我が子だって今お腹の中で頑張っているのだ。

ああ、会えるのはいつになるのかしら。

明日? それとも明後日? 1週間後?

でも1ヶ月以内には必ず会えるわよね…………。




だがそんな私の期待とは裏腹に、

やがて2ヶ月という月日が経過していった。


「……遅い。生まれてくるのが遅すぎる。

これはいくらなんでも異常だわ」


私と夫は急いで産婦人科へ駆け込んだ。


話を聞いた女医はたちまち顔を青ざめた。


「お腹の中の子供に何かあったのかもしれません。

至急、機会で覗いてみましょう」


聴診器のような機械が私のお腹に当てられ、

中の様子が近くのモニターに映し出される。


しかし胎児は変わりなく、至って健康そうだった。


「うーん。

こういうこともあるのかもしれません。

まぁ、気長にもう少し待ってみましょう」


女医もそう言うので、私達は渋々車で帰宅した。


「……まぁ、医者もそう言っているんだし、

もう少し頑張ってくれるか?」


「え、ええ。

そうね、気長に待つわ。

この子はきっと、のんびり屋さんなのよね」


私は不安を押し殺して、夫の言葉に必死の作り笑顔でうなづいた。


夫はやがて抜け出してきた職場へと帰って行き、

私は家で1人、ソファーに座って頭を抱える。


「どうして……。

どうして生まれてきてくれないの……?

出産予定日もだいぶ過ぎてしまっているわ。

早く生まれてきて、私達を安心させて頂戴よ……」


別に誰かに向かって発した言葉ではなかった。


不安のあまり、思わず心中の独り言が出てしまったのだ。


だが、ここで予想外のことが起きた。


「そりゃ、お腹の中の居心地がいいからに決まっているじゃないか」


私は思わずぎょっとして声のした自分のお腹を凝視した。


そんな私の驚いた様子とは裏腹に、

その声は続ける。


「そんなに見つめるなよ。

俺はあんたの息子さ。

他の胎児よりも少し賢くてね。

こうやって外に向かって語りかけることができるのさ」


「ほ、本当に私の坊やなの?」


ようやく口から発することの出来たその短い質問を、私は息子を名乗る声の主に言った。


「だからそうだと言っているだろう。

その証拠に、おれはあんたが最近食べたものを

全部当てることができるぜ。

昨日のディナーはイタリアン。

その前は日本食だ。

な? 当たりだろ?

へその緒を通じておれも食べてるからわかるのさ」


どうやら本当のようだった。


私の息子がお腹の中から語りかけてきている。


そんな非現実的な事を簡単に信じてしまうのはどうかと思ったのだが、実際にこうして起きているのだからどうしようもない。



「ねぇ、早く生まれてきてよ。

あなたの顔が見たくって仕方がないわ」


私はそうお腹の中の子に懇願する。


しかし、子供は意地悪そうにフフッと笑った。


「いやだね。

生まれる、という

行為にはとてもスタミナを使うんだ。

出産の時、苦しいのはあんただけじゃないんだぜ?

とても細く、短い道のりを俺たち赤ん坊は必死にいかなきゃならない。

そんなの俺はごめんだね。

こんなに居心地のいい胎内、出てたまるか。

なんてったって何もしなくても1日3度、へその緒を通じて食事が運ばれてくるんだからな……」


「……そんな。

そんなの引きこもりと同じよ。

ねぇ、ママをあまり困らさないで。

こらっ、そろそろ怒るわよ!

早くお腹の中から出てきなさいッ!」


「……うるせぇな。

静かにしないとこうするぞ……」


……ガツン。


鈍い痛みがお腹の中から響いてきた。


お腹の中を足で蹴り上げたのだ。


私は思わず甲高い叫び声をあげた。


「……わかった。

わかったからお願い。

そんな事をするのはやめて……」


「ふん、分かりゃいいんだ、分かりゃ。

ちなみに、旦那には言うなよ。

もちろん医者にもだ。

俺はまだまだ楽な

胎内ライフを満喫するんだからな」


「ああ、こんなのあんまりよ。

これじゃ、息子じゃなくて悪魔だわ……」


私はそう嘆いたが、どうにもならない。


この日から私はお腹の中にいる悪魔と奴隷としてこき使われるようになった。







「おい、喉が渇いたぞ。

水をよこせ」


そう声が聞こえると、私は急いで水を喉の奥へと流し込んだ。


逆らうことが出来ない。


もしそんな事をすれば、私を寝かさないように

一晩中この子は私のお腹を蹴り続けるからだ。


「おい、次は飯だ。早くしろ」


「え……。

でもさっき、ランチを食べたわよね?」


「あんな量で俺が満足すると思うか?

早くしろ、俺は気が短いんだ……」


そんな風に私は声が聞こえるごとに、あれやこれやと必死に働かされた。


そんな私の様子を見て夫は不審がっていたが、適当に私が笑顔でごまかす。


そうしないと、また蹴られてしまうからだ。


しかし、そんな弱気な態度がいけなかったのかもしれない。


味をしめたお腹の子の要求は、だんだんエスカレートしていった。


とある日、ヤツはこんな事を言い出した。


「おい、今度は女だ。

早く用意しろ」


「え……。

それってどういう……?」


「そんなの決まっているだろう?

2人目の子供を作るんだよ。

そうすれば俺は胎内でその子とお喋りできる。

どうだ? いいアイデアだろう?」


……冗談じゃない。

子供を作るというのはそんな簡単に

出来る事じゃないのだ。

私にかかる負担はそれまでの倍になるという事。

ママの事もしっかり考えて欲しいものだ……。


しかし、すっかり心をヤツに支配されていた私にはそんなこと、口が裂けても言えるはずがなかった。


その夜、私は動揺する夫をなんとか説得。


その数ヶ月後にはヤツの要望通り、第2子をその身に宿すことが出来た。


これには女医も驚きの色を隠せない。


「こんな事……前代未聞です!

いったいあなたの体はどうなっているの!?」


しかし、私は答えられない。


こうなったら手術で無理やり子供を取り出すか?

という女医の提案を適当な理由で断った私は、そのまま帰路についた。


やがてお腹は今までの大きさの2倍にまで膨れ上がり、声の数も二つに増える。


「おい、飯だ飯。早く持ってこい」


「そうよ、そうよ。

私たちお腹が空いたのよ。

早く持ってこないと許さないんだから……」


……本当に憎たらしいガキ共ね。

本当に私の子供たちなのか疑問に思うわ。


しかし私はそんな不満も表に出さず、黙って毎日食事を取り続けた。


そんな私に夫は何度も手術をうけよう、頼むから手術を受けてくれ、と何度も訴えてきたが、私は全て上手くはぐらかして断った。


……ああ、

私はいつかの苦しみから解放されるのかしら。


本当にストレスの溜まらない日はない。


しかも最近、お腹の中からまるで一家団欒のような声がたまに聞こえてくる。


坊やのヤツ、腹の中に新しく出来た女とさらに子供を作って、しかも胎内の中で出産したようだ。


憎たらしいやつめ。


本当に許せないわ。


よりにもよって私より先に親になるなんて……。



























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