【第2話:かばでぃと二人だけの秘密】

 ここは屋上へと続く階段の踊り場。


 ただ、屋上へと続く扉は昼休みにしか解放されていないため、今は誰もおらず、ここには貴宝院さんと僕の二人きりだった。


 普通にこのシチュエーションになったのなら、ちょっと色々勘違いしそうな、そんな嬉しい状況なのかもしれない。

 だけど、ここに来ることになった経緯や、今現在進行形で首根っこをがっしと掴まれているこの状況では、そんな気持ちは微塵もわいてこなかった。


「はぁはぁはぁ……」


 貴宝院さんは、何故か移動中も「かばでぃかばでぃ」と言い続けていたので、息切れが激しいようだ。


「あ、あの、大丈夫? なんか飲み物でも買ってこようか?」


 あっ、睨まれた……。


「だ、大丈夫! ちょ、ちょっと待って!」


 そう言うと、僕の首根っこを掴んでいた手を離し、おもむろに鞄に手を突っ込むと、何かスプレー缶のようなものを取り出した。


「スーッ……ハーッ……スーッ……ハーッ……」


「へ? さ、酸素? なんでそんなもの持ち歩いて……?」


 いつから女子高生は、鞄の中に酸素ボンベを入れて持ち歩くようになったのだ?


「こ、この『カバディ』って言い続けるの、意外と凄い大変なの……」


 いや、それなら言わなきゃいいじゃん……とは、心の中だけでツッコんでおく。

 だって、貴宝院さんの目が少し怖いから……。


「そ、そう。ずっと言い続けるのって大変だよね~……じゃ、そういう事で」


 そう言って教室に逃げ……教室に戻ろうとしたのだけど、また首根っこを掴まれてしまった。


「だから、待ってって!」


「で、でも、僕は今日掃除当番とう使命を授かっているので!」


「使命って何!? それに……そもそも私だって掃除当番なんでしょ? その、囲まれて凄く嫌だったから、帰ろうとしちゃったけど……」


「え?」


 囲まれて凄く嫌だったというのが、僕にとっては予想外の言葉だった。


「な、なに……? 私も好きであんな囲みの中心にいるんじゃないんだよ。注目浴びるのだって、本当はすっごく嫌なのに……」


 ちょっと意外だった。

 と言うか、考えた事も無かった。


 常にみんなから注目され、ちやほやされ、男子からも女子からも憧れの的となっている貴宝院さんが、本当はそういう状況が嫌だったなんて……。


「そ、そうなんだ。正直、僕からしたら貴宝院さんって、皆の憧れの的だし、ヒエラルキーの頂点だし、そんな風に思っているなんて想像もしてなかったよ」


「そ、そんな事ないよ。煩わしいだけだし……でも、わ、わかってくれればいいの。わかってくれれば……」


「じゃ、そういう事……ぐぇ!? し、死にゅ!? くび、首締まってるから!」


 貴宝院さんに背中を向けた瞬間、首根っこ……と言うか、今度は首を掴まれ、あやうく絞殺されるところだった……。


「だから、話を聞いてって!」


「い、いや!? だってここ来るまでにも人いっぱいいたし! 僕がこんな場所で貴宝院さんと二人でいるとこを見つかったら、僕、絶対皆に殺されるから!」


 いくつもある非公認ファンクラブ同士で、たまに抗争が勃発するほどの人気を誇る貴宝院さんだ。

 そんな彼女と二人っきりでこんな所にいた事がバレたら、間違いなく僕の身が危険だ!


「だ・か・ら! 最後まで話を聞いてって! もう!」


「あっ、そうか……ボ、ボク、カバディ、ナンテ、シリマセーン」


「なんで片言になってるの!?」


「あ、はい。聞きます。だから、くび、首がですね……」


 とりあえず、何か話したい事があるようなので、ちゃんと聞くことにした。

 聞かないとファンクラブの前に貴宝院さん自身に殺されそうだし……。


「やっと話を聞く気になってくれたね……そ、それで……なんだけど……」


 そう言ってようやく僕の首から手を離してくれた貴宝院さんだが、今度は頬を朱に染めて、何か言いにくそうにモジモジとしはじめた。


 貴宝院さんとこうして向かい合い、その顔を間近で見つめる事なんてもちろん初めての事だった。

 遠目で見ていても凄い美少女だと思っていたけど、この至近距離で頬を朱に染めて恥ずかしそうにするその姿は、まるで天から舞い下りた天使のようだ。


 さっきその天使に殺されかけた気もするけど……。


「わ、私の呟き……、私が『カバディカバディ』って言ってたの、聞いた、よね?」


「呟きと言うか、大絶叫を聞い……ツブヤキヲ、キキマシタ」


 天使は天に帰ったようだ。


「そ、そうよね……それなのになんで……」


 なにが「なんで」なのかわからないけど、何やらぶつぶつと独り言を呟きながら、何か考え込んでしまった。


「……バディ、カバディカバディ……」


 独り言じゃなくて、また「カバディ」だった!?


「ねぇ……神成くんは、何も感じないの?」


「あ、あのさ、何か辛いことでもあっ……」


「辛い事とかないわよ!?」


 顔を真っ赤にさせて怒る姿もめちゃくちゃ可愛いんだけど、もう僕には貴宝院さんが何を言いたいのかわからなかった。


「ごめん。ちょっと悪いんだけど、正直、僕には貴宝院さんが何を言いたいのかわからないよ。何かあるならちゃんと話してみない? 話せば楽になる事もあるかもしれないし。それに、こう見えても僕はかなり口は堅い方だと思うよ?」


 貴宝院さんが何を言いたいかまではわからなかったけど、でも、ふざけているようには見えない。


 だから、何かあるなら話だけでも聞いてあげたいと思った。

 僕なんかが何か力になれる事があるのなら、力になってあげたいと思った。


「普通の女の子かどうかは置いておくとしても、貴宝院さんだって、一六歳の女の子でしょ? 僕たちなんて背伸びした所で、まだまだ子供なんだよ。何かあるなら、一人で抱え込んでも辛いだけだし、話してみない?」


 しかし、その僕の言葉が何か意外だったのか、一瞬キョトンとした表情を見せたあと……、


「……え……」


 貴宝院さんの瞳から、一粒の雫が零れ落ちた。


「えぇぇ!? あ、あの!? ぼ、僕、なんか失礼な事言っちゃった!? ご、ごめん!」


 突然涙を流した貴宝院さんに、僕が慌てていると、


「あは、ははは……私、なんで泣いてるんだろ? 大丈夫だよ。ちょっと嬉しかっただけだから」


「え? 嬉しかった?」


「うん。私ね。ずっと外では一人だったんだ……」


 貴宝院さんが言う「一人だった」と言う言葉が、最初どういう意味なのかわからなかった。


「ははは。不思議そうな顔ね。私、本音で人と話したことが無かったの。だから、いつも周りに人は一杯いたけど、友達って呼べる子は一人もいないんだ……」


 いつも周りに人がいっぱい集まってくる貴宝院さんが、そんな悩みを抱えているなんて思いもしなかった。


「そう、なんだね。僕で良ければ、いつでも話ぐらい聞くから……あっ! でも、その、二人だけだと僕がファンの人たちに殺されちゃうから、その……」


 思わず「いつでも話ぐらい聞く」とか言ってしまったけど、そんな事したら僕の身が危険にさらされてしまうと慌てていると、貴宝院さんは楽しそうに「ふふふ」と笑ってから、話し始めた。


「大丈夫よ。そう簡単にバレないはずだから」


 何を根拠にそんな事を言っているのか?

 貴宝院さんは、いつも自分が皆に注目されている事をわかっていないのだろうか?


「私ね。ちょっとした能力があるの」


「え? 能力って?」


「アニメ風にいったら異能って奴かな?」


「・・・・・・・・・・・・」


「ちょ、ちょっと黙らないでよ!? ほ、本当の話なのよ!?」


「い、いくら僕がラノベ好きだと言っても、そう言われて『はい、そうですか』ってならないよ……すぐにはね」


「そ、それはそうよね……って、え? すぐには?」


「真剣に話してくれてるみたいだし、聞かせてくれたら……信じるかも」


 僕にはやっぱり貴宝院さんが嘘をついているようには見えなかった。

 だから、ちゃんと話を聞いてみたくなった。

 もし、これが全部貴宝院さんの演技で、騙されたり揶揄われたりしていたとしても、僕が笑われるだけで大した被害もないしね。


「……え、えっと、さっきの教室や、ここに来るまでの廊下を歩いている時とか、何かおかしいと思わなかった?」


 貴宝院さんに言われて少し思い返してみると、確かになにか違和感を感じる。

 さっきまでは「かばでぃかばでぃ」と繰り返す貴宝院さんの衝撃が強すぎて、他の事に意識が向いていなかった。


 だから、改めて考えてみた。


 教室で貴宝院さんの周りには、クラスの大半の生徒が集まって盛り上がっていた。

 それなのに、いきなりみんな何事も無かったように冷静になって、教室を出ていってしまった。


 あれは、かなり不自然だった。


 それに、ここに来るまでの間も、普段なら注目を浴びるはずの貴宝院さんに、誰一人として視線を向ける人がいなかった気がする。


「た、確かに凄く不自然だった……まるで、そこに誰もいないかのように……」


「そう。私ね……無心で同じ言葉を繰り返し呟く事で、周りに認識されなくなる能力を持っているの」


「……え? なに、その変な能力……」


あ、思わず変って本音が……。


「今、変って言った!? そ、それはね、私だってちょっとだけ、ほんのちょっとだけ、変な能力だとは思ってるけどね……」


 そう言って口を少し尖らせて拗ねる姿は可愛いが、ちょっとじゃないと思うよ?

 ちょっと目が怖いから言わないけど。


「それで、さっきから言っている『かばでぃ』に繋がるんだ……」


「う、うん」


「あれ? でも、なんで『かばでぃ』なの? さっきの話だと他の言葉でも大丈夫なんじゃ?」


「な、なんか繰り返して言うの、言いやすかったし……それに、ちょっと面白いかなぁって思って……」


 その見た目の完璧さとは違って案外お茶目な所があることに、ちょっとだけ親近感を覚える。


「そっか……まぁでも、掃除当番はさぼっちゃ……あぁぁ!? もう、みんな掃除終わってる頃だよ!」


 ついついここで、結構な時間話し込んでしまった。


「あっ、ごめんなさい。急いで戻りましょ!」


 その後、また皆に見つからないように「かばでぃかばでぃ」と言いながら戻って貰ったが、貴宝院さんの言った通り、誰も僕たちに気付く者はいなかった。


 つまり、貴宝院さんは本当にそういう『能力』の持ち主だという事だ。


 だけど、もう掃除は終わってしまっていて、教室には誰も残っていなかった……。


「ま、まぁ、正と小岩井には、後でメッセージでも送って謝っておくよ」


「ごめんなさい。私もまた明日にでも謝っておくから」


 しかし……この日を境に、僕の平凡で平穏で平和な高校生活は、呆気なく終わりを告げてしまった。

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